葬式に迷う日本人へ 

早いもので、今日からもう11月ですね。
18日には、いよいよサンレー創立50周年を迎えます。
さて、「サンデー毎日」2016年11月13日号が発売されました。
わたしは、同誌にコラム「一条真也の人生の四季」を連載しています。
第54回目のタイトルは、「葬式に迷う日本人へ」です。


サンデー毎日」11月13日号



宗教学者島田裕巳氏とわたしの共著『葬式に迷う日本人』(三五館)が刊行されました。
互いに2通ずつ書簡を交わした後、巻末で対談しています。今年3月に上梓した『死ぬまでにやっておきたい50のこと』(イースト・プレス)の巻末付録「一条真也が死ぬまでにやりたい50のこと」には「島田裕巳さんと『葬儀』について対談する」という項目もあったのですが、その願いは早くも実現しました。



島田氏は「0葬」というものを唱えています。
通夜も告別式も行わずに遺体を火葬場に直行させて焼却する「直葬」をさらに進めた形で、遺体を完全に焼いた後、遺灰を持ち帰らずに捨ててくるのが「0葬」です。
わたしは、葬儀という営みは人類にとって必要なものであると信じています。故人の魂を送ることはもちろんだが、葬儀は残された人々の魂にも生きるエネルギーを与えてくれます。



もし葬儀が行われなければ、配偶者や子ども、家族の死によって遺族の心には大きな穴が開き、おそらくは自死の連鎖が起きることでしょう。葬儀という営みをやめれば、人が人でなくなります。葬儀という「かたち」は人間の「こころ」を守り、人類の滅亡を防ぐ知恵なのです。



しかしながら、わたしは葬儀も時代に合わせて変わっていくべきだと考えています。
実際、長い歴史の中で葬儀は大きく変わってきました。「マネジメントの父」と呼ばれるピーター・ドラッカーは、企業が繁栄するための条件として、「継続」と「革新」の2つが必要だと述べました。これは、企業だけでなく、業界や文化にも当てはまることであると思います。



良いものはきちんと継続してゆく。時代の変化に合わせて変えるべきところは革新する。葬儀という文化にも、「継続」と「革新」が欠かせないと思うのです。わたしは、葬儀についての考え方が正反対の島田氏と激論を交わしました。島田氏との対談を終え、「葬儀は人類の存在基盤」という自説が間違っていないことを改めて確信した次第です。


サンデー毎日」11月13日号の表紙



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2016年11月1日 佐久間庸和