『「かたち」の文化論』の書評が産経新聞に掲載

佐久間庸和です。
27日付の「産経新聞」に、十四代今泉今右衛門氏とわたしの対談本である『「かたち」の文化論』(産経新聞出版)の書評記事が掲載されました。内容が素晴らしいです!


2026年9月27日付「産経新聞」

 

記事は「寛容な心を育む源泉」の見出しで、「工芸文化と儀礼文化の接点には何があるのか――。本書は、江戸時代から続く『鍋島焼』の伝統を受け継ぐ人間国宝、十四代今泉今右衛門氏と一般財団法人冠婚葬祭文化振興財団理事長の一条真也氏による異業種対談。日常生活の中に息づく『かたち』や『うつわ』から日本文化の深層に切り込む斬新な文化論だ。『自然と人との共生』こそが伝統工芸の本質と説く今泉氏。自分のわがままが許されず、最後は『自然の力を受け入れざるを得ない』とし、そこから器をつくる陶芸の根本には『受け入れること』=心の寛容がおのずと育まれていく、と話す。日本のこの価値観は今後の国際社会でますます大切になってくる、とも。これに対し、一条氏も人類が持続するための『共生の思想』のモデルは実は日本にあると強調。聖徳太子が提唱した『和』に基づく神道・儒教・仏教の共生文化の重要性を説く。器から始まった対話は縦横無尽に広がり、刺激的な展開をみせる。この他、冠婚葬祭は『日本文化の集大成』、その担い手は『文化の防人』である。AI時代にはますます手仕事の重要性が高まる――など興味深い議論が少なくない。日本文化を考えるヒントが詰まった一冊だ」と書かれています。なお、当日の「産経ニュース」にもWEB記事が配信されました。

「産経ニュース」より

 

 

2026年9月29日 佐久間庸和 拝

佐久間庸和、サンレー杯囲碁祭りで主催者挨拶する 

佐久間庸和です。
27日の日曜日、JR小倉駅近くにあるAIMビル3階で、恒例の「サンレー杯 北九州囲碁祭り団体戦」が盛大に開催。今年はサンレー創立60周年記念のアニバーサリー・イベントです。わたしは主催者として参加しました。

「サンレー杯 北九州囲碁祭り団体戦」のポスター

大会パンフレットの表紙(左)と裏表紙(右)

大会パンフレットを開くと・・・

会場のAIMの前で

賑わう会場入口で

賑わう受付

サンレー抽選会ブース

対戦表をチェックする参加者

 

「 サンレー杯 北九州囲碁祭り団体戦」は、わが社が長年企画を温めていたビッグイベントです。念願かなって、ついに2020年から初めて開催されました。そのときの感動はよく記憶しています。1チーム5名の団体戦、4回戦、ハンディ戦、各自持時間40分で行われます。参加人員は46チーム、230名(20級以上の方で19路盤で碁が打てる方)によって勝敗が競われます。これまで北九州の囲碁イベントはゼンリンやTOTOといった企業が冠イベントを開催してきた歴史がありますが、紆余曲折を経て、わが サンレーが囲碁大会の顔になることができ、感無量です。

控室で、木谷三段&武宮六段と

プロ棋士と囲碁談義をしました


プロ棋士の意見をお聴きしました

グランドカルチャーについて語りました

会場の控室では、2名のプロ棋士(武宮陽光六段、木谷好美三段)といつものように囲碁談義に花を咲かせました。わたしは、もともと囲碁は高齢者に向いた「グランドカルチャー(老福文化)」であると思っているのですが、以前そのことをお話しすると、SUNRAYを意味する陽光という名前の武宮六段は、「まさに、そうだと思います。将棋に比べて、囲碁は負けたときの敗北感が少ないと言われています。その点、将棋の方が勝負論が強いのかもしれませんね」と言われました。将棋は勝敗が一目瞭然ですが、囲碁は(黒白の石を打ちながら)白黒をはっきりとつけません。ストレスの少ない、優しい競技だというのです。「グランドカルチャー」といえば、人間国宝である十四代 今泉今右衛門氏が多大な関心を寄せられていました。わたしはお二人に今右衛門氏との対談本である『「かたち」の文化論』(産経新聞出版)をプレゼントしました。とても喜んでいただきました。

開会式前の会場のようす

さあ、これから開会式です!

来賓として紹介されました

会場に入ると、230名以上の棋士が集結して壮観! 
「熱気ムンムン」という言葉がふさわしいです。10時からの開会式では、わたしは来賓として紹介されました。その後、大会実行委員会の田畑委員長の「開会宣言」に続いて、わたしが「主催者挨拶」を行いました。

開会式がスタート!

 

司会者の紹介を受けたわたしは、登壇して会場に一礼した後、「みなさん、おはようございます! 本日は、サンレー創立60周年記念『2026サンレー杯 囲碁祭り団体戦』に早朝より大勢の皆さまにお集まりいただきまして、誠にありがとうございます。サンレーを代表いたしまして、心より歓迎申し上げます」と言いました。それから、わたしは今年も無事開催することができ、これもひとえに、皆様のご支援の賜物と深く感謝申し上げます。本大会の開催にあたり、ご尽力いただきました関係者の皆さま、そして毎年この大会を楽しみにしてくださっている囲碁愛好家のみなさまに、厚く御礼申し上げます」と申し上げました。

わたしが挨拶しました

 

また、わたしは「囲碁は、仏教の伝来と共に日本に伝わり、長きにわたり親しまれている日本の伝統文化であるとともに、長年の経験を積むことによる『老成』や『老熟』が何より物をいう文化とも言われています。茶道、俳句、能、盆栽、そして――囲碁わたしは、こういった文化を総称して『グランドカルチャー』とよび、八幡西区のサンレーグランドホールという施設を高齢者複合施設として位置づけカルチャー教室などを通して実践しています」と言いました。

