教養こそが幸せへの道

17日の夜、東京からスターフライヤーで北九州に戻りました。
18日の北九州は素晴らしい快晴です。早朝から松柏園ホテルの神殿で月次祭が行われました。いつものように、戸上神社の是則神職が神事を執り行って下さいました。祭主であるサンレーグループ佐久間進会長に続いて、わたしが参列者を代表して玉串奉奠しました。


月次祭のようす

一同礼!

玉串奉奠する佐久間会長

わたしも玉串奉奠しました



神事の後は、「天道塾」を開催しました。
最初に佐久間会長が檀上に立ち、簡単な訓話をしました。会長は日本の人口減の問題を取り上げ、今後ますます人口問題と密接に関わる冠婚葬祭業の意義が高くなると述べました。


天道塾のようす

最初に話す佐久間会長

報告する山下執行役員

「温故知新」を提唱しました


それから、山下執行役員が冠婚事業部の方向性について報告しました。
現代日本の冠婚トレンドから、アニバーサリー戦略などを述べ、最後には松柏園の新館建設に言及して、「温故知新」を提唱しました。全体的に前向きの考え方による報告でした。


わたしが登壇しました



そして、わたしが登壇しました。先月は東京出張のために不在でしたので、2カ月ぶりの天道塾です。わたしはまず、山下執行役員の報告に触れ、「前向きな考え方の報告で、良かったです。昨日、稲盛和夫著『考え方』という本を読んだのですが、すべては良い考え方、明るい考え方を持つことが素晴らしい現実を生み出します。わが社は、冠婚葬祭について、互助会について、前向きな考え方を持っていることが強みではないでしょうか」と述べました。


結婚について語りました



続いて、「結婚といえば、眞子さまの御婚約は本当におめでたいお話です。一方で、女性タレントの婚約者に4人(18日現在で判明)もの婚外子がいる報道には驚きました。いくら外見や資産があっても、人は見かけによりません。教養こそが幸せへの道だと思います。わたしにも娘がいますが、結婚にはリスクも付きものだと痛感しました。わたしは先日、誕生日を迎えて54歳になりましたが、『サザエさん』の磯野波平も54歳だと知ってショックを受けました」と言うと、会場から笑いが起きました。


人を祝うということは素晴らしい!「



続いて、ブログ「九州ブロック研修会」で紹介した研修会の話をしました。
「ウエディング・ジャーナル」の北折編集長による「ウェディングビジネス最新動向」の講演がありましたが、「本物」の結婚式場しか生き残れないこと、ブライダルビジネスにとっての婚活事業の重要性などを協調されていました。まったく同感です。
また、研修会後の懇親会でサプライズがありました。
平田研修委員長がマイクを取り、「みなさん、昨日、佐久間ブロック長が54歳の誕生日をお迎えになられました。ぜひ、みなさんでお祝いしたいと思います!」と言ったのです。何も知らなかったわたしは本当にビックリして、感動のあまり涙が出てきました。セルモの安田会長からバースデーケーキ、サニーライフの大西社長から素敵な花束も頂戴し、参加者全員で「ハッピー・バースデー」が声高らかに歌われました。もう、胸がいっぱいになりました。結婚式にしろ、誕生日にしろ、人を祝うということは素晴らしいことです。


儀式の軽視は文化的衰退である!



冠婚から葬祭の話に移りましたが、きちんとした葬儀を行なわずに、後日、「お別れ会」などを開くという最近の風潮に疑問を呈しました。社会的に重要な地位にあった人、いわば公人と呼ぶべき人でさえ、遺族の意向でその死が知らされず、親族のみで葬儀を済ませることが多いです。しかし、「お別れ会」は葬儀とは違います。先日訪れた中国では、共産党政権による贅沢禁止の令より葬儀も簡素化されていますが、日本は別に共産国家でもないのに、国民が勝手に葬儀を簡素化しているわけです。『儀式論』にも書いたように、儀式の軽視は文化的衰退ですから、わたしは日本の将来が不安でなりません。わたしは、日本のためにも「礼」の大切さを中心にした『論語』のテキストを作りたいと思っています。江戸時代の寺子屋で使われた『論語』の教本のアップデートのイメージで、小学校などに寄贈したいと考えています。わたしは、『論語』で日本人を幸せにしたいと考えています。教養こそが幸せへの道なのです。


中国視察の話をしました



論語』とともに、日本人にとっての「こころ」の支えが『般若心経』です。
中国では、西安の観光名所である大雁塔を訪れました。大雁塔は、652年に唐の高僧玄奘三蔵がインドから持ち帰った経典や仏像などを保存するために、高宗に申し出て建立した塔です。玄奘三蔵といえば、その最大の功績は『大般若経』を漢訳したことです。般若経典は150年頃に現在の形の原形が成立したとされます。その後、サンスクリット文字にて文書化され、以後長短様々な般若経典へと発展していきました。


『般若心経』の自由訳について



630年頃、玄奘がインドからそれらの般若経典群を中国へ持ち帰り、さらに玄奘自ら翻訳の指揮を取って4年の歳月を掛けて漢訳しました。こうして、663年に『大般若経』(『大般若波羅蜜多経』)が完成したのです。この膨大な教典を300余文字に要約したものが『般若心経』だとされています。玄奘がインドから持ち帰って漢訳した『大般若経』および『般若心経』が日本に伝わり、日本仏教に多大な影響を与えたことは周知の事実です。
今年の4月8日、ブッダの誕生日である「花祭り」の日に、わたしは『般若心経 自由訳』を完成させました。「空」の本当の意味を考えに考え抜いて、死の「おそれ」や「かなしみ」が消えてゆくような訳文としました。いわば、グリーフケア版『般若心経』です。美しい写真を添え、お盆までには上梓したいと願っています。


玄奘空海に『般若心経』自由訳の完成を報告



中国では、青龍寺も訪れました。中国陝西省の古都、西安市南郊の雁塔区鉄炉廟村にある仏教寺院です。ここは、弘法大師空海ゆかりの寺として知られています。それも、唐代の中国密教の第一人者であった恵果と空海が邂逅した場所なのです。2014年末に監訳書である『超訳 空海の言葉』(KKベストセラーズ)を上梓して以来、ずっと青龍寺を参拝したいと願っていました。じつは、『般若心経』を自由訳するにあたって、わたしは空海の『般若心経秘鍵』をベースに経文を解釈しました。わたしは、大雁塔では玄奘像に向かって、青龍寺では空海記念碑に向かって、『般若心経』自由訳の完成を報告しました。


最後は、もちろん一同礼!



自由訳の内容については、近く、サンレーの営業所会議、紫雲閣の支配人会議および副支配人会議で詳しく話すつもりです。単に暗記して唱えるだけでなく、その『般若心経』の真の意味を共有できれば、わが社にとって大きな力になることでしょう。結果として会社が発展し、社員のみなさんが豊かになり、お客様に感謝されるサービスを提供してくれれば、こんなに素晴らしいことはありません。そう、教養こそが幸せへの道なのです。



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2017年5月18日 佐久間庸和