北九州市原爆犠牲者慰霊平和祈念式典

8月9日は、「長崎原爆の日」です。70年前の今日、広島に続いて長崎に落とされた原爆は、本当は小倉に落とされるはずでした。毎年、サンレー本社の朝礼では、わたしが小倉原爆についての話をします。その後、社員全員で長崎原爆の犠牲者に対して黙祷を捧げるのです。しかし今日は日曜で会社が休みなので、黙祷ができませんでした。わたしは、小倉の勝山公園で行われた「北九州市原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」に参列しました。


北九州市原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」の案内チラシ

勝山公園の入口で

来賓受付のようす

原爆犠牲者慰霊平和祈念碑

長崎の鐘

平和の灯

来賓席に座りました



昭和20年8月9日、長崎に投下された原爆の第一目標が小倉だったことに思いをはせ、例年この日に原爆犠牲者慰霊平和祈念碑前(小倉北区勝山公演内)において、「北九州市原爆被害者の会」の主催(北九州市:共催、北九州市教育委員会:後援)で祈念式典が開催されています。70年目の節目となる今年、民間企業の代表として1人だけわたしが来賓としご招待を受けました。ブログ「鎮魂広告」に書いたように、もう10年以上も、新聞各紙に「小倉に落ちるはずだった原爆」「長崎にこころからの祈りを」のメッセージ広告を掲載し続け、啓蒙に努めてきたことが認められたのではないかと思っています。


北九州市原爆被害者の会」の吉田会長の挨拶

北九州市の北橋市長の挨拶



30度を超える猛暑の中、屋外で、礼服に黒ネクタイというスタイルはさすがに暑かったです。わたしは持参したタオル・ハンカチがビチョビチョになるくらい汗を拭きました。
式典は10時40分から開始され、最初に「主催者あいさつ」として、「北九州市原爆被害者の会」の吉田龍也会長が挨拶をされました。その後、北九州市北橋健治市長が挨拶をされました。続いて、北九州市議会議長の挨拶もありました。


広島・長崎両市長からのメッセージが読み上げられる



それから、「広島・長崎市メッセージ」として、広島・長崎両市長からのメッセージが読み上げられました。広島市長の「絶対悪としての核兵器」という言葉が印象的でした。そして、長崎に原爆が投下された午前11時02分ちょうどに参加者全員で黙祷を行いました。
わたしは70年前の原爆で犠牲になった方々のこと、第一目標であった小倉に投下されなかったために命が助かった母のこと、そして母が死ななかったためにこの世に生を授かった自分のことなどが脳裡に浮び、もう胸がいっぱいになりました。


「平和の灯」の献灯のようす

千羽鶴の献納のようす



それから、北九州市立大学の女子学生による「平和の火」が献火されました。
なんでも福岡県八女市星野村にある「平和の火」をここまで持ってきたそうです。
そして、戸畑の天心幼稚園の園児による「千羽鶴献納」がありました。ちょうど、わたしの隣りの席に天心幼稚園の園長さんが座っておられたので、わたしが「素晴らしいことをされましたね。園児さんたちも良い思い出になりますね」と言うと、園長さんはニッコリと微笑まれました。子どもの頃から「死者を想う」教育を受けることは、最高の「こころの教育」だと思います。


合掌する吉田会長

合掌する北橋市長



それから、北九州市内の高校生、中学生、小学生などによる「非核平和都市宣言」の唱和が行なわれました。そして、クライマックスの「献花・灌水・鳴鐘」です。最初に「北九州市原爆被害者の会」の吉田龍也会長、続いて北九州市北橋健治市長が献花し、記念碑に水をかけ、鐘を鳴らしました。


わたしも花を受け取りました

花を持って献花台へ・・・・・・

献花をさせていただきました

原爆犠牲者慰霊平和祈念碑に水をかけました

数珠を持って合掌しました

心を込めて礼拝しました

犠牲者の方々の御冥福をお祈りしました

そして「長崎の鐘」へ・・・

万感の想いで鐘を鳴らしました

鐘の音が魂に響きました



わたしの番が来ました。わたしは立ち上がって遺族会の方々に一礼し、献花用の花を受け取りました。その花を心を込めて献じ、原爆犠牲者慰霊平和祈念碑に水を丁寧にかけ、礼服のポケットから数珠を取り出して犠牲者の御霊に対して心からの祈りを捧げました。
そして、わたしは万感の想いを込めて「長崎の鐘」を鳴らしました。
その鐘の音は、魂に響き渡るような気がしました。
「献花・灌水・鳴鐘」を終えたわたしは、再び遺族会の方々に一礼しました。


長崎の水・北九州の水・広島の水



灌水用の水ですが、長崎の水・北九州の水・広島の水が合わさったものでした。
わたしは、それを見て魂が揺さぶられる思いがしました。以前に観た「ヒロシマナガサキ」という映画で、ある被爆者が「きのこ雲というのは嘘です。近くから見たら、あれは雲などではなく、火の柱そのものでした」と語ったのが強く印象に残りました。火の柱によって焼かれた多くの人々は、焼けただれた皮膚を垂らしたまま逃げまどい、さながら地獄そのものの光景の中で、最後に「水を・・・」と言って死んでいったそうです。


ヒロシマナガサキ [DVD]