人生100年時代を迎えて・・・

 

さらに、わたしは「今、日本は人生100年時代を迎えています。重厚なグランドカルチャーの世界に触れて、これからの長い人生を豊かに過ごしていただくことが、老いるに幸福と書いて、『老福』という、充実した人生を過ごす1つの手段になると思っています。もちろん、囲碁は高齢者だけのものではありません。昨年の大会でも、最年少は5歳、最高齢は94歳と、本当に幅広い世代の方々にご参加いただきました。子どもでも楽しめる。しかし、人生経験を重ねれば重ねるほど、また違った味わいや深みが見えてくる。そこが、囲碁の素晴らしさではないでしょうか」と述べました。


おかげさまで大きな節目を迎えます!

 

それから、「今年、サンレーは創立60周年という大きな節目を迎えます。わたしたちは創業以来、冠婚葬祭を通じて、人と人との『ご縁』を大切にしてまいりました。『人間尊重』を大きな使命として掲げ、良い人間関係づくりのお手伝いをすることを目指しています。囲碁もまた、盤を挟んで人と人が向き合い、一手一手を通じて心を通わせる文化です。そう考えますと、サンレーと囲碁には、『人と人を結ぶ』という共通点があるように思います。創立60周年という節目の年に、こうして囲碁を通じて皆さまと新たなご縁――言ってみれば『碁縁』を結ぶことができますことを、大変嬉しく思っております」と述べました。

「碁縁」という御縁が生まれますように!

 

そして、最後に「本日は団体戦です。仲間と力を合わせながら、勝負は真剣に、そして一日を大いに楽しんでいただきたいと思います。今日という一日が、皆さまにとって、良い対局、良い出会い、そして心ゆたかな思い出となりますことを願っております。競技としては勝敗も大事ですが、老若男女の皆様方に、本日の大会を通じて囲碁仲間やご友人を作っていただき、人生をこれまで以上に豊かにしていただけましたら何よりでございます。『碁縁』という御縁が生まれれば良いですね。参加者のみなさまが普段の実力を大いに発揮し、健闘されることを祈念いたしまして、開催のご挨拶とさせていただきます!」と挨拶しました。最後に一礼すると、万雷の拍手が起こりました。

挨拶を終えて一礼しました

挨拶する武宮六段

挨拶する木谷三段

サンレー創立60周年にお祝いの拍手!

次に登壇した武宮六段が「まずは、大会の開催に大変なご尽力をいただきました株式会社サンレー様に感謝申し上げます」と言われました。武宮六段いわく、「ちょうどコロナの真っ最中の2020年にサンレー様が支援をお決め下さいました。あのとき、日本中の囲碁大会が中止になったのですが、日本でも唯一、この大会だけが一度も途切れずに存続することができました。まさに、奇跡の大会です! 本当に心より感謝しております」と言われました。その後、木谷三段が登壇されて、「松柏園のおせち料理は最高でした。サンレー様が創立60周年ということで、みんなでお祝いを申し上げましょう!」と言って、「サンレー創立60周年・・・」と言うと、なんと会場にいた全員が大きな声で「おめでとうございます!」と言って拍手をしてくれたではありませんか! わたしが感激したことは言うまでもありません。思わず「ありがとうございます!」と言って立ち上がり、深々と一礼しました。

対局がスタート!

熱戦が繰り広げられました!

熱戦が繰り広げられました!

武宮六段も参戦!

木谷三段も参戦!

子ども棋士も参戦!

 

10時20分から競技が開始されました。広い会場内の各所で熱戦が繰り広げられました。プロ棋士の方々も参戦されましたが、その対局には人だかりが出来ていました。チビッ子たちも多かったですが、今回は41人もの子ども棋士たちが参加してくれました。子ども棋士を見るたびに、わたしはいつもブログ「ファヒム パリが見た夢」で紹介した実在のチェスの天才少年を描いたフランス映画を思い出しました。

優勝した「御器曽七段門下生」チーム

武宮六段による総評

木谷三段による総評

挨拶するサンレーの山下常務

こども棋士には参加賞が!

今年の優勝チームは「ルミナス」でした。参加者230名中、子ども棋士(中学生以下)が30名いました。子ども棋士のみなさん全員に拙著『こども冠婚葬祭』(昭文社)をプレゼントすると、大喜びでした。こうして、この日の「サンレー杯 北九州囲碁祭り団体戦」は、大盛況のうちに幕を閉じました。わが社は、今後とも囲碁という素晴らしい日本の伝統文化を少しでも広められるように、また、みなさまが心ゆたかな生活を送ることができるよう微力ながらお手伝いを続けたいと考えております。 

子ども棋士全員に『こども冠婚葬祭』をプレゼント!

 

5歳から94歳までの参加者が集まった今年の「サンレー杯 北九州囲碁祭り団体戦」も、参加者のみなさまの碁縁を育み、ウェルビーイングにも確実に寄与していると信じます。詳しくは、拙著『ウェルビーイング?』(オリーブの木)をお読み下さい。最後に、ご参加の皆様、プロ棋士の先生方をはじめ、関係各位の皆様に心より御礼を申し上げます。ありがとうございました!

『ウェルビーイング?』(オリーブの木)

 

*よろしければ、佐久間庸和ブログもお読み下さい!

