兵馬俑で考えたこと

23日、「サンデー毎日」2017年6月4日号が発売されます。
表紙の人物は、婚約が決まられた秋篠宮眞子さまです。おめでとうございます!
わたしは、同誌にコラム「一条真也の人生の四季」を連載しています。
第81回目のタイトルは、「兵馬俑で考えたこと」です。


サンデー毎日」2017年6月4日号



業界の仲間と中国に行ってきました。上海、長沙、西安などの都市を回り、12年ぶりに兵馬俑を訪れました。兵馬俑とは、言わずと知れた秦の始皇帝の死後を守る地下宮殿です。8000体におよぶ平均180センチの兵士像が整然と立ち並ぶさまはまさに圧巻で、「世界第8の不思議」などと呼ばれています。



秦、楚、燕、斉、趙、魏、韓、すなわち「戦国の七雄」がそのまま続いていれば、中国は7つほどの国に分かれ、ヨーロッパのような形で現在に至ったことでしょう。
広大な中国を統一するとは、どういうことか。他の国々を武力で打ち破るのみならず、度量衡を統一し、「同文」で文字を統一し、「同軌」で戦車の車輪の幅を統一し、郡県制を採用した。そのうちのどれ1つをとっても、世界史に残る一大事業です。始皇帝は、これらの巨大プロジェクトをすべて、しかもきわめて短い期間に1人で成し遂げたわけです。


絶大な権力を手中にした始皇帝でしたが、その人生は決して幸福なものではありませんでした。それどころか、人類史上もっとも不幸な人物ではなかったかとさえ、私には思えます。なぜか。それは、彼が「老い」と「死」を極度に怖れ続け、その病的なまでの恐怖を心に抱いたまま死んでいったからです。



世の常識を超越した死後の軍団である兵馬俑の存在や、徐福に不老不死の霊薬を探させたという史実が雄弁に物語っています。ひたすら生に執着し、死の影に脅え、不老不死を求めて国庫を傾け、ついには絶望して死んでいきました。兵馬俑とは、不老不死を求め続けた始皇帝の哀しき夢の跡にほかなりません。



いくら権力や金があろうとも、老いて死ぬといった人間にとって不可避の運命を極度に怖れたのでは、豊かな人生を送ったとは言えません。逆に言えば、地位や名誉や金銭には恵まれなくとも、老いる覚悟と死ぬ覚悟を持っている人の人生は豊かなのではないでしょうか。兵馬俑をながめながら、そんなことを考えました。


サンデー毎日」2017年6月4日号の表紙



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2017年5月23日 佐久間庸和

『僕の死に方』  

連載100回達成記念に、過去の「ハートフル・ブックス」をご紹介しています。
第59回目は、「サンデー新聞」2012年12月29日号に掲載されました。
わたしは、『僕の死に方』金子哲雄著(小学館)を紹介しました。


「サンデー新聞」2012年12月29日号



著者は人気の流通ジャーナリストでしたが、2012年10月、「肺カルチノイド」という急性の難病により、41歳の若さで急逝しました。カルチノイドは、医学的に「ガンもどき」を意味します。発症率10万人に1人という奇病ですが、早期発見、早期治療で治癒する可能性が高いとされています。しかし、発見が遅かったり、再発や転移があったりして、いわゆる三大治療(手術・抗がん剤放射線)が受けられない状態の患者さんがいます。著者は、まさにその状態でした。もはや有効な治療法がなかったのです。



入退院を繰り返しながら仕事を続けてきた著者は、最期は「自宅で家族に看取られたい」と希望しました。自分の死期を悟った著者は、自分の葬儀を自分でプロデュースすることを思いつきます。彼は、なんと会葬礼状まで生前に用意して、自らの葬儀をも「流通ジャーナリスト」としての情報発信の場にしたのでした。そのプロ根性には、「お見事!」という他ありません。



しかし、「今すぐ死んでも驚かない」と医師に告げられた著者が「余命ゼロ」宣告を受け入れて死の準備を整えるまでには、さまざまな葛藤がありました。
仕事が順調であるにもかかわらず人生を卒業しなければならない悔しさ、夭折した姉や妹や弟たちの分まで生きることができなくなった悲しみ、そして何より、最愛の妻を残していくこと・・・。



