守礼之邦の生き方に学ぶ

全互連中部ブロックのみなさんと一緒にシンガポールに来ています。
日本では、サンレーグループ報「Ray!」5月号が発行されました。
東南アジアより、リアルタイムで最新メッセージをお伝えいたします。
タイトルは、「豊崎紫雲閣オープン! 守礼之邦の生き方に学ぶ」です。


「Ray!」2015年5月号



豊崎紫雲閣のオープン
4月4日、サンレー沖縄の「豊崎紫雲閣」の竣工神事が行われました。サンレーグループとして、沖縄県内で7番目、全国で61番目(いずれも完成分)の紫雲閣です。神事では、沖縄を代表する神社である波の上宮の辻信彦権禰宜にお越しいただきました。
波の上宮は、イザナミノミコトを御祭神としています。その隣は寺院で、真言宗高野山派の波上山護国寺です。さらにその隣は孔子廟至聖廟孔子道教の神々がともに祀られています。孔子廟に祀られている孔子像は、世界孔子協会の孔健会長が寄贈したものです。
ここでは、わずか数百メートルの圏内に道教も含め、神道、仏教、儒教の宗教施設が隣接しています。いわば、異なる宗教が共生しているのです。まさに、「沖縄のチャンプルー文化ここにあり!」を見せつけられる思いがします。まったく、こんなに平和なことはありません。



●都市成長力日本一
豊崎紫雲閣が建てられた場所は豊見城市の中心部で、沖縄最大のアウトレットモールである「あしびなー」の真横という素晴らしい立地です。
豊見城(とみぐすく)という地名は、13世紀から15世紀の三山時代に、後の南山王となる汪応祖(わんおうそ)が漫湖を眺望する高台に城(ぐすく)を築き、それを「とよみ」と呼んだことに由来するそうです。「とよみ」とは「鳴り響く」、「名高い」などの意味があり、それを時代とともに「とよみぐすく」「てぃみぐすく」「とみぐすく」と変遷したとか。
この豊見城市ですが、「都市成長力日本一」として有名です。東洋経済新報社が実施する『東洋経済別冊都市データパック2012年版』で豊見城市が成長力ランキングで全国810市中、1位となりました。この成長力ランキングは人口や事業所数、商業販売、住宅着工、所得・税収などの個人消費や産業関連の主要指標の過去の五年間の伸びを数値化しはじき出した、非常に信頼度の高いものです。



●基地とセレモニーホール
もしかすると、このような一等地にセレモニーホールは似合わないと思われた方もおられたかもしれません。しかし、わたしは沖縄の地にセレモ二―ホールを作ることの意義をいつも考えます。
いま、辺野古の新基地建設をめぐる問題で、基地建設を推進している国と反対を掲げて沖縄県知事に当選した翁長知事とが対立しています。ここで政治的な問題に立ち入ることは控えますが、わたしは「セレモニーホール」とは「基地」の反対ではないかと思っています。もともと、わが社の小倉紫雲閣は本格的な総合葬祭会館の先駆けであるとされていますが、セレモニーホールとは究極の平和施設ではないでしょうか。なぜなら、「死は最大の平等」であり、亡くなった方々は平和な魂の理想郷である「ニライカナイ」へと旅立たれるからです。セレモニーホールとは平和な世界への駅であり港であり空港なのだと思います。



●「守礼」とは何か
沖縄は「守礼之邦」と呼ばれます。これは首里城に掲げられた扁額の「守禮之邦」からきている俗称です。
首里城の創建年代の確定はできていませんが、16世紀に活躍した琉球王国第2尚氏王朝4代目の尚清王の時に建てられていることは分かっています。
またその頃は現在のような瓦葺きではなく板葺きであって、扁額は「待賢」でした。後に「首里」の扁額が掲げられるようになり、その後6代尚永王の時に「守禮之邦」の扁額が作られました。それからは、中国から冊封使が来ている間は「守禮之邦」の扁額を掲げ、それ以外の期間は「首里」の扁額を掲げるということとなりました。
しかし17世紀の9代尚質王の時には「守禮之邦」の扁額を常掲するようになり、これが現在に至っています。
なお扁額となった「守禮之邦」という言葉は、尚永の冊封の際の中国皇帝(この時は万暦帝)からの詔勅にあった文言で、「琉球は守礼の邦と称するに足りる」というくだりから来ています。このように、「守礼」とは、もともとは琉球宗主国であった明への忠誠を表す言葉だったのでしょう。



●沖縄は「人間尊重」之邦
しかし、わたしたちは「礼」を「人間尊重」の意味でとらえています。沖縄の方々は、誰よりも先祖を敬い、熱心に故人の供養をされます。また、近所に住む隣人を大切にされます。日本でも最高の「礼」を実現していると思っています。
今年は、終戦70周年の年です。先の戦争では、沖縄の方々は筆舌に尽くせぬ大変なご苦労をされました。わたしどもは、心を込めて、沖縄の方々の御霊をお送りするお手伝いをさせていただきたいと願っています。
竣工神事で主催者挨拶を述べた最後に、わたしは万感の想いをこめて、「紫の雲ぞ来たれり豊見城(とみぐすく) 守礼之邦の礼を守らん」という歌を詠みました。
沖縄の人たちは、日本中のどこよりも先祖と隣人を大切にすることで知られます。それだけではありません。「いちゃりばちょーでい」という言葉は、「一度会ったら兄弟」という意味です。沖縄では、あらゆる縁が生かされるのですね。
「守礼之邦」は「人間尊重之邦」であり、大いなる「有縁社会」なのです。わたしたちが幸せに暮らすためのヒントが沖縄にはたくさんあります。すべての日本人は無縁社会を乗り越えるために、「本土復帰」ならぬ「沖縄復帰」するべきだと強く思います。



守礼とは先祖敬い
    隣人と仲良く暮らす幸せの道  庸軒




守礼門で「天下布礼」の旗を持つ


 
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2015年5月25日 佐久間庸和