 

2025年9月28日 佐久間庸和拝

佐久間庸和、「月への送魂」に合掌する

「月への送魂」を背景に

 

佐久間庸和です。
9月25日の夜、ブログ「リメンバー・フェス」で紹介したように、盆踊りの後、わたしは浴衣姿で櫓の上にあがり、ご来場のお客様に主催者挨拶をしました。この日は「中秋の名月」でしたが、あいにく夜空には月が見えません。

櫓の上で主催者挨拶をしました

供養の話をしました

 

すると、MCから「「社長、この後は“月への送魂”も行っていただけると伺いましたが・・・・・・?」の言葉がありました。そうです。今夜、盆踊りの後に行われるのが、このフェスの“クライマックス”とも言えるセレモニー、「月への送魂」です。夜空に浮かぶ月を目指して、故人の魂をレーザー(霊座)光線に乗せて送る新時代の「月と死のセレモニー」です。故人への想いを“光の矢”に乗せて月へと届ける儀式であり、宗教や形式にとらわれず、誰でも気持ちを届けられる「新しい供養のかたち」です。

「月への送魂」について話しました

大切だった人を思い浮かべて下さい!

 

それから、わたしは「会場にいらっしゃるみなさまへ、お願いです。どうか今、この場で、あなたにとって大切だった人を、心の中でそっと思い浮かべてください。『ありがとう』でも、『会いたいよ』でも、なんでもいいです。その気持ちを、夜空に向けて、光に込めていただけたらと思います。このあと始まる『月への送魂』では、みなさまの想いが光となって、夜空に放たれます。きっと、月の向こうにいる『あの人”に届くと信じています。本日は、本当にありがとうございました。このあとは、どうぞご一緒に──光の祈り、『月への送魂』をご覧ください。ありがとうございました」と述べたのでした。

「月への送魂」ムービーを上映


月は「死」と「再生」のシンボル

月は「魂の理想郷」である!

 

それにしても、なぜ、月に魂を送るのか? 
この質問は、これまで数え切れないほど受けてきました。その答えは、月は死者の霊魂が赴く死後の世界だからです。多くの民族の神話と儀礼において、月は死、もしくは魂の再生と関わっています。規則的に満ち欠けを繰り返す月が、死と再生のシンボルとされたことは自然です。わたしは『慈経 自由訳』(現代書林)も上梓しましたが、「月の経」の別名を持つ「慈経」を重視するミャンマーなどの上座部仏教の国々では今でも満月の日に祭りや反省の儀式を行います。仏教とは、月の力を利用して意識をコントロールする「月の宗教」だと言えるでしょう。仏教のみならず、神道にしろ、キリスト教にしろ、イスラム教にしろ、あらゆる宗教の発生は月と深く関わっています。

『慈経 自由訳』(現代書林)



科学的事実から見てみ、わたしたちの肉体とは星々のかけらの仮の宿です。入ってきた物質は役目を終えていずれ外に出てゆく、いや、宇宙に還っていくのです。宇宙から来て宇宙に還るわたしたちは、宇宙の子なのです。そして、夜空にくっきりと浮かび上がる月は、あたかも輪廻転生の中継基地そのものではないでしょうか。人間も動植物も、すべて星のかけらからできています。その意味で月は、生きとし生ける者すべてのもとは同じという「万類同根」のシンボルでもあります。かくして、月に「万教同根」「万類同根」のシンボル・タワーである「月面聖塔」を建立し、レーザー(霊座)光線を使って、地球から故人の魂を月に送るという計画をわたしは思い立ち、実現をめざして、各所で構想を述べ、賛同者を募っています。


あの月に魂を送る!

「月への送魂」が始まる!

魂弓を持った神職が登場!

庸軒道歌が披露されました

 

「月への送魂」のプレ・ムービーが流れた後、皇産霊神社の神職が登場、魂弓(たまゆみ)を射って、送魂の儀を行いました。「魂弓を祈りを込めて引きつらむ 光の矢をば月に送らむ」という庸軒道歌が披露されました。そして、第一子を授かったばかりの瀬津神職が持つ神弓から発せられたレーザー(霊座)光線が夜空の月に到達すると、満場のお客様から盛大な拍手が起こりました。

固唾を呑んで見守りました


空が明るくなってきた!


月が一瞬見えました!

矢に魂を込めて月を射る!

 

この日の空は曇りで月が見えなかったのですが、わたしは諦めませんでした。だんだん空が明るくなってきたからです。魂弓を持った神職が登場し、夜空に光の矢を放った瞬間、なんと厚い雲の切れ目から月が姿を見せました。わたしは2年前の「月への送魂」の当日に亡くなった父の顔が見えたような気がしました。昨年、父の魂を月に送りましたが、今夜、父が力を貸してくれたように思えてなりません。しかも、翌26日は父の91回目の誕生日なのです。わたしは胸が熱くなり、思わず合掌しました。

思わず合掌しました


月に向かって祈りました

 

「月への送魂」は、21世紀にふさわしいグローバルな葬儀の“かたち”であると思います。何より、レーザー光線は宇宙空間でも消滅せず、本当に月まで到達します。わたしは「霊座」という漢字を当てましたが、実際にレーザーは霊魂の乗り物であると思います。「月への送魂」によって、わたしたちは人間の死が実は宇宙的な事件であることを思い知るでしょう。新時代のセレモニーである「月への送魂」は、『ロマンティック・デス〜月と死のセレモニー』(国書刊行会)、『ロマンティック・デス~月を見よ、死を想え』(幻冬舎文庫)をはじめとして、『葬式は必要!』や『ご先祖さまとのつきあい方』(ともに双葉新書)、『決定版 終活入門』(実業之日本社)、『墓じまい・墓じたくの作法』(青春新書インテリジェンス)、『永遠葬』(現代書林)、『唯葬論』(三五館、サンガ文庫)、宗教学者の島田裕巳氏との共著『葬式に迷う日本人』(三五館)、『人生の修め方』(日本経済新聞出版社)、『人生の四季を愛でる』(毎日新聞出版)、『葬式不滅』(オリーブの木)、『供養には意味がある』(産経新聞出版)でも、昨年33年ぶりに復活を遂げた『ロマンティック・デス 死をおそれない』(オリーブの木)でも、戦後80年の記念出版である今年8月刊行の『死者とともに生きる』(産経新聞出版)でも紹介。今では、すっかり多くの人たちに知っていただきました。