ようやく死を受け入れた著者は、本を書くことを決心します。担当編集者には、「40代で死ぬということがどういうことか、妻に何を残せるのか、気持ちにどんな変化が起きるのか」といったことを書き残したいと言いました。そして、死の一か月前から、最後の力を振り絞って本書を書き上げます。なんとか脱稿した後、妻が見守る中、著者は静かに息を引き取ったのでした。



本書には、死を目前にした人間の心境が赤裸々に綴られています。自らの死の準備をし、その過程を書いた著者の覚悟と勇気には心から敬意を表します。特に、著者が自身の葬儀の準備を粛々と進める姿には多くの人が感動するのではないでしょうか。自分の葬儀について考えることは、自分の人生に責任を持つことです。そして、何よりも自分の「生」を肯定することです。「終活」という言葉が流行していますが、著者の葬儀のように、「あの人らしかったね」と言われるような人生の卒業式が今後は増えていく予感がします。



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2017年5月22日 佐久間庸和

小倉高校同窓会

21日の15時から母校である小倉高校の同窓会総会が開催されました。第103回です。
会場は小倉高校の体育館です。今回も、わが社の松柏園ホテルが料理や会場運営を担当しています。学校を訪れると、校舎が新しくなっていたので驚きました。それから、高校生たちが下校しているところに遭遇したのですが、みんな校舎のほうに向かって一礼していました。こんな素晴らしい習慣は、わたしの高校生時代にはなかったので、大変感動しました。


同窓会総会の看板の前で

高校の校門の前で

質実剛健の校風です!

小倉高校の新校舎



小倉高校は、各界で活躍されているOBが多い名門です。
詳しくは、「福岡県立小倉高校出身有名人」を御覧下さい。
少し遅れて会場に入ると、1000人を超える人たちがいて、ものすごい熱気でした。
やはり、年に1回の同窓会総会に来ると、血が騒ぎますね。 おかげさまで料理も好評で、特に“松柏園特製おでん”が大人気。おでんコーナーには長蛇の列が出来ていました。


GO! Go! 小倉高校!!

第103回明陵同窓会総会のようす



高校34期の席に着くと、なつかしい顔が揃っていました。
同級生たちと昔の思い出話をしたり、近況を報告したりしていると、あっという間に時間が過ぎていきます。いつも思うのは、高校の同級生ほど気の合う存在はないということです。なぜなら、出身地が同じ、年齢が同じ、加えて学力もしくはIQがだいたい同じくらい(?)ということで、このように三拍子が揃っているからです。


1000人以上が参集しました

パンフレットの裏表紙にはわが社の広告が・・・



今日は先輩や後輩、そして同級生たちが1000人以上も集まりました。
職業もさまざまで、会社の経営者もいれば、お医者さんも弁護士さんもいる。お坊さんや芸術家の先生だっています。日頃からお世話になっている顔見知りの方にばったり会って、母校が同じだと初めて知ることもしばしばです。多くの方々とお話ししていると、「ああ、良いご縁に恵まれたなあ」と痛感します。今日も、多くの先輩や後輩のみなさんと交流できました。


お楽しみ大抽選会のようす

松柏園からも景品を提供しました



恒例の「お楽しみ大抽選会」も行われました。わが松柏園ホテルからは、今秋に完成予定の新館レストランのペア食事券などの豪華景品を提供させていただきました。総会の最後には、校歌を全員で合唱しますが、いつも胸が熱くなります。
母校の校歌を歌うとき、わたしは「学縁」というものを強く感じます。
そして、校歌斉唱の後は、全員で万歳三唱です。もうサイコー!
当番幹事のみなさん、本当にお疲れ様でした。


22年前、同窓会総会で挨拶しました



今年の当番幹事は高校55期ということですが、わたしは高校34期の当番幹事長でした。
当時のわたしはは32歳でしたが、同級生のみんなと一緒に苦労して同窓会総会をなんとか成功させました。わたしは当番幹事長として壇上で挨拶し、新たに創設した「ひまわり基金」という寄付金の目録を当時の北九州市長であった末吉興一市長にお渡ししました。今ではもうセピア色の思い出ですが、非常に緊張したことを記憶しています。


寄付金の目録を北九州市長にお渡ししました



当番幹事長ですので、わたしには毎年できるだけ多くの同級生を集める使命があります。
正直言ってこれまで苦戦していましたが、今年は予想に反して(?)多くの同級生が集まってくれました。久々に再会した同級生と一緒に飲みながら、ゆっくり語り合う時間は心からリラックスできます。同級生ゆえに余計な気も遣わず、なつかしいあの頃にタイム・トリップできるのです。みなさんも、同窓会の案内が来たら、ぜひ参加されて下さい。きっと、あの頃に置き忘れてきた大切な何かを思い出されるのでは?


