佐久間庸和です。朝粥会の後は、松柏園のメインバンケット「グランフローラ」で恒例の「天道塾」が行われました。美味しいお粥でお腹いっぱいになり、みなさん満ち足りた表情をしていました。でも、寝ないようにね!(笑)
開講前のようす
最初は、もちろん一同礼!
わたしが登壇しました
社長講話を行いました
「天道塾」は、この日も松柏園のメインバンケット「グランフローラ」で行われました。最初にわたしが登壇し、「みなさん、おはようございます!」と挨拶してから、以下の話をしました。 8月15日は81回目の「終戦の日」でした。昨年は終戦80年の大きな節目でした。本当は東京に行って靖国神社や皇居を参拝したかったのですが、佐久間名誉会長の初盆があったため断念しました。その代わりと言っては何ですが、念願であった「産経新聞」全国版への全面広告を掲載しました。大きな反響がありましたが、そのキャッチコピーが「死者を忘れて、生者の幸福なし」です。
死者を忘れて、生者の幸福なし!
「死者を忘れて、生者の幸福なし]という言葉はわたしの持論ですが、大きな反響がありました。政党や宗教団体の関係者も、わが社の意見広告をSNSなどで紹介していました。日本人だけで310万人もの方々が亡くなられた、あの悪夢のような戦争が終わってから、今年で81年目を迎えました。15日の朝、新聞各紙を手に取りましたが、正直、驚きました。「終戦の日」の記事が非常に少ないのです。81年が経過して日本で戦争の記憶は完全に風化してしまったのか? 民主主義とは生者のためだけでなく死者のためにもあるのでは? 現在も、世界では戦争が続いています。
巨大な物語の集合体に想う
先の戦争について強く思うことは、あれは「巨大な物語の集合体」であったということです。真珠湾攻撃、ミッドウェー海戦、ゼロ戦、ビルマ戦線、神風特別攻撃隊、回天、硫黄島の戦い、東京大空襲、戦艦大和、ひめゆり部隊、木の上の軍隊、沖縄戦、広島原爆、長崎原爆、満州侵攻、ポツダム宣言受諾、玉音放送・・・・・・挙げていけばキリがないほど濃い物語の集積体でした。もちろん日本だけではなく、欧米やアジアをはじめ世界中の国々で無数の物語が生まれていきました。それぞれ単独でも大きな物語を形成しているのに、それらが無数に集まった巨大な物語の集合体。それが先の戦争だったと思います。
戦争とはグリーフの大量発生装置である!
熱心に聴く人びと
実際、あの戦争からどれだけ多くの小説、詩歌、演劇、映画、ドラマが派生していったでしょうか。考えただけで眩暈がしてきます。「物語」といっても、戦争はフィクションではありません。紛れもない歴史的事実です。わたしの言う「物語」とは、人間の「こころ」に影響を与えうる意味の体系のことです。人間ひとりの人生も「物語」です。そして、その集まりこそが「歴史」となります。そう、無数のヒズ・ストーリー(個人の物語)がヒストリー(歴史)を作るのです。そして、戦争とはグリーフの大量発生装置です。いわば「悲器」と呼べるでしょう。
戦争とは「悲器」である!
『悲の器』という小説があります。
39歳で早逝した天才作家・高橋和巳のデビュー作です。妻が神経を病む中、家政婦と関係を持った大学の法学部教授が妻の死後知人の娘と婚約し、家政婦から婚約不履行で告訴された彼の孤立と破滅に迫る物語です。この小説では不倫を「悲の器」と表現しているわけですが、本当の「悲の器」とは戦争にほかなりません。なぜなら、戦争の本質とは「死者の大量発生装置」であり、すなわち「グリーフの大量発生装置」だからです。ちなみに、わたしは上級グリーフケア士資格の授与式でいつも「グリーフケアが普及すれば、最大の戦争抑止力になる」と挨拶しています。

冠婚葬祭施設は「平器」である!
わたしは、冠婚葬祭には平和を創り出す力があると思っています。人間国宝である十四代 今泉今右衛門先生との対談本『「かたち」の文化論』が今月いよいよ発売されます。儀礼文化が「うつわ」によって完成するとすれば、葬儀という儀礼文化が行われるセレモニーホールとは「うつわ」そのものであることに気づきます。日本初の大型セレモニーホールである小倉紫雲閣を作った佐久間進名誉会長はもともと茶人でした。名誉会長は茶器のように「礼」を完成させる器として紫雲閣を建設したのです。わが社は、「はこ」ではなく礼を完成させる「うつわ」としてのセレモニーホールを作り続けてきました。それは「礼器(らいき)」と呼べるものです。この礼器には別名があります。「平器」です。
結婚は最高の平和である!
「平」とは「平和」であり「平等」のことです。わが社が運営するホテルや結婚式場は平器です。なぜなら、「結婚は最高の平和である」という理念が実現する場だからです。戦争が起こるとき、異なるものを破壊する大いなる力が働いています。同様に、結婚には異なるものが結び合う大きな力が働いています。「戦争」が敵対の王なら、「結婚」は親愛の王なのです。まったくの赤の他人同士であるのもかかわらず、人と人とが認め合い、愛し合い、ともに人生を歩むことを誓い合う結婚とは究極の平和であるというのがわが持論です。結婚は最高に平和な「出来事」であり、「戦争」に対して唯一の反対概念になるのです。
死は最大の平等である!