 

 

「月への送魂」の終了後は、多くの方々から「月が出現して感動したけど、儀式が本当に素晴らしかった」「月が死後の世界というイメージが素晴らしい!」「これで寿命が延びた」「なつかしい故人に会えた気がした」などのお言葉を頂戴し、わたしの胸は熱くなりました。父も、きっと喜んでくれたのではないかと思います。わたしは、「死は不幸ではない」ことを示す「月への送魂」の普及に、死ぬまで、そして死んだ後も尽力したいです。

これが「月への送魂」だ!!



2026年9月27日 佐久間庸和拝

佐久間庸和、リメンバー・フェスで主催者挨拶する

「リメンバー・フェス」に参加しました!

 

佐久間庸和です。
25日の夜、北九州市八幡西区折尾のサンレーグランドホールで、秋のイベントが盛大に開催されました。3年前までは「隣人祭り・秋の観月会」という名称でしたが、2年前からは「リメンバー・フェス」としてアップグレード。ただし、その年は父が緊急搬送されたため、参加は叶いませんでした。その3日後に父は旅立ちました。

「リメンバー・フェス」のチラシ

サンレーグランドホールの前で。空に「中秋の名月」が!

サンレーグランドホールの案内板

ロビーの「月面聖塔」模型を背に

受付が大賑わいでした!

受付の前で

ガラポン抽選会

射的

エアダーツ

ヨーヨーつり

各種の屋台が並ぶ

各種の屋台が並ぶ

ドリンク、いかがですか?

 

この日は、射的、ヨーヨーつり、エアダーツなども出店して「縁日」気分を盛り上げていました。また、屋台(外部キッチンカー)として、ハンバーガー、やきとり、やきそば、ドリンク。屋台(社内テント)では、たこ焼き、フライドポテト、ポップコーン、かき氷なども出店しました。


浴衣に着替えました

「祭」の大団扇を持って

キッズダンス

キッズダンスで大盛り上がり!

魅惑のフラダンス

フラダンスは死者を供養するための踊り

 

さらに、ステージイベントとして、キッズダンス~BOOZER CRiB、日本舞踊、フラダンスも行われ、お祭りに華を添えていました。総合芸術であると同時に宗教的な行為でもあるハワイの伝統的な歌舞音曲「フラ」。フラにはダンス、演奏、詠唱、歌唱の全てが含まれます。美しく幻想的な「フラ」の魅力を堪能しました。月あかりの下で繰り広げられるフラダンスは、まるで天女の舞のようでした。ちなみに、フラダンスは死者を供養するためのハワイの踊りです。日本でいえば「盆踊り」と同じなのです。

 

「リメンバー・フェス」というのは、拙著の書名でもありますが、ブログ「リメンバー・ミー」で紹介したディズニー&ピクサーの2017年のアニメ映画からインスパイアされたネーミングです。「リメンバー・ミー」は第90回アカデミー賞において、「長編アニメーション賞」と「主題歌賞」の2冠に輝きました。過去の出来事が原因で、家族ともども音楽を禁止されている少年ミゲル。ある日、先祖が家族に会いにくるという「死者の日」に開催される音楽コンテストに出ることを決めます。伝説的ミュージシャンの霊廟に飾られたギターを手にして出場しますが、それを弾いた瞬間にミゲルは死者の国に迷い込んでしまいます。カラフルな「死者の国」も魅力的でしたし、「死」や「死後」というテーマを極上のエンターテインメントに仕上げた大傑作です。



「リメンバー・ミー」を観れば、死者を忘れないということが大切であると痛感します。わたしたちは死者とともに生きているのであり、死者を忘れて生者の幸福など絶対にありえません。最も身近な死者とは、多くの人にとっては先祖でしょう。先祖をいつも意識して暮らすということが必要です。拙著『ご先祖さまとのつきあい方』(双葉新書)にも書きましたが、わたしたちは、先祖、そして子孫という連続性の中で生きている存在です。遠い過去の先祖、遠い未来の子孫、その大きな河の流れの「あいだ」に漂うもの、それが現在のわたしたちにほかなりません。

大盆踊り大会がスタート!

月下の盆踊りが正統なのだ!

老若男女が踊る!


亡き人を偲びながら踊る


リメンバー・フェスは「秋祭り」と言いたいところですが、まだまだ気温が高くて「夏祭り」といった印象です。夏祭りといえば、「盆踊り」の存在を忘れることはできません。日本の夏の風物詩ですが、もともとはお盆の行事の1つとして、ご先祖さまをお迎えするためにはじまったものです。今ではご先祖さまを意識できる格好の行事となっています。盆踊りというものは、生者が踊っている中で、目には見えないけれども死者も一緒に踊っているという考え方もあるようです。照明のない昔は、盆踊りはいつも満月の夜に開かれたといいます。その意味で、このリメンバー・フェスでの盆踊りは正統なのです。

櫓に上がって挨拶しました

死者とともに踊る!

