全互連総会 in富山

6月7日は、全互連の定時総会が開催される日です。
わたしはオークスカナルパークホテル富山の客室で目覚めました。
朝食を取った後、総会の流れや会長挨拶のチェックなどを行いました。


全互連理事会場の入口

理事会場のようす

理事会前のようす

全互連第58回定時総会会場へ!

総会会場のようす

全互連第58回定時総会の式次第



13時頃に用意されてあった昼食を取ると、14時から理事会が開催されました。
14時50分に理事会が終了すると、15時からは定時総会です。
冠婚葬祭互助会とは、その名通りに「相互扶助」をコンセプトとした会員制組織です。
終戦直後の1948年に、西村熊彦という方の手によって、日本最初の互助会である「横須賀冠婚葬祭互助会」が横須賀市で生まれました。そして、横須賀から名古屋へ、さらには静岡へと、全国に広まっていきました。いわゆる「平安閣グループ」と言われている互助会集団が全互連なのです。


最初は国歌「君が代」斉唱

物故者の黙祷

山下副会長による開会宣言

会長として登壇しました



小泉専務理事(日冠社長)の司会で第58回定時総会が開始されました。
山下副会長(117社長)による開会宣言、物故者黙祷の後は「会長挨拶」の時間です。
わたしは会長として登壇し、冒頭で以下のように述べました。
「いまご紹介に預かりました全互連の会長を拝命しております佐久間でございます。本日は経済産業省をはじめ互助会保証株式会社、全日本冠婚葬祭互助協会など関係機関の皆様方にはご多用のところ、ご臨席を賜り誠に有難うございます。また、皆様方には日頃より一方ならぬご懇情とご指導を賜っていることに、この場をかりて心より感謝を申し上げます。定時総会にあたりまして一言ご挨拶を申し上げます」


会長挨拶のようす



それから、わたしは以下のように述べました。
「まずは、この度の熊本地震により、お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。先般、全互連会長として被災地である熊本へ慰問いたしましたが、想い起こせば、熊本は、わたしが全互連会長を拝命した地でもあり、感慨深いものがございました。
今回の被害状況を踏まえ、全互連では人道的な見地に立ち、微力ながら可能なかぎりの支援を行わせていただくとともに、一刻も早い復興を心よりお祈り申し上げます」


儀式文化の継承と創新を訴えました



それから、全互連の現状および業界の課題などに触れた後で、以下のように述べました。
「今年度の全互連の事業計画ですが、昨年より実施している『儀式文化継承と創新への取組みと推進』に本腰を入れてまいります。この事業は、日本の儀式文化について、冠婚葬祭互助会事業者として積極的にその継承と創新に努めていくことを目的とするものです。
本年度は、部門別研修会ならびに各ブロックにおいて、儀式文化の地域性等を勘案し、冠婚葬祭の伝承のための研究会および勉強会の充実を図ってまいります。また新事業案として、『少子化社会対策への積極的な取り組みと推進』を策定いたしております。皆様には、ぜひ積極的にお取り組みいただきたいと存じます」


業界発展のために努めたい!



そして最後は、以下のように述べて、会長挨拶を締めくくりました。
「全互連会長としての3年目を迎え、一致団結して難局を乗り越え、業界発展のために努めてまいりたいと考えております。全互連加盟互助会各社の皆様におかれましては、今後ともご支援・ご協力を賜りますようお願い申し上げ、全互連加盟互助会各社の益々のご発展とご参集各位のご健勝を祈念申し上げ、わたくしのご挨拶といたします。ありがとうございました」


互助会保証・藤島社長の挨拶を拝聴する



会長挨拶に続いて、中部ブロックの武智ブロック長(ベルモニー高松社長)の開催地ブロック長挨拶がありました。続いて、小泉専務理事による来賓紹介に続き、来賓挨拶です。経済産業省中部経産局の課長様、互助会保証株式会社の藤島社長様より御挨拶を頂戴しました。


全互連定時総会のようす



それから、ご当地である中部ブロックの武智ブロック長(ベルモニー郄松社長)を議長、次期総会開催予定地である関東・甲信越ブロックの志賀ブロック長(セレモニー社長)を副議長として、議事がつつがなく進行されました。
定時総会終了後は、記念写真を撮影し、それから懇親会となりました。


懇親会のようす

懇親会の冒頭でも挨拶しました



懇親会では、冒頭で会長挨拶です。
檀上に立ったわたしは、最初に以下のように述べました。
「本日は、全互連定時総会懇親会にこのように多くの皆様にご出席を賜り、誠にありがとうございます。皆様方には平素より全互連の運営に関しまして、格別のご理解・ご支援をいただき心より御礼申し上げます。また、ご多用の中にも関わらず多くのご来賓の方々にもご臨席をいただいております。重ねて御礼を申し上げます」


