「銅像に学ぶ」開始!


わたしは、観光が大好きです。観光地ではさまざまな発見がありますが、多くの観光地にはその土地ゆかりの銅像が建立されています。じつは、わたしは三度の飯より銅像が好きなのです。正確には、銅像の真似をして写真に写ることが好きなのですが・・・・・・。


湯島聖堂孔子像の前で

日本一の弘法大師像をバックに



しかし、これは単におふざけでやっていることではありません。「銅像」は偉大なる先人たちの憑代(よりしろ)であり、そのポーズには何かしらのメッセージが潜んでいます。その偉人と同じポーズをとることで偉人の志を感じることが大事なのです。これは先人に対する「礼」でもあり、その精神を学ばせていただいているのです。もともと「学ぶ(まなぶ)」という言葉は「真似ぶ(まねぶ)」から来ています。銅像の真似をすることには深い意味があるのです!


上杉謙信公の銅像前で

上杉鷹山公の銅像の前で



わたしは「観光力」というものに注目し、「その土地の放つ光を観るごとく 人の光も観たきものなり」という道歌を詠んだことがあります。みなさんは、観光力とは観光地における集客力とか人気のことだと思われるでしょう。それは観光される側の問題ですね。しかし、わたしがお話しようとしている観光力は、観光する側の問題です。
サンレーグループ佐久間進会長が(社)日本観光旅館連盟や(社)北九州観光協会の会長を歴任してきたことから、会長の訓話などには「観光」に関するものが多いですね。わが社の社員の間でも、観光に対する意識は高いように思います。


山形の山寺の芭蕉像とわたし

熊本城内の谷村計介像の前で



「観光」とは、もともと古代中国の書物である『書経』に出てくる「観國光」という言葉に由来します。「國光」とは、その地域の「より良き文物」や「より良き礼節」と「住み良さ」を指します。すなわち観光とは、日常から離れた異なる景色、風景、街並みなどに対するまなざしに他なりません。どんな土地にも、その土地なりの光り輝く魅力があります。そして、観光とは文字通り、その光を観ることなのです。


米沢の上杉神社境内で

萩の吉田松陰像の前で



わたしは、土地の光を観る精神は人間の光を観る精神にもつながるのではないかと思います。つまり、その人の良いところを観るということです。
他者の放つ光に敏感にならなければなりません。それは、リーダーシップに通じるものです。リーダーシップというと経営者だけが持っていればよいと思ってはいませんか。しかし、社長のわたしだけでなく、わが社で働くすべての人に必要なものです。


上野の西郷隆盛像の前で

鹿児島の大久保利通銅像の前で



リーダーシップの本質とは、意義あるビジネスを生み出すこと、さらに言えば、意義ある人生を生み出すことにあります。過去と他人は変えられませんが、未来と自分は変えられます。変えられるのは自分だけであり、自分だけが自分を変えられるのです。自分の一番よいところを引き出すこと、自分の「強み」を生かすこと、自分の周囲に人々がのびのびと成長できるような環境をつくってあげること、これが真のリーダーシップではないでしょうか。


靖国神社大村益次郎銅像の下で



そしてドラッカーは、リーダーシップについて語るにあたり、何よりも「真摯さ」の重要性を説きました。
論語』にも「君子は人の美を成す。人の悪を成さず。小人は是れに反す」という言葉があります。「君子は人の美点を伸ばし、悪い点は出さないようにするものだ。小人はその反対だ」という意味です。ドラッカーのみならず、孔子もまた「観光力」の必要性を知っていたのでしょう。


種子島の鉄砲伝来の像の前で

石垣島の英雄オヤケアカハチ像の前で



ご存知のとおり「温故知新」も『論語』に出てくる言葉ですが、わたしは銅像を通して先人の志を学ばせていただいているのです。また、銅像は歴史的な瞬間を表現したものも多いです。銅像を通して、時代の精神なども学びたいです。本当に、単なるわたしの趣味で銅像の真似をしているのではありませんよ。わたしは、そんな「変な人」ではありません!


ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)



ということで、この「「佐久間庸和の天下布礼日記」においても「銅像に学ぶ」というテーマでブログ書いてみようと考えています。どーぞー、お楽しみに!


真似せずにはいられない!

どーぞー、お楽しみに!



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2015年8月8日 佐久間庸和