蒋介石像

わが社の50周年を記念する社員旅行は3班編成で台湾を訪れました。
わたしも1班と2班で参加したのですが、台北市を中心に多くの観光スポットを見学しましたが、初日にはブログ「中正紀念堂」で紹介した施設を訪れました。


中正紀念堂の前で



Wikipedia中正紀念堂」では、次のように説明されています。
中正紀念堂の敷地面積は25万平方メートルに上り、日本統治時代の山砲隊、歩兵第一連隊の軍用地跡地である。敷地中には本堂のほかに国家戯劇院や国家音楽庁、公園広場、休息所や回廊、庭園、池(光華池・雲漢池)なども併設されている。本堂を始めとするこれらの施設は市民達の憩いの場となっている他、公園広場は政治的な集会の場として使用されることも多い」



中正紀念堂は、台湾観光において必見のスポットといわれています。
この中正紀念堂の「中正」とは、中華民国の初代総統である蒋介石の本名だそうで、台湾における偉人を顕彰して1980年に竣工した施設です。その圧倒的な威容は、蒋介石という人物が台湾における評価を物語っているようです。



中正紀念堂」の中核施設である本堂の正面には巨大な蒋介石銅像が安置されています。
周知のとおり、蒋介石は、中華民国の軍人政治家であり、初代中華民国総統中国国民党永久総裁。孫文の後継者として中華民国の統一を果たして同国の最高指導者となりますが、国共内戦毛沢東が率いる中国共産党に敗れ、1949年に台湾に退避。遂に中国本土に返り咲くことなく台湾の地で死去しています。


巨大な蒋介石銅像



蒋介石が統治していた台湾は「軍事政権国家」であったのは周知の通りです。
その息子であり政権後継者である蒋経国は任期中に死亡したことにより、副総統であった李登輝台湾総統に就任します。李登輝は、1991年に「動員戡乱時期臨時条款」を廃止しますが、これにより台湾史に永遠に語り継がれるだろう惨劇「二・二八事件」以来続いた国民党一党独裁による「戒厳令」体制は終焉を迎え、台湾は民主化へと大きく舵を切ることで一党独裁を終焉させるのでした。



この「二・二八事件」とは、日本に代わって統治者として大陸から渡ってきた中華民国・国民党(外省人)が、旧住民(本省人)を徹底して差別したことに起因する事件。横暴を極める蒋介石政権に対して抗議活動を展開する本省人が武力によって鎮圧されます。その後、日本統治時代に高等教育を受けた本省人の知識層を次々に逮捕、投獄されていきます。


蒋介石と日本について考える



「21歳まで日本人であった」と美しい日本語を話せる「台湾民主化の父」と称される李登輝は2012年の総統選挙の演説で次のように語っています。
「私はもう90歳近いです。この間、台湾は日本に統治され、国民党に統治されてきました。原住民、第二次世界大戦前から台湾に来た人、戦後台湾に来た人などといった出自は関係ありません。皆それぞれずっと苦労してきました。私たちがこの土地で共に暮らし、たくさん苦労したからこそ、今の経済発展があるのです。だからこそ、自分たちで、自分たちの台湾総統を選ぶ機会を得られるようになったのです。自分たちの生活の在り方について選択する権利を得られるようになったのです」(「日経ビジネスオンラインよ2012年1月25日]より引用)



この李登輝の演説内容に込められた想いから、蒋介石をどう評価するか、近代日本の歴史をどう俯瞰するか・・・じつに重いテーマであることは言を俟ちません。最近、台湾独立建国聯盟主席である黄昭堂氏の「日本人を感激させた蒋介石発言『以徳報怨』の背景」という論説を読みました。興味のある方はご一読いただきたいのですが、国際政治というものは好むと好まざるとに関わらず、国同士が自国の存亡をかけて虚虚実実の外交を展開していることを再認識されられました。わたしは、「個人としての政治観を企業の代表者として公の場で論ずるべきではない」という信条で、このブログも運営しています。ひとことだけ言えることがあるとすれば、企業経営と同様に政治にも「人として正しいかという判断基準」は必要不可欠であるということです。これは、わたしが敬愛する稲盛和夫翁の至言であります。



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2017年4月10日 佐久間庸和