「鳥町食堂街」の鰻料理の名店「川淀」の前で

これが川淀の特大うな丼だ!!

うー、こりゃたまらん!



同窓会の終了後は、有志と魚町に繰り出しました。
そこで「鳥町食堂街」に入り、鰻料理の名店である「川淀」を訪れました。冷酒を飲みながら、うまき、うざく、特大うな丼などを頂きましたが、どれも非常に美味しかったです。最近ハードワークでグロッキー気味でしたが、鰻のおかげでエネルギーを注入することができました。



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2017年5月21日 佐久間庸和

結婚記念日

5月20日になりました。今日は、わたしたち夫婦の28回目の結婚記念日です。
今朝、マリエールオークパイン小松の伊藤支配人から「佐久間社長、28回目のご結婚記念日、誠におめでとうございます。社長ご夫妻の、益々のご健康とご多幸をお祈り申し上げます」というメールがガラケー(笑)に届きました。ありがとうございます!


ガラケーに届いた伊藤支配人からのメール



わたしたち夫婦は、1989年5月20日に結婚式を挙げました。
結婚式および披露宴は、小倉の「松柏園ホテル」および八幡の「松柏園グランドホテル」(現在のサンレーグランドホテル)で昼夜2回行いました。わたしが26歳になったばかりで、妻は22歳のときでした。月日の流れる速さに呆然とするとともに、わたしの人生の半分以上を連れ添ってくれた妻に対して、ただただ手を合わせて感謝するばかりです。


結婚28周年祝いの花々

小倉ロータリークラブから贈られた花



ブログ「ダブルでお祝い!」で紹介したように、昨日は小倉ロータリークラブのみなさんから結婚記念日祝いをしていただきました。とても嬉しかったです。そして今日、クラブから結婚記念日祝いの黄色いバラの花束が届きました。その花を眺めながら、「君と我と遙けき旅路 思えば楽し 楽し♪」というロータリーの「結婚記念日の歌」を鼻歌で歌いました。


長女から贈られたカードとプレゼント



それから、東京に住んでいる長女が両親の結婚記念日を祝っていろいろ送ってきてくれました。大きな包みの中には、メッセージ・カードとともに長女手作りのマカロン、それから写真スタンド2台と綺麗なオブジェが入っていました。
遠く離れていても、いつも家族のことを気遣ってくれる長女に感謝です。
今夜は、マカロンを食べながら、この28年間を振り返りたいと思います。



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2017年5月20日 佐久間庸和

ダブルでお祝い!

19日は金曜日なので、 小倉ロータリークラブの例会に参加しました。
もう5月も終盤に入っているというのに、今日は今月最初の例会でした。
月初の例会では、誕生日祝いと結婚記念祝いが行われます。


誕生日祝いと結婚記念祝いが行われました



まずは、5月に誕生日を迎える会員が前に出ました。昨年に続いて、わたしが指名を受け、代表で挨拶をしました。わたしは「54歳になりました。人からは『若いですね』などと言われるのですが、『サザエさん』の波平と同じ年齢と知って、ショックを受けています。ちなみに、フネは52歳、サザエは24歳だそうです。あと何年生きられるかわかりませんが毎日を残りの人生の第一日目と思って、一日一日を真剣に生きていきたいと思います。御指導下さい!」と言いました。つまらない話にもかかわらず、盛大な拍手を頂戴して、恐縮しました。それから、みんなで「誕生日の歌」を歌いました。5月10日生まれであるわたしも前に出て、歌いました。


ウーロン茶で乾杯!



また結婚記念日祝いでは、5月に結婚記念日を迎える会員が前に出ました。
そして、みんなで「結婚記念日の歌」を歌いました。
これまた、5月20日が結婚記念日であるわたしも前に出て歌いました。
その後、メンバー全員でウーロン茶で乾杯しました。それにしても、こうやってクラブのメンバー全員で祝い合うのは素晴らしいことです。わたしは、「祝う」という営み、特に他人の慶事を祝うということが人間にとって非常に重要なものであると考えています。ハートフル・ソサエティとは、「おめでとう」と「ありがとう」が活発に行き交う社会です。ですから、雨が降ろうが風が吹こうが、毎月必ず「おめでとう」と「ありがとう」を全員で言い合っているロータリークラブは、「ハートフルクラブ」でもあるのです。