 

この日、わたしは浴衣を着て盆踊りの櫓の上にあがって、主催者挨拶をしました。わたしは、「みなさま、『リメンバー・フェス』にご参加くださり、ありがとうございます。ただいまの盆踊り、素晴らしかったですね。浴衣姿で踊るお子さん、手拍子を送ってくださったご年配の方々、そして踊りながら空を見上げる、皆さまの表情がとても美しくて・・・・・・胸がいっぱいになりました。この『盆踊り』という文化は、もともとお盆の時期にご先祖さまをお迎えし、一緒に踊るという行事でした。今夜のこの踊りは、まさに“亡き人と生きている人が心を通わせる時間”だったと、わたしは思います」と述べました。

亡き人を想いながら、いまを楽しむ


ロックコンサートみたいになりました♪

 

それから、わたしは「さて、この『リメンバー・フェス』は、家族や友人、地域の人たちと集まって、亡き人を想いながら、いまを楽しむという、ちょっと新しい形のお祭りです。英語で“Remember”、つまり『思い出す』。大切な人のこと、心に残る出来事を思い出して、感謝の気持ちを伝える。それがこのフェスの名前に込めた願いです。射的やヨーヨー、屋台にキッズダンス、フラダンスなどなど、楽しいことを通して、わたしたちは自然と“あの人”を思い出します。一緒に過ごした時間、かけてもらった言葉。心の奥に残っている“あの笑顔”。それこそが、今を生きる力になると、わたしは信じています」とも言いました。

『愛する人を亡くした人へ』 (PHP文庫)

 

昨年1月に公開された映画「君の忘れ方」の原案である拙著『愛する人を亡くした人へ』(現代書林・PHP文庫)でも紹介しましたが、アフリカのある部族では、死者を二通りに分ける風習があるそうです。人が死んでも、生前について知る人が生きているうちは、死んだことにはなりません。生き残った者が心の中に呼び起こすことができるからです。しかし、記憶する人が死に絶えてしまったとき、死者は本当の死者になってしまうのです。誰からも忘れ去られたとき、死者はもう一度死ぬのです。映画「リメンバー・ミー」の中でも、同じメッセージが訴えらえました。

夜の縁日も大盛況!

これがリメンバー・フェスだ!

 

わたしたちは、死者を忘れてはなりません。それは死者へのコンパッションのためだけではなく、わたしたち生者のウェルビーイングのためでもあります。映画「リメンバー・ミー」から発想された「リメンバー・フェス」は、なつかしい亡き家族と再会できる祝祭ですが、都会に住んでいる人が故郷に帰省して亡き祖父母や両親と会い、久しぶりに実家の家族と語り合う祝祭でもあります。そう、それは、あの世とこの世の誰もが参加できる祭りなのです。日本には「お盆」、海外には「死者の日」など先祖や亡き人を想い、供養する習慣がありますが、国や人種や宗教や老若男女といった何にもとらわれない共通の言葉として、わたしは「リメンバー・フェス」を提案しました。

R&Rツインブックス

 

本日は超満員の人出で、熱気もすごかったようです。月を一方的に愛でるのではなく、月明かりの下で死者も含めた皆で笑い合う、縁に満ちた空間の創出。長年のわが理想が実現したことは、「秋の観月会」から「リメンバー・フェス」へのアップデートの最大の意義でした。この日、この場にいた皇産霊神社の瀬津隆彦権宮司は、「今回のアップデートを通じまして、先祖を迎えて歓待し、そして送り出すというストーリーが完成したように思います。こちらは日本で言うなら同じ構造を持つお盆・お彼岸をアップデートしたものとして、年中行事の新たな歴史を刻まれたものではないでしょうか」との感想を寄せてくれました。将来、ニュースなどで「今日は世界共通のリメンバー・フェスの日です」などと言われる日を夢見ています。この後は瀬津権宮司が祭司を務める「月への送魂」が行われます。そう、今夜は『ロマンティック・デス』『リメンバー・フェス』のR&Rツインブックスのリアル・イベントなのです。この日は最新刊の『死者とともに生きる』(産経新聞出版)も販売し、よく売れました。ということで、次はいよいよ、「月への送魂」です!

書籍販売コーナーで


『こども冠婚葬祭』が大人気でした!


みなさん、お買い求め下さい!



2026年9月26日 佐久間庸和 拝

戦争はグリーフの発生装置 「国際死者デー」で世界平和を!

佐久間庸和です。
わが社では、サンレーグループ報として「Ray!」を発行し、全社員に配布しています。創業以来、「和のこえ」「Well-Being」「Ray!」と誌名を変えながらも60年続いてきましたが、今年いっぱいで紙の社内報は役目を終えることになりました。最後の1年間だけは、冒頭に登場するわたしのメッセージをご紹介しています。

「Ray!」2026年9月号の表紙

「Ray!」2026年9月号

 

2026年9月度社長講話
戦争はグリーフの発生装置
「国際死者デー」で世界平和を!

 

●「国際平和デー」とは何か
先月は、平和と平等を実現する器としての「平器」についてお話しました。「冠婚葬祭業は平器産業だ!」とも言いました。わたしたちの仕事には、「結婚は最高の平和である」と「死は最大の平等である」という二大理念が込められているのです。今月は、平器産業としての発想から戦争をなくすための方法を考えてみたいと思います。
9月21日は「国際平和デー」です。10月21日の「国際反戦デー」とは違います。「平和の日」(Peace Day)、または「世界平和の日」(World Peace Day)とも言いますね。記念日の日付は、当初は国連総会の通常会期の開催日である9月の第3火曜日でしたが、2002年(平成14年)からは9月21日に固定されました。「国際平和デー」の目的は、すべての国・全ての人々にとって共通の理想である国際平和を記念し、推進することです。