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考えてみれば、鉄砲にせよ、大砲にせよ、ミサイルにせよ、そして核にせよ、戦争のテクノロジーとは常に「火」のテクノロジーでした。沖縄戦で「ひめゆり」の乙女たちを焼き殺した火焔放射器という兵器もありました。地獄と同じく、戦争の本質は火なのだと思います。
戦争の本質が火なら、平和の本質は水ではないでしょうか。


わたしは、かつて『世界をつくった八大聖人』(PHP新書)という本を書きました。
そこで、ブッダ孔子ソクラテスやイエスといった聖人について考える中で、気づいたことがあります。和辻哲郎ヤスパースも指摘しているように、いわゆる世界の「四大聖人」は「四大文明」というものを背景にして誕生しています。そして四大文明は、いずれもチグリス・ユーフラテス河、ナイル河、インダス河、黄河といった大河から発生しています。「エジプトはナイルのたまもの」というヘロドトスの言葉を引くまでもなく、豊かな水なくして巨大文明はありえなかったのです。文明どころか、この世界そのものが水から生まれたとされています。



「万物は水である」とタレスは言いましたが、『旧約聖書』の「創世記」も含めて、世界中のあらゆる天地創造神話において、水が世界の始原に関わっています。
生命も水から生まれたのであり、水は命そのもののシンボルでもある。
わたしは、聖人とは「水の精」ではないかというイメージが突如として浮かび、それが頭の中に棲みつきました。「花には水を、妻には愛を」というコピーが以前ありましたが、人類には「水」も「愛」も必要です。聖人とは、基本的に人類に水と愛(アガペ、慈悲、仁)をもたらす存在ではないかと思うのです。



火と水。わたしは、ここに人類の謎があるような気がします。
人類がどこから来て、どこへ行こうとしているかの謎を解く鍵があるように思います。
つまり、人類は水にはじまって火に終わるのではないか。もともと世界は水から生まれましたが、人類は火の使用によって文明を手に入れた。ギリシャ神話のプロメテウスは大神ゼウスから火を盗んだがゆえに責め苦を受けますが、火を得ることによって人間は神に近づき、文明を発展させてきたのです。



火は文明のシンボルです。いくら核兵器を生んだ文明を批判しても、わたしたちはもはや文明を捨てることはできません。自動車もエアコンもパソコンもスマホも、みな火の子孫なのです。わたしたちは、もはや火と別れることはできません。しかし、水は人類にとって最も大切なものです。ならば、どうすべきか。わたしは、人類には火も水も必要なことを自覚し、智恵をもって火と水の両方とつきあってゆくしかないと思います。決して火に片寄ることなく、文明を発展させつつも、核の火を燃やして人類そのものまでも焼きつくしてしまわないように常備すべき消火用の水、闘争本能で加熱した頭を冷やす水、それこそが水の精である聖人たちの教えではないでしょうか。火と水が結合した「火水(かみ)」によって、大いなる産霊(むすび)が生まれ、人類の「いのち」が輝くのではないでしょうか。



ヒロシマナガサキ」には、母親と妹を原爆で亡くした被爆者の女性が、終戦後、はじめてアメリカ兵に会ったとき、つかみかかって「母ちゃんと妹を返せ!」と叫んだというエピソードが登場します。しかし、日本語が通じず、若い米兵はただニコニコ笑っていた。その笑顔を見たとき、彼女は「この人に文句言っても仕方ないね」と悟ったそうです。そのように、地獄のような被爆体験を味わわせたアメリカへの恨みを水に流した日本人が多かったのです。



水に流す! 戦後70年経っても日本への恨みを忘れない中国や韓国の方々を見るにつれ、良い悪いは別にして、原爆まで落とされたアメリカへの恨みを水に流した日本人は、ある意味ですごいと思います。この「水に流す」という思想、つまり「ゆるす」という思想こそ、水の精である聖人たちが説いてきたことではなかったでしょうか。
そして、人類の問題は結局、「戦争」と「環境破壊」の二つに集約されます。いま、地球上には広島に落とされた原子爆弾の40万個に相当する核兵器が存在し、地球温暖化をはじめとした環境問題は深刻化する一方です。しかし、2つの問題の解決への糸口はあると、わたしは思います。それは、「水を大切にする」という1つの思想ではないでしょうか。



わたしは、「長崎の水」「北九州の水」「広島の水」と書かれたポリバケツを見て、金沢の結婚式で行われる「水合わせの儀」を思い出しました。両家から持ち寄った水を合わせるというセレモニーなのですが、まさに「最高の平和」という理念を見事に体現したカタチであると思います。わたしは、ふと、「チグリス・ユーフラテス河の水」「ナイル河の水」「インダス河の水」「黄河の水」を合わせた世界平和のセレモニーをやればいいのではないかと思い立ちました。この人類史的平和セレモニー、いつか必ず必現したいと思います。


式典を終えて・・・・・・



式典が終了して、黒ネクタイを外すと、小倉城、リバーウォーク北九州、そして北九州市庁舎が視界に入ってきました。空は青く、どこまでも平和な光景です。
わたしたちがこの平和を味わうことができるのも、多くの死者に支えられてのことです。
わたしは、70年前の長崎原爆(小倉原爆)の犠牲者の方々のことを絶対に忘れず、この命を与えられたことを感謝し続けていきたいと思います。
終戦70周年を記念して出版した『唯葬論』(三五館)や『永遠葬』(現代書林)にも書きましたが、死者を忘れて生者の幸福など絶対にありえません!


唯葬論

唯葬論

永遠葬

永遠葬

*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2015年8月9日 佐久間庸和