井筒屋80年の歩み

昨夜、『唯葬論』の再校と『満月交遊』の初校をチェックしました。合計で1000ページを超す校正作業を一晩で行ったわけですから、寝不足です。今朝、それぞれ出版社に戻しました。
今日も朝からスケジュールがびっしり詰まっていますが、昼になって、わたしはリーガロイヤルホテル小倉で行われた小倉ロータリークラブの例会に参加しました。


本日の例会のようす



今日は新年度(2015〜16年度)の初例会でした。
九州歯科大学の鱒見副学長が新会長として挨拶をされました。
また、昨年度すべての例会に出席したとして、小島前会長が表彰を受けました。
それから、月初恒例の「誕生日祝い」「結婚記念日祝い」が行われました。
ブログ「九州を元気に!」で紹介したように、5月1日の例会ではわたしの名前が続けて呼ばれました。わたしの誕生日は5月10日、結婚記念日は20日なのですが、あれからもう2ヵ月以上が経過していたのですね。今日は他の方々の誕生日と結婚記念日をお祝いしましたが、お祝い事はやっぱり良いもんです。みなさん、おめでとうございます!


井筒屋の影山社長の卓話のようす



本日の卓話は、(株)井筒屋の影山社長が「井筒屋80年の歩み」について話して下さいました。影山社長はわたしの高校の先輩で、日ごろから親しくさせていただいています。
今月30日に井筒屋さんは創業80周年を迎えられます。わが小倉ロータリークラブは創立65周年ですが、もともと井筒屋さんの食堂で最初の例会が開かれました。80年前、「小倉にも百貨店を」と考えた小倉市の神崎市長がご自身の経営する土地・家屋(梅屋旅館)を提供されて、創業されたそうです。当時の小倉市の人口は11万人だったとか。ちなみに、八幡市は21万人、門司市は12万人、若松市戸畑市は7万人づつでした。福岡市は29万人で、さらに東京は590万人、大阪市は300万人、名古屋市は100万人ということで、その勢力図(日本全国の人口における人口比)は今とあまり変わらない気もします。



井筒屋はもともと西鉄と密接な関係がありました。昭和48年に東証一部上場しますが、その頃は「寝ていても売上・利益が前年比2割増し」という良き時代だったそうです。
影山社長が入社されたのは昭和50年で、最初は食品売場に配属されたそうです。包丁をといでシャケなどを切る日々が続き、今でも魚をさばくのは得意だとか。影山社長は「若いときにやったことは、ずっと忘れんですね」と言われていました。それから、影山社長は井筒屋をはじめ、北九州の百貨店業界のさまざまなエピソードを披露して下さいました。最後は、「デパートが社会インフラとなるように頑張ります」と言われたのが印象的でした。
卓話後の鱒見会長の謝辞にもありましたが、北九州の人は「井筒屋で買えば安心」と思っています。この信頼感が同社に創業80周年を迎えさせてくれたのだと思います。
これからも、北九州で唯一の百貨店として、井筒屋さんのご繁栄をお祈りいたします。
影山社長、今日は素晴らしい卓話をありがとうございました!


小松空港に到着しました



例会が終了すると、わたしはいったん会社に寄って、それから自宅に戻り、迎えの車に乗って福岡空港に向かいました。ANA1238便で小松空港に飛びます。
じつは、小松に本社にある会社の会長さんがお亡くなりになられ、わが社の「小松紫雲閣」で4日に社葬が行われます。わたしも参列させていただき、5日の朝には東京に飛びます。
飛行機の中で少しは休めるかな? それでは、行ってきます!



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2015年7月3日 佐久間庸和