誕生日祝いに頂いたワイン



ということで、今日はダブルでお祝いしていただきました。
誕生日祝いの記念品として、ワインを頂きました。
また、結婚記念祝いとして、後日自宅に胡蝶蘭が届くそうです。
本当に、ありがたいことです。わたしは、「今日はダブルでお祝いしていただき、ありがとうございました」という内容でニコニコ献金をさせていただきました。



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2017年5月19日 佐久間庸和

教養こそが幸せへの道

17日の夜、東京からスターフライヤーで北九州に戻りました。
18日の北九州は素晴らしい快晴です。早朝から松柏園ホテルの神殿で月次祭が行われました。いつものように、戸上神社の是則神職が神事を執り行って下さいました。祭主であるサンレーグループ佐久間進会長に続いて、わたしが参列者を代表して玉串奉奠しました。


月次祭のようす

一同礼!

玉串奉奠する佐久間会長

わたしも玉串奉奠しました



神事の後は、「天道塾」を開催しました。
最初に佐久間会長が檀上に立ち、簡単な訓話をしました。会長は日本の人口減の問題を取り上げ、今後ますます人口問題と密接に関わる冠婚葬祭業の意義が高くなると述べました。


天道塾のようす

最初に話す佐久間会長

報告する山下執行役員

「温故知新」を提唱しました


それから、山下執行役員が冠婚事業部の方向性について報告しました。
現代日本の冠婚トレンドから、アニバーサリー戦略などを述べ、最後には松柏園の新館建設に言及して、「温故知新」を提唱しました。全体的に前向きの考え方による報告でした。


わたしが登壇しました



そして、わたしが登壇しました。先月は東京出張のために不在でしたので、2カ月ぶりの天道塾です。わたしはまず、山下執行役員の報告に触れ、「前向きな考え方の報告で、良かったです。昨日、稲盛和夫著『考え方』という本を読んだのですが、すべては良い考え方、明るい考え方を持つことが素晴らしい現実を生み出します。わが社は、冠婚葬祭について、互助会について、前向きな考え方を持っていることが強みではないでしょうか」と述べました。


結婚について語りました



続いて、「結婚といえば、眞子さまの御婚約は本当におめでたいお話です。一方で、女性タレントの婚約者に4人(18日現在で判明)もの婚外子がいる報道には驚きました。いくら外見や資産があっても、人は見かけによりません。教養こそが幸せへの道だと思います。わたしにも娘がいますが、結婚にはリスクも付きものだと痛感しました。わたしは先日、誕生日を迎えて54歳になりましたが、『サザエさん』の磯野波平も54歳だと知ってショックを受けました」と言うと、会場から笑いが起きました。


人を祝うということは素晴らしい!「



続いて、ブログ「九州ブロック研修会」で紹介した研修会の話をしました。
「ウエディング・ジャーナル」の北折編集長による「ウェディングビジネス最新動向」の講演がありましたが、「本物」の結婚式場しか生き残れないこと、ブライダルビジネスにとっての婚活事業の重要性などを協調されていました。まったく同感です。
また、研修会後の懇親会でサプライズがありました。
平田研修委員長がマイクを取り、「みなさん、昨日、佐久間ブロック長が54歳の誕生日をお迎えになられました。ぜひ、みなさんでお祝いしたいと思います!」と言ったのです。何も知らなかったわたしは本当にビックリして、感動のあまり涙が出てきました。セルモの安田会長からバースデーケーキ、サニーライフの大西社長から素敵な花束も頂戴し、参加者全員で「ハッピー・バースデー」が声高らかに歌われました。もう、胸がいっぱいになりました。結婚式にしろ、誕生日にしろ、人を祝うということは素晴らしいことです。


儀式の軽視は文化的衰退である!



冠婚から葬祭の話に移りましたが、きちんとした葬儀を行なわずに、後日、「お別れ会」などを開くという最近の風潮に疑問を呈しました。社会的に重要な地位にあった人、いわば公人と呼ぶべき人でさえ、遺族の意向でその死が知らされず、親族のみで葬儀を済ませることが多いです。しかし、「お別れ会」は葬儀とは違います。先日訪れた中国では、共産党政権による贅沢禁止の令より葬儀も簡素化されていますが、日本は別に共産国家でもないのに、国民が勝手に葬儀を簡素化しているわけです。『儀式論』にも書いたように、儀式の軽視は文化的衰退ですから、わたしは日本の将来が不安でなりません。わたしは、日本のためにも「礼」の大切さを中心にした『論語』のテキストを作りたいと思っています。江戸時代の寺子屋で使われた『論語』の教本のアップデートのイメージで、小学校などに寄贈したいと考えています。わたしは、『論語』で日本人を幸せにしたいと考えています。教養こそが幸せへの道なのです。