●日本の「平和の鐘」が鳴る
国際平和デーは、国連が定めた国際平和を記念・推進する日であり、世界中の人々に対して停戦と非暴力、そして敵対行為の停止を呼びかけ、平和の大切さや尊さを考えるきっかけとなることを目的としています。
9月21日は国連本部で「平和の鐘」を鳴らす特別行事が行われるほか、世界各地で平和を願う活動が展開されます。毎年この日には、国際連合本部で日本の「平和の鐘」が鳴らされます。この鐘は1951年、第6回パリ国連総会で、日本国連協会理事で元愛媛県宇和島市長の中川千代治氏が「国を越え宗教の違いを越えて、平和を願う世界の人々のコインを入れた平和の鐘を造りたい」と当時の国連加盟国に訴え、趣旨に賛同した65ヶ国の代表者からのコインとローマ法王ピオ12世から頂いた金貨9枚を入れて鋳造し、日本国連協会を通して国連に寄贈されたものです。鐘には、「世界絶対平和万歳」と鋳込まれています。



●広島からのメッセージ
昨年は、世界で初めて核兵器が使用された広島原爆投下から80年目の年でした。広島市が中心となる平和首長会議は全世界に向けて平和を呼びかけるメッセージを発信しました。メッセージを寄せたのは県被団協の理事長や次代を担う若者など広島で平和活動に取り組む団体の方々で、広島から平和への思いを世界へ発信し平和について考えてほしいと平和首長会議が制作したのです。
広島では2012年から、平和首長会議の主催で被爆者や高校生などが平和公園で記念の集会を開いてきましたが、高齢化する被爆者の健康面も配慮し集会に替わる、より波及効果の高い取組みを模索しました。昨年から新たに世界に向けたメッセージの発信することになったそうです。
わたしは、「国際平和デー」は素晴らしい活動だと思います。特に、世界で初めての被爆国であり、現在のところは唯一の核兵器が使われた国でもある日本の「平和の鐘」が鳴らされることに大きな意義を感じます。



●「国際死者デー」の提案
明仁上皇陛下は6月23日の「沖縄慰霊の日」、8月6日の「広島原爆の日」、8月9日の「長崎原爆の日」、8月15日の「終戦の日」を日本人として決して忘れてはならない日と述べておられます。
終戦80年の昨年、わたしは沖縄・広島・長崎を訪れ、祈りを捧げることができました。「終戦の日」だけは父の初盆があったため、残念ながら東京に行けませんでした。
「国際平和デー」は人類の存続に不可欠な記念日ですが、わたしは、その前日にも記念日を置いてはどうかと思います。ずばり、「国際死者デー」です。
9月の日本には「秋彼岸」がありますが、他にも「春彼岸」や「盆」といった死者を想う日があります。世界には、キリスト教圏の「ハロウィン」やメキシコの「死者の日」といった死者のための日もあります。それらの共通の日として、9月20日を「国際死者デー」とすればいいと思うのです。
なぜなら戦争の本質とは「死者の大量発生装置」であり、すなわち「グリーフの大量発生装置」だからです。「グリーフケアが普及すれば、最大の戦争抑止力になる」というのはわが持論であります。順番からいうと、死者の追悼を経ての平和の記念日ではないでしょうか。最初に国際的に戦争犠牲者をはじめとする死者を追悼してから、その翌日、世界中の人々が平和の祈りを捧げると良いでしょう。



●死者を忘れてはならない
わたしたちは、死者を忘れてはなりません。それは死者へのコンパッションのためだけではなく、わたしたち生者のウェルビーイングのためでもあります。映画「リメンバー・ミー」から発想された「リメンバー・フェス」は、なつかしい亡き家族と再会できる祝祭ですが、都会に住んでいる人が故郷に帰省して亡き祖父母や両親と会い、久しぶりに実家の家族と語り合う祝祭でもあります。
そう、それは、あの世とこの世の誰もが参加できる祭りなのです。国や人種や宗教や老若男女といった何にもとらわれない共通の言葉として、わたしは「リメンバー・フェス」という言葉を唱えていますが、新たに「国際死者デー」の設定を提案いたします。今年は9月25日に サンレーグランドホールで開催されますが、その延長線上に「国際死者デー」があります。もうすぐサンレーの平器が100となりますが、儀式が行われる 平器の願いとは、世界平和と人類平等です。この素晴らしい仕事に誇りを持って、日々の業務に励んでいただきたいと思います。

 

戦とは悲しみを生む器なり
  亡き人しのび平和祈らん 庸軒

 

2026年9月25日 佐久間庸和拝

「冬の小鳥」

佐久間庸和です。2010年のフランス・韓国合作映画である「冬の小鳥」を紹介します。東京出張中に神保町の岩波ホールで鑑賞しました。東京滞在中は、なるべく東京でしかできない体験を心がけています。ネットでの評価が高かったので観たのですが、素晴らしい感動作でした。



ヤフーの「解説」には、こう書かれています。
「『シークレット・サンシャイン』のイ・チャンドン監督が脚本を気に入り、プロデュースを買って出た感動作。父親に置き去りにされた事実を受け入れられない少女の悲しくも切ない失意の日々と、そこからの再生のドラマを力強く描く。監督は、自身も養子として韓国から渡仏した経験を持つ新星のウニー・ルコント。主演は、これが映画初出演となるキム・セロン。彼女の存在感と情感あふれる演技が、観客の心をわしづかみにする」

 

ヤフーの「あらすじ」は、以下の通りです。
「1975年、よそ行きの格好をした9歳のジニ(キム・セロン)は、父(ソル・ギョング)と一緒にソウル郊外にあるカトリックの児童養護施設の門をくぐる。彼女がシスターに施設の案内をしてもらっているうちに、父親は黙って去って行ってしまう。そのことにショックを受けたジニは食事にも手をつけず、周囲に溶け込むことも頑として拒んでいた」

 

