孫文像


わが社の50周年を記念する社員旅行は3班編成で台湾を訪れました。
わたしも1班と2班で参加したのですが、台北市を中心に多くの観光スポットを見学しましたが、ブログ「国立故宮博物院」で紹介した場所も訪れました。


故宮博物院の前で



故宮博物院は、中華民国において最大の国立博物館で、数多くの古代中国の美術品を所蔵しており、その多くが中国古代皇帝によって蒐集された名品揃いであることで有名です。
素晴らしい至宝の数々もさることながら、わたしのこころを強く捉えたものがありました。
そう、銅像です。わたしは「銅像」という文化に深く共鳴しており、日本各地はもとより、海外でも銅像との出会いを楽しみにしています。故宮博物院の入口には、なんと孫文銅像が鎮座しているではありませんか!


入口には孫文銅像が・・・



辛亥革命の旗手にして「中国革命の父」、中華民国では国父とまで呼ばれている偉人です。彼は革命活動に人生を捧げ、多くの日本人とも深い関わりを持ち、亡命も含めて幾度も来日しています。辛亥革命とは、1911年から翌年にかけて、中国で発生した民主主義革命です。幕末の「戊辰戦争」の「戊辰」と同じく「辛亥」とは1911干支に因むものですね。この革命によって、アジア史上初の共和制国家である中華民国が誕生したのは周知のとおり。


孫文の遺徳を偲ぶ



しかし、国際的に見た孫文の評価は必ずしも芳しいとは言い難いものがあります。
ウィキペディア「孫文」には次のような記述があります。
孫文の評価を難しくしているのは、民族主義者でありながらまだ所有すらしていない国家財産を抵当にして外国からの借款に頼ろうとしたり国籍を変えたり、革命家でありながらしばしば軍閥政治家と手を結んだり、最後にはソ連コミンテルンの支援を得るなど、目先の目標のために短絡的で主義主張に反する手法にでることが多いためである。
彼の思想である『三民主義』も、マルクス・レーニン主義、リベラル・デモクラシー、儒教に由来する多様な理念が同時に動員されており、思想と言えるような体系性や一貫性をもつものとは見なしづらい。もっとも、こうした場当たり的とも言える一貫性のなさは、孫文臨機応変な対応ができる政治活動家であったという理由によって肯定的に評価されてもきた。孫文には中国の革命運動における具体的な実績はそれほどなく、中国国内よりも外国での活動のほうが長い。彼の名声は何らかの具体的な成果によるものと言うより、中国革命のシンボルとしての要素によるものと言える」



偉人には毀誉褒貶はつきものですが、孫文に学ぶべきことは少なくないと思います。
ウィキペディア「孫文」には以下のように孫文の遺言も掲載されています。
「余の力を中国革命に費やすこと40年余、その目的は大アジア主義に基づく中国の自由と平等と平和を求むるにあった。40年余の革命活動の経験から、余にわかったことは、この革命を成功させるには、何よりもまず民衆を喚起し、また、世界中でわが民族を平等に遇してくれる諸民族と協力し、力を合わせて奮闘せねばならないということである。 そこには単に支配者の交代や権益の確保といったかつてのような功利主義的国内革命ではなく、これまでの支那史観、西洋史観、東洋史観、文明比較論などをもう一度見つめ直し、民衆相互の信頼をもとに西洋の覇道に対するアジアの王道の優越性を強く唱え続けることが肝要である。しかしながら、なお現在、革命は、未だ成功していない。わが同志は、余の著した『建国方略』『建国大綱』『三民主義』および第一次全国代表大会宣言によって、引き続き努力し、その目的の貫徹に向け、誠心誠意努めていかねばならない」



志半ばであった孫文ですが、遺言には現代日本人にとっても強く響いてくるものがあるように感じます。孫文が日本で行った演説でも「日本民族は、すでに一面欧米の覇道文化を取り入れると共に、他面、アジアの王道文化の本質をもっているのであります。今後日本が世界の文化に対し、西洋覇道の犬となるか、あるいは東洋王道の干城となるか、それは日本国民の慎重に考慮すべきことであります」と述べています。



「世間でいう成功者とは、一時の栄えに過ぎない。志と信義を持つ者こそが、万世にわたる功績を成す」も孫文の言葉ですが、男の気概というものを強く感じさせる名言です。
わたしが提唱する「天下布礼」というスローガンも「志と信義」に基づくものであります。
世のため人のため、「ハートフル・ソサエティ」の実現を目指し、わが社はこれからも「ハートフル・カンパニー」であり続けたい!
孫文像の背景にある「博愛」という揮毫を見つめながら、わたしは「初心忘れるべからず」と思いも新たに故宮博物院を後にしたのでした。



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2017年4月9日 佐久間庸和