花見をするなら、死を想え!


サンデー毎日」2016年4月10日号が出ました。
ウルトラマンの表紙がものすごいインパクトです!
やはり、日本人はスーパーマンでもバットマンでもなく、ウルトラマンでないと!
わたしは、同誌にコラム「一条真也の人生の四季」を連載しています。
第25回目のタイトルは「花見をするなら、死を想え!」です。


サンデー毎日」4月10日号



日本各地で桜が咲きはじめ、花見のシーズンがやってきました。
日本人は「限りある生命」のシンボルである桜を愛してきました。 日本人がいかに桜好きかは、毎年のように桜に関する歌が発表されて、それが必ずヒットすることからもよくわかります。



平安時代より以前は、日本で単に「花」といえば、梅を指しました。
平安以後は桜です。最初は「貴族の花」また「都市の花」であった桜ですが、武士が台頭し、地方農民が生産力を拡大させるにしたがって、次第に「庶民の花」としての性格を帯びてきました。よく「花は桜木、人は武士」などといわれますが、これは江戸中期の歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」に用いられて以降、流行語となりました。



国学者本居宣長は桜を日本人の「こころ」そのものとしてとらえ、「敷島の大和心を人とはば朝日に匂ふ山桜花」という和歌を詠みました。
桜を見て、「ああ美しいなあ」と感嘆の声を上げること、難しい理屈抜きで桜の美しさに感動すること、これが本当の日本精神だというのです。



日本人は、月と花に大きな関心を寄せてきました。月も花も、その変化がはっきりと眼に見える「かたち」であらわれることから、自然の中でも、時間の流れを強く感じさせます。
特に日本においては桜が「生」のシンボルとされました。桜ほど見事に咲いて、見事に散る花はないからです。そこに日本独自の美意識も生まれました。



月と桜を誰よりも愛した日本人こそ、「歌聖」と呼ばれた西行です。
彼が詠んだ歌の中でも、「願はくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月のころ」は特に有名です。西行は、この歌に詠んだとおりの状況で入寂したという伝説が残っています。
結局、月も桜も、その美しさ、はかなさは限りなく「死」を連想させるのです。月は欠けるから美しく、桜は散るから美しく、そして人は死ぬから美しいのかもしれません。
散りゆく桜の花びらを眺めていると、死が怖くなくなっている自分に気づきます。
花見をするなら、死を想え! ジュワッ!(by ウルトラマン


サンデー毎日」4月10日の表紙

本日、わが家の桜の老木も咲き始めました



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2016年3月29日 佐久間庸和