玄奘像

日本各地、いや世界各地には多くの銅像が建立されています。
そこでは、さまざまな聖人や偉人たちの功績を偲ぶことができます。
先日、「アジア冠婚葬祭業国際交流研究会」のミッションで中国を訪問しました。
その際、西安を代表する観光名所である大雁塔も訪れました。


大雁塔



この大雁塔は、652年に唐の高僧玄奘三蔵がインドから持ち帰った経典や仏像などを保存するために、高宗に申し出て建立した塔です。法相宗の始祖にあたる玄奘三蔵を顕彰する「玄奘三蔵会大祭」で知られる奈良・法相宗大本山薬師寺の公式HPには『薬師寺再興』寺沢龍著(草思社)を引用し、以下のように玄奘を紹介しています。
玄奘三蔵(600または602〜664)は中国・隋の時代に生まれ、唐の時代に盛名を馳せた仏法僧です。いまでは、三蔵法師といえば玄奘三蔵のことを指すようになっていますが、もともとは釈迦の教えの『経』、仏教者の守るべき戒律の『律』、経と律を研究した『論』の三つを究めた僧を三蔵といい、普通名詞なのです。したがって大勢の三蔵法師がいましたが、なかでも玄奘はきわめて優れていたので、三蔵法師といえば玄奘のこととなりました」


玄奘の石碑と銅像



そして、出家に至るまでの過程を以下のように記しています。
玄奘は陳家の四人兄弟の末子で、彼が10歳のときに父が亡くなり、翌年洛陽に出て出家していた次兄のもとに引き取られました。13歳のときに僧に選ばれ、法名玄奘と呼ばれることになります。玄奘は25、26歳ころまで、仏法と高僧の教えを求めて、中国各地を巡歴しました。しかし修行が深まるにつれて教えに疑念を懐くようになりました。漢訳経典にその答えを求めますが、各地の高僧名僧も異なる自説をふりまわして、玄奘の疑問を解くにはいたりませんでした。このうえは、天竺(インド)におもむき、教義の原典に接し、かの地の高僧論師に直接の解義を得るしかほかに途はないと思い立ちました。
その中心となる目的は、瑜伽師地論と唯識論の奥義をきわめることです」


玄奘三蔵


続いて、インドに憧れる玄奘について、以下のように記しています。
「当時、唐の国は鎖国政策をとっており、国の出入りを禁止していました。玄奘はなんども嘆願書を出して出国の許可を求めますが許されませんでした。玄奘は決心して、貞観3年(629)27歳のとき、国禁を犯して密出国します。玄奘の旅は、草木一本もなく水もない灼熱のなか、砂嵐が吹きつけるタクラマカン砂漠を歩き、また、雪と氷にとざされた厳寒の天山山脈を越え、時に盗賊にも襲われる苛酷な道のりでした。三年後に、ようやくインドにたどり着き、中インドのナーランダー寺院で戒賢論師に師事して唯識教学を学び、インド各地の仏跡を訪ね歩きました」


その表情には知性と意志が滲み出ています



インドから帰国の途につく玄奘、その後について以下のように解説してあります。
「帰路も往路と同じような辛苦を重ねながら、仏像・仏舎利のほかサンスクリット梵語)の仏経原典657部を携えて、貞観19年(645)に長安の都に帰ってきました。この年は、日本では、中大兄皇子天智天皇)が中臣鎌足らと謀って、蘇我蝦夷・入鹿親子を滅ぼした『大化の改新』の年にあたります。玄奘のインド・西域求法の旅は、通過した国が128国、実に3万キロに及んでいました。すでに、唐を発って17年の歳月がすぎ、玄奘はこのとき44歳になっていました。密出国の出発時と違って、彼の帰還は時の唐の帝・太宗の大歓迎を受けます。太宗は、国境近くまで出迎えの使者を出すほどでした。
玄奘は帰国後、持ち帰った仏典の翻訳に残りの生涯を賭けます。皇帝からは政事に参画することを求められましたが、仏典漢訳に余生を集中することの理解をえて、翻訳事業に対して帝の全面的な支援を受けています。麟徳元年(664)に、玄奘三蔵は62歳で没します」


三蔵法師の遺徳を偲ぶ



玄奘自身は亡くなるまでに国外から持ち帰った経典全体の約3分の1までしか翻訳を進めることができませんでしたが、それでも彼が生前に完成させた経典の翻訳の数は、経典群の中核とされる『大般若経』16部600巻(漢字にして約480万字)を含め76部1347巻(漢字にして約1100万字)となります。玄奘サンスクリット語の経典を中国語に翻訳する際、中国語に相応しい訳語を新たに選び直しており、それ以前の鳩摩羅什らの漢訳仏典を旧訳、それ以後の漢訳仏典を新訳と呼びます。


大雁塔の『般若心経』レリーフの前で



しかし、その玄奘の最大の功績は『大般若経』を翻訳したことでしょう。
彼の訳した『大般若経』を約300文字に集約した経文こそ、かの『般若心経』です。
これが日本に伝わり、日本仏教に多大な影響を与えたことは周知の事実です。
今年の4月8日、ブッダの誕生日である「花祭り」の日に、『般若心経 自由訳』を完成させました。「空」の本当の意味を考えに考え抜いて、死の「おそれ」や「かなしみ」が消えてゆくような訳文としました。美しい写真を添えて、お盆までには上梓したいと願っています。



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2017年5月7日 佐久間庸和