本作の舞台は、1975年の韓国ソウル郊外です。9歳の少女ジニはよそ行きの服を着せられて、大好きな父と一緒に旅に出ます。しかし、旅行のつもりで連れてこられた場所は、児童養護施設でした。「わたしは孤児じゃない! パパが必ず迎えに来る」と強く父を信じるジニは、新しい環境や周囲に決して馴染もうとせず、反発と抵抗を繰り返します。しかし、そのうちに11歳の少女スッキには心を許すようになります。仲良くなった2人は一緒にアメリカへ養子に貰われていくことを夢見るのですが、結局はスッキだけが旅立っていきます。ジニは再び孤独になるのです。



とにかく観ているだけで、たまらない気分になる作品です。ラストシーンが切なく、涙を押さえられません。映画の中に神父の説教の場面が出てくるのですが、「父よ、なぜ、わたしをお見捨てになったのですか」というイエスの叫びが紹介されます。この叫びは、まさにジニの心の叫びそのものでした。映画パンフレットに寄稿している映画評論家でフランス文学者の野崎歓氏は、「どの場面からも、おびえ、怒り、悲嘆に暮れる子どもの心の震えがひしひしと伝わってくる」と書いています。親に捨てられた少女の姿に、誰もが涙を誘われるでしょう。

 

救いになっているのは、この映画には悪人が出てこないことです。施設の園長をはじめ、神父やシスターたち、施設で働くスタッフ、里親になるアメリカ人夫妻にいたるまで、登場する大人たちはすべて善人として描かれています。ジニを捨てる父親でさえも、悪人としては描かれていません。そして、こういった作品にありがちな子ども同士のいじめもありません。施設の子どもたちは、みな、善意の贈り物であるケーキや玩具などに大喜びし、養子が決まった仲間を笑顔で送り出してあげます。養子となって施設を出てゆく子どもには、残される子どもたちがみな整列して、日本でいう「蛍の光」を歌います。このセレモニーの場面は、映画の中で何度も登場しました。切ないといえば切ないシーンですが、一種の通過儀礼あるいは卒業のセレモニーとして非常に興味深かったです。



この映画は、実際に韓国から養子としてフランスへ渡ったウニー・ルコント監督の実体験から生れているそうです。ルコント監督は、「ほとんどの部分は創作だが、9歳だったときの心のままに書いた」と語っています。そのため、主人公ジニの感情の動きをはじめ、強烈な説得力のある作品に仕上がっています。また、この映画に悪人が登場しないのは、過酷な現実の中にあっても、あくまで人間を信じようとするルコント監督の祈りのようなものかもしれません。韓国語の原題は「旅行者」ですが、日本版タイトルは「冬の小鳥」となりました。実際、この映画には傷ついて死にそうな小鳥が登場します。野崎氏は、この小鳥について「傷ついた小鳥が、冬の日、冷たい雨に打たれてふるえている。濡れそぼち、羽をけば立ててふくらんだ姿がたまらなくいじらしい。少女二人が小鳥を介抱し、餌を与え、助けてやろうとする。だが実際のところ、彼女たち自身、ほとんどその小鳥と変わらない身の上なのである。どうして空から堕ちてきたのか小鳥が知らないのと同様、自分たちはなぜ父母に見捨てられてこの場所にいるのか、彼女たちには理解できないのだ」と書いています。

 

やがて、スッキとジニの介抱も空しく、衰弱した冬の小鳥は息絶えます。2人は児童養護施設の庭に小鳥のお墓を作るのですが、その場面はかのフランス映画の名作「禁じられた遊び」を連想させました。こんなところにも、躍進著しい韓国映画と伝統あるフランス映画の合作の成果が出ているように思いました。映画には、スッキが旅立った後に残されたジニが小鳥を埋葬したように、庭に穴を掘って自分で自分を埋葬しようとするシーンがあります。わたしは、こんなに悲しいシーンは観たことがありません。ある意味で映画史上において、子どもの悲しみが最高に表現された名場面ではないでしょうか。

 

さて、わたしはこの映画を観ながら、次女のことをずっと考えていました。本作を観た2010年当時、次女は10歳でした。9歳のジニと11歳のスッキのちょうど間です。そして、ジニはまだ子どもであり、スッキは大人への入り口に立っています。わたしは、これから成長して大人になってゆくわが娘の幸せを願うことはもちろん、世界中の児童養護施設にいるであろう彼女と同年代の子どもたちのことを考えました。ジニは75年に9歳なら、66年生まれということになります。ということは、わたしの妻と同い年であることに気づきました。ルコント監督自身も妻と同年齢なわけですが、そう思うと、この映画がいっそう近くに感じられました。

 

また、わたしは高校3年生の長女のことも考えました。長女はボランティアや福祉に関心があるようで、これまでホームレスの人たちへの炊き出しや児童養護施設への訪問などに積極的に参加してきました。さらには、わが社がサポートしている「隣人祭り」なども手伝ってきました。2010年当時は大学生でしたが、「大学では、社会の構造について学びたい。そして将来は、少しでも社会が良くなる仕事がしたい」と言っており、最近はヴェーバーやドラッカーの本なども読んでいます。昨日、「なぜ、この社会には恵まれない人たちがいるのか」というテーマで長女が書いた小論文を読みました。これは、父親であるわたしもずっと考えてきたテーマです。

 

わが社では、毎年11月18日の創立記念日に、北九州市内の老人施設にお菓子などをお配りしているのですが、同時に市内の児童養護施設にもお菓子や文房具などをお配りしています。児童養護施設には、親がいないお子さん、または何らかの事情で親と離れて暮らしているお子さんが生活しています。人数が多いので、文房具なども不足しがちなようです。あるとき、クレヨンのセットをお配りしたことがあるのですが、しばらくして社長であるわたし宛にお礼状と一枚の絵が届きました。その絵には大きな赤い花が描かれていました。

