冠婚葬祭とは人生を肯定すること

ブログ「『サンデー毎日』の連載が決定しました!」に書いたように、わたしは日本で最初の総合週刊誌サンデー毎日」10月18日号(6日発売)よりコラムを連載することになりました。当初はサンレー創立50周年記念連載として、本名の佐久間庸和として書く予定でした。しかしながら、諸般の事情でペンネームの一条真也での執筆になります。また、タイトルも「天下布礼!」を考えていましたが、潟永編集長との打ち合わせの結果、「一条真也の人生の四季」に決定しました。それでも、この連載は「一条真也の新ハートフル・ブログ」ではなく、「佐久間庸和の天下布礼日記」の中で紹介していきます。ぜひ、サンレーグループの社員のみなさんや冠婚葬祭業界のみなさまに読んでいただきたいからです。



サンデー毎日」2015年10月18日号



一条真也の人生の四季」の記念すべき第1回は「冠婚葬祭とは人生を肯定すること」。
わたしは、冠婚葬祭会社を経営しながら、大学の客員教授として孔子の思想などを教えています。講義では、特に孔子が説いた「礼」について重点的に説明します。「礼」は儀式すなわち冠婚葬祭の中核をなす思想ですが、平たく言うと「人間尊重」でしょう。



「礼」の心を形にしたものが「儀式」です。孔子は「社会の中で人間がどう幸せに生きるか」ということを追求した人ですが、その答えとして儀式の重視がありました。
人間は儀式を行うことによって不安定な「こころ」を安定させ、幸せになれるように思います。その意味で、儀式とは人間が幸福になるためのテクノロジーなのです。
そうです、カタチにはチカラがあるのです!



さらに、儀式の果たす主な役割について考えてみたいと思います。
それは、まず「時間を生み出すこと」にあります。日本における儀式あるいは儀礼は、「人生儀礼」(冠婚葬)と「年中行事」(祭)の2種類に大別できますが、これらの儀式は「時間を生み出す」役割を持っていました。「時間を生み出す」という儀式の役割は「時間を楽しむ」や「時間を愛でる」にも通じます。



日本には「春夏秋冬」の四季があります。
わたしは、冠婚葬祭は「人生の四季」だと考えています。
七五三や成人式、長寿祝いといった儀式は人生の季節であり、人生の駅です。セレモニーも、シーズンも、ステーションも、結局は切れ目のない流れに句読点を打つことにほかなりません。わたしたちは、季語のある俳句という文化のように、儀式によって人生という時間を愛でているのかもしれません。それはそのまま、人生を肯定することにつながります。



未知の超高齢社会を迎えた本人には「老いる覚悟」と「死ぬ覚悟」が求められます。
それは、とりもなおさず「人生を修める覚悟」でもあるのです。
これから、冠婚葬祭や年中行事といった日本人のココロのカタチを取り上げながら、人生を豊かに生き、人生を美しく修めるヒントのようなものを書いていきたいと思います。
どうか、全国に「千の風」ならぬ「礼の風」が吹きわたりますように!


サンデー毎日」10月18日号



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2015年10月6日 佐久間庸和