5月はわたしの特別な月

53回目の誕生日を迎えた数時間後、ついに『儀式論』を脱稿しました。本文の第一稿なので、これから推敲をしたり、「まえがき」「あとがき」も書かなければなりません。しかし、53歳になった直後に400字詰め原稿用紙で900枚以上を書き上げることができて幸せです。
ところで、「サンデー毎日」2016年5月22日号が出ました。
わたしは、同誌にコラム「一条真也の人生の四季」を連載しています。
第30回目のタイトルは「5月はわたしの特別な月」です。


サンデー毎日」5月22日号



5月になりました。わたしにとって特別な月です。なぜなら、5日の「こどもの日」、今年は8日となる「母の日」、そして10日のわが「誕生日」があるからです。幼いときから、いつもこの3つの「日」は3点セットでした。そして、この3つの日は本質的に同じなのだと少し前に気付きました。それは、自分を産んでくれた母親に感謝する日だということです。



ヒトの赤ちゃんというのは自然界で最も弱い存在だといいます。全てを母親がケアしてあげなければ死んでしまいます。2年間もの世話を必要とするほどの生命力の弱い生き物は、ヒトの他に見当たりません。わたしは「なぜ、こんな弱い生命種が滅亡せずに、残ってきたのだろうか?」と、ずっと不思議に思っていました。あるとき、その謎が解けました。それは、ヒトの母親が子どもを死なせないように必死になって育ててきたからです。



出産のとき、ほとんどの母親は「自分の命と引きかえにしてでも、この子を無事に産んでやりたい」と思うといいます。実際、母親の命と引きかえに多くの新しい命が生まれました。また、かつては産後の肥立ちが悪くて命を落とした母親も数えきれません。まさに、母親とは命がけで子どもを産み、無条件の愛で育ててくれた人なのです。ちなみに、わたしが生まれた昭和38年の「母の日」は5月12日でした。わたしの母は最初のわが子を産んで、母になった2日後に「母の日」を迎えたわけです。



今度の誕生日で、わたしは53歳になります。誕生日を祝うということは、「あなたがこの世に生まれたことは正しいですよ」と、その人の存在を全面的に肯定することです。わが社では、毎月の社内報に全社員の誕生日情報(年齢は秘密)を掲載し、「おめでとう」の声をかけ合うように呼びかけています。誕生日当日には、わたしが社員のみなさんにバースデーカードを書き、ささやかなプレゼントを添えてお渡しします。


サンデー毎日」5月22日号の表紙



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2016年5月10日 佐久間庸和