 

手紙を読むと、そこには「今までクレヨンのセットが園に一つしかなかったので、赤などはすぐ減ってしまって使えなかった。自分は赤い花の絵が描きたかったのだけれど、描くことができなかった。サンレーさんが新しいクレヨンをたくさんプレゼントしてくれたので、やっと描くことができます。最初に描いた絵は、社長さんにプレゼントします」といった内容が書かれていました。わたしは、この手紙と赤い花の絵を前にして涙がとまりませんでした。このモノ余りの世の中で、このお子さんたちはなんとモノを大切にし、また感謝の気持ちというものを持っているのだろうと思って感動したのです。いくら親がいても感謝の気持ちを持たず、わがまま放題の子どもはいくらでもいます。このお子さんたちを育てている園の先生たちに心から尊敬の念を抱きました。

                            
2009年4月30日付「読売新聞」朝刊


また、北九州市にサーカスが来たときは、市内の児童養護施設のお子さんたちを全員招待することにしています。最近、木下サーカスが来たときも一日の興行を借り切って、お子さんたちを招待させていただきました。みんな非常に喜んでくれました。わが社には数え切れないほど多くのサーカスの絵とお礼の手紙が届いたことは言うまでもありません。それを、わたしが読み、社内報に掲載して全社員も読みます。みんな、感動します。自分以外の誰かの「こころ」と自分の「こころ」がつながったことに感動するのです。本当は、自分の子どもだけでなく、世の中の子どもはみんな自分たちの子どもであるはずです。この映画を観て、わたしは「子どもたちに何ができるのか」と考えました。

 

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2026年9月24日 佐久間庸和拝

『論語の智恵 一日一話』

童門冬二の 論語の智恵一日一話

 

佐久間庸和です。
『論語の智恵 一日一話』童門冬二著(PHP研究所)を紹介します。
著者は東京都庁に勤め、広報室長、企画調整局長などを歴任して退職した人です。歴史の中から現代にも通ずるものを描く作家として知られています。



本書の「まえがき」の冒頭は、「わたしが『改めて論語を勉強しなおそう』という気持ちを持ったのは“EQ”という言葉によってだ」という一文ではじまります。EQ(Emotionarl Intelligence  Quotient)とは、企業や組織の成果を大きく左右するものとして、近年、大きな注目を集めている能力です。EQは「感情知能」「こころの知能指数」とも呼ばれていますが、わかりやすく言うと、「この人なら、信頼できる」「この人と一緒に仕事がしたい」と感じる人間的魅力と言い換えることができます。



人は論理だけでは動かないのです。EQの発揮は人間的魅力として行動に表われ、その人の周りには人材が集まり、組織のエネルギーを生み出し成果の出せる環境を作り上げます。「この人と仕事がしたい」「この人のために頑張りたい」と思わせる人の能力にはIQ(Intelligence Quotient)つまり知能指数だけでなく、EQという能力が大きく貢献しているのです。一方で、知識が豊富でスキルが高いにもかかわらず、「この人とは仕事をしたくない」と感じたり、一緒に仕事をすることが苦痛だった経験は誰にもあるはず。このようにIQがいくら高くても、EQの発揮が上手くできなければビジネスはもちろん、社会での成功は難しいと言えます。



EQ理論は1990年にアメリカで生まれました。日本では、1995年に刊行されたダニエル・ゴールマン著『EQ―こころの知能指数』がベストセラーになったことによって、一躍その名が広まりました。著者は、EQのメッセージは「知に対する情の復権」が目的であり、「知と情の二人三脚の必要性」の提起であると喝破します。そして、EQについての「どれだけ自分が相手の立場に立てるか、自分の持っているやさしさ・思いやりの量を示す指数」という説明文を読んだとき、一瞬、アッケにとられ、そしてすぐに笑いだしたそうです。それは、おかしかったからではなく、うれしかったからでした。



何がうれしかったかというと、孔子が『論語』の中で「それ恕か」と述べているからです。「恕」を漢和辞典で引くと、「ゆるす」という意味をはじめ、「他人への思いやり、自分の心を他人の心におよぼす同情心。自分のことのように他人のこと(気持ち・立場)をおしはかる気持ち」とありました。
古代中国の孔子が唱えた「恕」の意味がEQとまったく同じであることを知った著者は、思わず「ヤッター!」と叫んだそうです。



そして、著者は「孔子はEQの必要性を2600年も前に強調している。この恕を起爆剤に、もういちど『論語』のなかから、だれかさんのお役に立てる身近な言葉を探させてもらおう」と思い立ち、本書を書いたのだそうです。本書には、1年分、365の『論語』の言葉が紹介されています。著者は、『論語』の魅力について「『論語』は言葉の宝石の山だ。しかも深く坑道を掘らなくても、ちかづけば露天掘でその宝石が得られる。孔子は鉱山の所有権など主張しない。だれがどこを掘ろうと容認する。それこそ、「恕だよ」なのである。そのかわり特定の人の所有権も認めない。いつでも、だれにでも掘ることを認める全方位対応だ。あらゆる人間を愛するはかりしれないヒューマニズムだと言っていい」と述べています。

 

 

本書には、「恥はおこないを正しくする」、「人生にはまぐれもあるよ」、「人は憎んでもよい」など、意訳あるいは超訳といってもよい異色の『論語』入門といなっています。
著者自身が歴史通であり、人間通である著者だからこそ、『論語』をここまで現代風に解説することが可能になったのでしょう。

 

 

2026年9月23日 佐久間庸和拝