また、セレモニーホール(コミュ二ティホール)も平器です。「死は最大の平等である」の理念が実現する場だからです。箴言で知られたラ・ロシュフーコーが「太陽と死は直視することができない」と語りましたが、太陽と死には「不可視性」という共通点があります。わたしは、それに加えて「平等性」という共通点があると思っています。わが社の社名は「サンレー」ですが、万人に対して平等に冠婚葬祭を提供させていただきたいという願いを込めて、「太陽光線(SUNRAY)」の意味を持っています。「死」も平等です。「生」は平等ではありませんが、「死」だけは万人に平等に訪れるのです。
茶室から紫雲閣へ!
平器の原型として、茶室があります。わたしは、「茶室」を究極の平和と平等の空間として位置づけています。かつては武士であっても刀を預けなければ入室できず、天下人であっても身分を離れ、小さな出入口である「躙口(にじりぐち)」から頭を下げて入ることで、すべての人間が平等になれます。身分や貧富の差に関係なく、誰もが同じ歩幅で飛び石を踏み、同じ目線で語り合うのです。茶道の根底にある「和」の精神により、互いを思いやり、調和を保つ平和な空気が醸成されます。この茶室の平和性・平等性を受け継いだのが紫雲閣です。
冠婚葬祭業は平器産業である!
もうすぐ100店となるわが社のセレモニーホールは、故人や遺族の想いを受け止め、儀礼を成り立たせるための「礼器」としての役割を担うものです。そして、平和と平等を実現する「平器」です。前にこの講話の中で『「人文知」は武器になる』という本を紹介しました。同書では、人文知の結晶としての儀式の重要性を説いていました。しかし、平和と平等の「うつわ」である儀式に「武器」という言葉を使うのは矛盾ではないでしょうか。それは「平器」と呼ばれるべきです。今月の総合朝礼で、わたしは「この世には戦が絶えぬものならば われらつくらん 平和のうつは」という道歌を詠みましたが、冠婚葬祭業は平器産業なのです!
呪いの時代に、祝いの光を!
平器産業としての冠婚葬祭業は、世の中を明るくします。わたしは、「呪いの時代に、祝いの光を!」ということを訴えています。「人の不幸は蜜の味」という言葉がありますが、現在、SNSを中心に他人を誹謗中傷したり、その存在を否定するようなメッセージが広まっています。それはネガティブな言葉による「呪い」にほかなりません。SNS全盛の現代は、「呪いの時代」という側面があります。「呪い」の反対は「祝い」です。サーブとしての「祝い」には、ものすごい力があります。ネガティブな「呪い」を解く最高の方法とは、冠婚葬祭に代表される「祝い」を行うことなのです。わたしは「祝う」という営み、特に他人の慶事を祝う心と行為が人類にとって非常に重要なものであると考えています。よく「ありがとう」は最強の言霊だなどと言われますが、「おめでとう」はそれ以上のパワーを秘めているように思えます。なぜなら、「ありがとう」はレシーブですが、「おめでとう」とはサーブだからです。
「おめでとう」はサーブ、「ありがとう」はレシーブ
熱心に聴く人びと
いま、世界も日本も、「呪い」の応酬がすさまじい状況になっています。アメリカとイラン、ロシアとウクライナ、与党と野党・・・それぞれが相手を完全破壊すべく、「呪い」を仕掛け合っています。ネット社会での個人の誹謗中傷、学校でのいじめ、会社でのハラスメントも立派な「呪い」です。「呪い」を「祝い」によって解くことは、暗闇を太陽の光が照らすようなものではないでしょうか。結婚披露宴をはじめ、長寿祝い、厄除け祝い、還暦祝いなどが開かれ、多くの人々が参加することが「祝い」の光を発します。これからも、「おめでとう」と「ありがとう」の声、心のサーブと心のレシーブが行き交う社会の実現をめざしたいものです。分断や対立が続く時代だからこそ、祝いの文化を絶やしてはなりません。
晴れの日には晴れ着で!
「おめでとう」と「ありがとう」が自然に交わされる社会には、人を思いやり、感謝する心が育まれます。祝いの光を広げることこそ、心ゆたかな社会への第一歩なのです。そのような考えのもとに、わが社が展開しているのが、児童養護施設への晴れ着の無償レンタルです。現在、グループの各地の冠婚部門では、「晴れの日には晴れ着で」を施策の最優先としています。「すべての人が輝くことのできる儀式を提供したい」という思いから、児童養護施設に入所・出身する子どもたちへ七五三や成人式の晴れ着を無償提供し、記念写真の撮影を行うプロジェクトを2019年より実施しています。わたしはこれを、他者の痛みに寄り添い、悲しみをケアする「コンパッション(思いやり)」の具体的な実践と位置づけています。
サンレーはすべての人に儀式を!
七五三は不安定な存在である子どもが次第に社会の一員として受け容れられていくための大切な通過儀礼です。成人式はさらに「あなたは社会人になった」というメッセージを伝える場であり、新成人はここまで育ててくれた親や地域社会の人々へ感謝をする場です。長寿祝いも含めて、すべての通過儀礼は「あなたが生まれたことは正しい」「あなたの成長をこの世界は祝福している」という存在肯定のセレモニーです。万物に光を降り注ぐ太陽のように、 サンレーはすべての人に儀式を提供したいという志を抱いています。
最後は、もちろん一同礼!
晴れに日にはすべての人が晴れ着姿で主役になり、「おめでとう」と「ありがとう」の声が行き交う社会、それが「ハートフル・ソサエティ」です! 最後に「闇の時代に光を与えることほど、価値のある仕事はありません。これからも力を合わせて、この道を進んでいきましょう!」と言ってから降壇しました。これから北九州空港へ向かい、そこから東京へ飛びます!
父の銅像の前で
2026年8月19日 佐久間庸和拝