「春分の日」のお見送り

20日は「春分の日」でしたが、わたしは12時から小倉紫雲閣で行われた故西山富士雄さんの告別式に参列しました。ブログ「さようなら、マスター!」で紹介したように、小倉・紺屋町のスナック「レパード」のマスターだった西山さんが18日夜に亡くなられました。
わたしは、19日の通夜に続いて、20日の告別式に参列しました。


故人が自ら選んだという遺影



喪主の挨拶は、故人への想いと感謝に満ちていました。詩人でもある喪主の言葉には、かけがえのない人を喪った者の悲しみが切々と表現されていました。
葬儀の最後には、故人が大好きだった曲である美空ひばりの「愛燦々」がバイオリンで演奏されました。そして「月の広場」から出棺、「禮鐘の儀」で「感謝」「祈り」「癒し」の鐘が3回鳴らされ、霊柩車は火葬場へと出発していきました。


月の広場」から故人をお見送りしました



その後も、わたしの頭の中にはずっと「愛燦々」の調べが流れていました。バイオリン演奏ですから、会場では歌詞は流れませんでしたが、小椋佳の詞が心に沁みました。
人は「哀しいもの」であり、「かよわいもの」であり、「かわいいもの」である。
人生って「不思議なもの」であり、「嬉しいもの」である・・・・・・。
改めて、わたしは「愛燦々」の素晴らしさを痛感しました。


わたしが通夜と告別式の両方に出たのは、じつに久しぶりです。
それぐらい故人は、わたしにとって大切な人だったのです。レパードは2011年9月30日をもって閉店しましたが、わたしが東京から小倉に戻ってきた頃、初めて訪れた店でした。人生で最も辛かった時期に心を休めに通った、まさに「止まり木」でした。


わたしがレパードに送り続けた絵葉書の束



当時、わたしは各地に出張するたびに、レパードに絵葉書を送っていました。
レパードに通い始めた頃、マスターに出張先のパリから絵葉書を出したところ、とても喜んでくれました。それがわたしも嬉しくて、ついつい調子に乗って全国各地から、また海外からも出していたら、気づくと数百枚になっていました。マスターは、それらを輪ゴムでくくって、お店の棚のキープボトルの間に飾ってくれました。それは閉店時まで続きました。
レパードは、わたしにとって本当に大切な場所だったのです。


ありし日のマスター


マスターは教養も豊かで、映画や文学などにも詳しかったです。
大変な読書家で、古今東西の文学作品を読んでいました。わたしの著書もよく読んでくれましたが、いつも「佐久間さんの『死は不幸ではない』という言葉が好きなんよ」「もっと本をたくさん書いて、『死は不幸ではない』という考え方を広めてよ」と言ってくれました。レパードで、ウィスキーの水割りを飲みながら、よく死生観についてマスターと語り合ったものです。


なつかしい「レパード」の看板



わたしは、物心ついたときから、人間の「幸福」というものに強い関心がありました。学生のときには、いわゆる幸福論のたぐいを読みあさりました。そして、こう考えました。 
政治、経済、法律、道徳、哲学、芸術、宗教、教育、医学、自然科学...人類が生み、育んできた営みはたくさんある。では、そういった偉大な営みが何のために生まれ、発展してきたのかというと、その目的は「人間を幸福にするため」という一点に集約される。さらには、その人間の幸福について考えて、考えて、考え抜いた結果、その根底には「死」というものが厳然として在ることを知りました。


「レパード」閉店の日、マスターとカラオケを歌いました



そこで、どうしても気になったことがありました。それは日本では、人が亡くなったときに「不幸」と人々が言うことでした。人間の致死率は100%です。死なない人間はいません。いわば、わたしたちは「死」を未来として生きているわけです。その未来が「不幸」であるということは、人間は必ず敗北が待っている負け戦に出ていくようなものです。


本当に思い出は尽きません



わたしたちの人生とは、最初から負け戦なのでしょうか。どんな素晴らしい生き方をしても、どんなに幸福感を感じながら生きても、最後には不幸になるのでしょうか。亡くなった人は「負け組」で、生き残った人たちは「勝ち組」なのでしょうか。そんな馬鹿な話はありません!
わたしは、「死」を「不幸」とは絶対に呼びたくありません。なぜなら、そう呼んだ瞬間、わたしは将来かならず不幸になるからです。ですから、人が亡くなって「不幸があった」と言っている間は、日本人は絶対に幸福になれません。そんな話を生前のマスターとよくしたものです。


マスター、お疲れ様でした!



死は決して不幸な出来事ではありません。死ぬとは人生を卒業することであり、葬儀とは人生の卒業式です。ですから、人が亡くなったときに「不幸」と呼ばないことが大切だと、わたしは思います。だから、マスターが亡くなったことは悲しくて仕方がありませんが、わたしは「不幸」とは呼びません。マスターは、人生を卒業していかれたのだと思います。


春分の日」に大切な人を見送りました



マスターは週刊誌が大好きでした。特に「サンデー毎日」の愛読者で、昔はいつもコンビニで立読みをしていました。わたしが同誌で連載をスタートしたときは「天下の『サンデー毎日』に連載するなんて、たいしたものだ!」とわざわざ電話をくれました。それ以来、毎週コンビニで「サンデー毎日」を立ち読みではなく、購入して読んでくれていたそうです。わたしは、マスターが大好きだった「サンデー毎日」にぜひ、マスターのことを書きたいと思います。
きっと、あの世のコンビニで買って読んでくれることでしょう。いや、あの世にはコンビニがないかもしれません。なので、わたしが掲載誌を仏前に供えましょう。
親愛なるマスター・西山富士雄さんの御冥福を心よりお祈りいたします。合掌。



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2017年3月20日 佐久間庸和