富山の「おきぐすり」について話しました



それから、わたしは次のように述べました。
「富山といえば『おきぐすり』が有名です。この『おきぐすり』の発祥は奈良や滋賀とも言われますが、富山十万石の二代目藩主・前田正甫(まさとし)公は、質実剛健を尊び、自らも薬の調合を行うという名君であり、「用を先に利を後にせよ」という正甫公の精神から『薬の配置販売業』が発祥したとされています」


富山の薬売りについて述べました


続いて、わたしは富山の薬売りについて述べました。
「富山の薬売りたちは『仏が照らしてくださる。見ていてくださる。聞いてくださる。決してひとりではない』と、心に念じることで、苦が苦にならず、死をも恐れない強い精神を作っていたといいます。同時に、背中に仏を意識することで『仏の願いにしたがって顧客に薬のご利益を与え、顧客は病気が治るというご利益に対して感謝の気持ちとして代金を支払う。それが薬を与えた者に利益となって返ってくる』と考えていました。


一代限りと思うな!



富山の薬売りたちの「一代限りと思うな。孫の代まで続けるという心がけで、真心をこめて対応し、誠を尽くそう」という「おきぐすり」の商法は、顧客との間に「お互いに利を分かち合う真心と感謝の結びつき」をより強固なものにし、人間関係が永続するという効果をもたらし、現在に至っているわけです。


全互連の理念を訴えました



最後に、わたしは以下のように述べました。
「わたしたち全互連も『親睦と融和』を信条として設立から半世紀以上が経過しました。いま、ご紹介した『おきぐすり』の原点にも学びながら、『相互扶助』という初期設定と、『有縁社会』を再生するためのアップデートによって互助会という事業を後世に継承していく必要がございます。いうまでもなく、全互連は冠婚葬祭互助会の保守本流です。保守とは守るべきものを守るために改革することだと思います。そして守るべきものとは、『文化の核』としての日本人の儀式であり、それを支える『相互扶助』の心です。


懇親会での会長挨拶のようす



そして最後は、次のように述べて挨拶を締めくくりました。
「儀式産業ほど価値のある仕事はありません。儀式とは『こころ』に「カタチ」を与えて、人間を幸せにすることです。昨夜、青木新門様から『葬儀は不滅である』と伺い、大いに勇気を得ました。これからも、みんな一致団結して日本人の儀式のお世話をいたしましょう! 本日ご臨席の皆様におかれましては、今後ともご支援・ご協力を賜りますようお願い申し上げます。最後になりますが、皆様の益々のご発展とご参集各位のご健勝を祈念申し上げ、わたしの挨拶とさせていただきます。ありがとうございました」
わたしが挨拶を終えると、盛大な拍手が起きて感激しました。


中部ブロックの武智ブロック長の挨拶

新道前会長の音頭でカンパイ!

懇親会のようす

互助会保証の藤島社長と

青木新門氏、志賀社長と・・・



会長挨拶の後は、中部ブロックの武智ブロック長が挨拶し、続いて全互連の新道喜信前会長(あいプラン社長)の音頭で乾杯となりました。
わたしは、全互連の仲間と大いに語り合い、大いに飲みました。
昨夜お会いしたオークス青木新門顧問も参加して下さいました。わたしは、映画「おくりびと」のスポンサーを務めたセレモニーの志賀司社長を紹介させていただきました。


諸先輩にお酌させていただきました

山下副会長と密談?

余興その1(昭和大衆歌謡楽団)

余興その2(スキヤキ・スティ−ル・オーケストラ)

志賀ブロック長による三本締め



会場には、全国各地の「冠婚葬祭王」たちが集結していました。まさに、リアル「戦国武将会議」といった観があります。冠婚葬祭という「礼」の道に生きる同志たちと酒を飲み交わすことができて、本当に幸せでした。余興も素晴らしく、「昭和大衆歌謡楽団」や「スキヤキ・スティ−ル・オーケストラ」などで大いに盛り上がりました。最後は、次回開催地である関東・甲信越ブロックの志賀ブロック長による三本締めで懇親会はお開きとなりました。


二次会で乾杯の音頭を取る全互協・井辺専務理事



懇親会の後は、同じオークスカナルパークホテル富山で二次会も開催されました。最初に、全互協の井辺専務理事が乾杯の音頭を取って下さいました。ここでも、しこたま飲みました。こうして、全国の仲間とともに富山の夜は更けていきました。



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2016年6月7日 佐久間庸和