上杉鷹山像

各地には多くの銅像が建立されており、先人の志を感じることができます。
1894年に刊行された内村鑑三の『代表的日本人』は、岡倉天心の『茶の本』、新渡戸稲造の『武士道』と並び、日本人が英語で母国・日本の文化や思想を欧米に紹介した名著です。5名の歴史上の人物が選ばれていますが、内村は日本の精神文化の特質を欧米の文化に勝るとも劣らない日本の思想や文化を歴史上の偉人を紹介することにより、日本の伝統精神の素晴らしさを知ってもらうために『代表的日本人』を書いたのです。内村が選んだ「代表的日本人」は西郷隆盛二宮尊徳中江藤樹日蓮、そして今回紹介する上杉鷹山です。


上杉鷹山公の銅像の前で



上杉鷹山が藩主を務めた米沢藩は、かの有名な戦国武将上杉謙信を藩祖とする上杉家が国替や改易されずに明治維新まで治世していた藩です。その9代藩主である鷹山は江戸時代における屈指の名君として知られています。鷹山は、寛延4年(1751年)の生まれですが、もともと上杉家の嫡男ではなく、日向国(現在の宮崎県)高鍋藩主である秋月種美の次男でした。
宝暦10年(1760年)、10歳の時に米沢藩8代藩主である上杉重定の娘幸姫の婿養子となり17歳で家督を相続します。


上杉鷹山公歌碑



しかし、当時の米沢藩は深刻な財政難に陥っていました。鷹山は、この厳しい状況を打開し米沢藩を復興していく覚悟を誓詞にしたため、春日神社と白子神社に奉納しています。
誓詞の内容は「藩主は民の父母であるという心構えを第一とする」「学問・武術を怠らない」「質素・倹約を心掛ける」「厳正な賞罰をおこなう」というものでした。
米沢の神社には、鷹山の「なせば成る なさねば成らぬ 何事も 成らぬは人の なさぬなりけり」の歌碑があります。



鷹山は、明和4年(1747年)12か条からなる大倹約令を発令し、自ら鷹山は率先して節約を実行しました。江戸藩邸での自身の生活費を約7分の2にまで削減しており、食事は一汁一菜、普段着は木綿とし、奥女中も50人から9人まで減らしました。まさに、「してみせて 言ってきかせて させてみる」という鷹山の名言を実践したのです。



まず、鷹山は藩政改革として農業開発に力を注ぎます。安永元年(1772年)には、鷹山自ら田を耕す「籍田の礼」を執り行っています。これは『周礼』や『礼記』にも記されている古代中国の勧農と豊饒を祈願するための農耕儀礼であり、藩主自ら農業の尊さについて、身をもって示した訳ですが、いかに鷹山の教養が高かったかを窺うことができます。この後、荒地開発や堤防修築などを積極的に実施していきます。農業に留まらず、鷹山は殖産興業にも取り組んでいます。「米沢織」は現在も米沢の主要産業ですが、これは鷹山の時代に始まったものです。



また鷹山は「学問は国を治めるための根元」であると考え、安永5年(1776年)、米沢城下に藩校「興譲館」を創設します。鷹山は藩校創設に際して、幼少時代の師・細井平洲に意見を求めています。平洲は、学問とは政治や経済に役立つ「実学」という自らの信念にもとづき、鷹山に「建学大意」という指導書を献策しています。



不退転の覚悟で藩政改革を実施した後、天明5年(1785年)、鷹山は35歳で家督を譲り隠居します。家督を譲るに際し、10代藩主となる上杉冶広に君主としての心得を記した「伝国の辞」をしたためています。「伝国の辞」は以下の三カ条からなります。

一、国家は先祖より子孫へ伝え候国家にして我私すべき物にはこれなく候
一、人民は国家に属したる人民にして我私すべき物にはこれなく候
一、国家人民のために立たる君にして君のために立たる国家人民にはこれなく候

鷹山の改革により藩財政は少しずつ好転していきます。
「なせば成る なさねば成らぬ 何事も 成らぬは人の なさぬ成りけり」という名言が、単なる精神論ではなく、こうした開明的な国家観を背景にしていたことに驚かされます。


上杉鷹山公の銅像の前で



ちなみに、第35代米国大統領に就任したジョン・F・ケネディが、日本人記者団から「あなたが、日本で最も尊敬する政治家は誰か」と問われた際、「上杉鷹山」の名を挙げたが、日本人記者団の中でその名を知っている者はいなかったという逸話も有名です。
ケネディ元大統領が鷹山を尊敬していた所以は世界史的にも先駆けとなる民主的な政治思想も持ち主だったからでしょうか。



ただ、この逸話を裏付ける映像記録や文書がなく、もしかすると米沢市を中心とした「都市伝説」の類ではないかとさえ言われていたそうです。もっとも2013年11月27日、ケネディ元大統領の長女で駐日大使のキャロライン・ケネディ駐日米大使が、就任後の初講演の席上で元大統領が鷹山を尊敬していたことを明言しています。



さらに昨年9月27日には、ケネディ大使は米沢市で開幕した「なせばなる秋まつり」に合わせ米沢市に訪問し、「父(ケネディ米大統領)は(米沢藩9代藩主)上杉鷹山公を尊敬していた。皆さんが鷹山公から受け継いだ遺産をたたえ、新しい世代に伝えていることは喜ばしく、お祝いしたい」と語っています。このケネディ元大統領の逸話についての真偽はともかく、鷹山が優れた政治家であったことは揺るぎのない事実です。


上杉家御廟所にある鷹山公の墓所を参拝しました



米沢藩の藩祖である上杉謙信は「非道を知らず存ぜず」という名言を残していますが、鷹山も「人の道」、すなわち礼を重んじて「王道」を歩んだ保守本流の為政者であったことは間違いありません。その鷹山の人となりを象徴する言葉こそ、「なせば成る なさねば成らぬ 何事も 成らぬは人の なさぬなりけり」という名言なのです。
鷹山公のような素晴らしいハートフル・リーダーに少しでも近づきたいです。



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2016年1月16日 佐久間庸和