中国視察の話をしました



論語』とともに、日本人にとっての「こころ」の支えが『般若心経』です。
中国では、西安の観光名所である大雁塔を訪れました。大雁塔は、652年に唐の高僧玄奘三蔵がインドから持ち帰った経典や仏像などを保存するために、高宗に申し出て建立した塔です。玄奘三蔵といえば、その最大の功績は『大般若経』を漢訳したことです。般若経典は150年頃に現在の形の原形が成立したとされます。その後、サンスクリット文字にて文書化され、以後長短様々な般若経典へと発展していきました。


『般若心経』の自由訳について



630年頃、玄奘がインドからそれらの般若経典群を中国へ持ち帰り、さらに玄奘自ら翻訳の指揮を取って4年の歳月を掛けて漢訳しました。こうして、663年に『大般若経』(『大般若波羅蜜多経』)が完成したのです。この膨大な教典を300余文字に要約したものが『般若心経』だとされています。玄奘がインドから持ち帰って漢訳した『大般若経』および『般若心経』が日本に伝わり、日本仏教に多大な影響を与えたことは周知の事実です。
今年の4月8日、ブッダの誕生日である「花祭り」の日に、わたしは『般若心経 自由訳』を完成させました。「空」の本当の意味を考えに考え抜いて、死の「おそれ」や「かなしみ」が消えてゆくような訳文としました。いわば、グリーフケア版『般若心経』です。美しい写真を添え、お盆までには上梓したいと願っています。


玄奘空海に『般若心経』自由訳の完成を報告



中国では、青龍寺も訪れました。中国陝西省の古都、西安市南郊の雁塔区鉄炉廟村にある仏教寺院です。ここは、弘法大師空海ゆかりの寺として知られています。それも、唐代の中国密教の第一人者であった恵果と空海が邂逅した場所なのです。2014年末に監訳書である『超訳 空海の言葉』(KKベストセラーズ)を上梓して以来、ずっと青龍寺を参拝したいと願っていました。じつは、『般若心経』を自由訳するにあたって、わたしは空海の『般若心経秘鍵』をベースに経文を解釈しました。わたしは、大雁塔では玄奘像に向かって、青龍寺では空海記念碑に向かって、『般若心経』自由訳の完成を報告しました。


最後は、もちろん一同礼!



自由訳の内容については、近く、サンレーの営業所会議、紫雲閣の支配人会議および副支配人会議で詳しく話すつもりです。単に暗記して唱えるだけでなく、その『般若心経』の真の意味を共有できれば、わが社にとって大きな力になることでしょう。結果として会社が発展し、社員のみなさんが豊かになり、お客様に感謝されるサービスを提供してくれれば、こんなに素晴らしいことはありません。そう、教養こそが幸せへの道なのです。



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2017年5月18日 佐久間庸和

銀座にて


15日はアジア冠婚葬祭業国際交流研究会&冠婚葬祭総合研究所客員研究員会議、17日は冠婚葬祭文化振興財団評議員会&全互協理事会ということで、16日は会議ラッシュの谷間でありました。わたしは朝から宿泊先のホテルで出版関係の打ち合わせをしました。午前中は、『はじめての論語』(三冬社)、午後は『般若心経 自由訳』(現代書林)、および『未来に遺したい年中行事』(PHP新書)の打ち合わせをしました。


銀座にやってきました

TOKYU PLAZA

TOKYU PLAZAの前で

GINZA6

GINZA6の前で

GINZA6の中で

GINZA6内のビストロ

シャンパンでカンパイ!



夕方からは銀座に出掛けました。有楽町マリオン11Fの「TOHOシネマズ日劇」でディズニーの「美女と野獣」を観て、その後、「TOKYU PLAZA」や「GINZA6」でショッピングを楽しみました。先月オープンしたばかりの銀座最大の大型施設の「GINZA6」は初めて訪れました。ある業界関係者と館内のビストロで待ち合わせし、夕食を共にしました。1週間遅れの誕生日祝いということで、久々にシャンパンも飲みました。とても美味しかったです。



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2017年5月17日 佐久間庸和