中津池永紫雲閣竣工式

19日の北九州は気温が33度もありました。11時より、ブログ「中津東紫雲閣起工式」で紹介した昨年6月27日に竣工神事を行った紫雲閣の竣工式が行われました。ただし、名称は「中津東紫雲閣」ではなく「中津池永紫雲閣」です。ブログ「みやこ紫雲閣竣工式」で紹介した「みやこ紫雲閣」といい、最近は起工式と竣工式で名称が違うケースがでてきました。これも、少しでもお客様に親しみやすい施設運営を考えてのことです。


完成した「中津池永紫雲閣」の外観

ロビーにて

たくさんの胡蝶蘭が届いていました



中津池永紫雲閣大分県中津市下池永に建設されました。
ここは、もともと「マリエールオークパイン中津」という結婚式場があった場所です。
サンレーグループとして、大分県内で6番目、全国では62番目(いずれも完成分)の紫雲閣となります。スズキ設計さんのデザインだけあって非常に洗練された施設に仕上がりました。まるで美術館のようでもあり、ホテルや高級旅館のようでもあります。


まるで美術館のようです

まるでホテルのようです

まるで高級旅館のようです

休憩室のようす



神事の進行は、サンレー大分管理部の白鳥智昭課長が担当しました。
神事は、ブログ「薦神社」で紹介した地元を代表する、由緒ある神社の池永孝生宮司にお願いしました。薦神社はブログ「宇佐神宮」で紹介した全国八幡宮総本宮である宇佐神宮の祖宮とされ、非常に伝統があることで知られます。その創建は承和年間(834〜848年)とされており、まさに「古社」と呼べるでしょう。


神饌のようす

竣工式のようす

一同礼!

祝詞をあげる薦神社の池永宮司



開式の後、修祓之儀、降神之儀、献饌、祝詞奏上、清祓之儀を行いました。
それから、玉串奉奠です。最初にサンレーグループ佐久間進会長が、続いて、株式会社サンレーの社長であるわたしが玉串を奉奠しました。
清祓の儀のようす

玉串奉奠する佐久間会長

わたしも玉串奉奠しました



それから、株式会社ズズキ設計の鈴木会長、株式会社瀬口組の瀬口社長、サンレー北九州本部長の橋本常務、紫雲閣推進本部長の東常務が次々に玉串を奉奠しました。その後、撤饌、昇神之儀、そして閉式と、滞りなく竣工清祓神事を終えました。


スズキ設計の鈴木会長に感謝状を贈呈

瀬口組の瀬口社長に感謝状を贈呈



それから、感謝状贈呈式を行いました。
スズキ設計の鈴木会長、瀬口組の瀬口社長に感謝状をお渡ししました。
わたしは、金一封を添えて、お二人に心よりの感謝を込めてお渡ししました。


主催者挨拶をしました



そして、主催者挨拶です。わたしは施主として次のように挨拶しました。
「このように立派なホールを建設できて、本当に嬉しく思います。これで、会員様に満足のゆくサービスを提供することができます。もともと施設は、サンレー大分事業部本部新社屋と一体となっての建設であり、大きな期待が寄せられています。ぜひ、新施設で最高の心のサービスを提供させていただき、この地の方々が心ゆたかな人生を送り、人生を卒業されるお手伝いをさせていただきたいと願っています」


「中津」について話しました



「さて、この中津という土地には非常に古い歴史があります。国道10号南側には条里制(古代の土地区割制度)による条里地割の跡が現存しており、古代から中津(沖代)平野の開発が行われていたことがわかります。中津池永紫雲閣もこの条里(沖代条里)の中に位置しています。日本神話に出てくる『豊葦原中国(とよあしはらのなかつくに)』はこの地であり、豊の国や中津という地名はその名残であるとする説もあるそうです」


「豊の国の中津」のロマンを紹介しました



豊葦原中国は単に『中国』もしくは『中津国(中つ国)』とも言います。『日本書紀』には、『豊葦原千五百秋瑞穂國(とよあしはらのちいほあきのみずほのくに)』という記載があります。神々の住む天上世界である高天原と対比して、人間の住む日本の国土を指すと考えられるでしょう。文字通り、豊の国の中津=大分県中津市という説には大いなるロマンがあります」


神代より中津と呼びしこの地より皐月に出づる紫の雲



わたしは、「下池永」の歴史についても述べました。
「下池永ですが、明治17年まで下池永村でしたが合併により如水村となり昭和18年に中津市編入されました。近隣に築上年代は定かではありませんが池永氏によって築かれた池永城がありました。池永氏は宇佐公池守の子宇佐権大宮式佐の後裔で、薦池守となって代々守ってきましたが天正16年(1588年)黒田官兵衛によって攻められました。現在の薦神社の宮司様はこの池永氏の流れと言われています。本日は、池永宮司にお越しいただき、神事を執り行っていただいて、誠に光栄の至りです。ぜひ池永氏に敬意を表したいと思い、この施設の名称を中津池永紫雲閣とさせていただきました」
そう述べた後、わたしは以下の歌を詠みました。



神代より中津と呼びしこの地より
        皐月に出づる紫の雲(庸軒)


その後、木原淳支配人より、この地の方々の人生の卒業式を心をこめてお世話させていただき、地域に愛される会館をめざしますという力強い決意を受け取りました。
決意表明の後は、参加者全員で集合写真を撮影しました。


直会のようす

挨拶する佐久間会長

素晴らしい施設が出来ました!

池永宮司の発声で神酒拝戴しました



集合写真を撮影した後は、直会(なおらい)に移りました。
直会の冒頭では、佐久間会長が挨拶しました。会長はニコニコしながら「ここは昔は田んぼばかりの土地でした。このような場所に紫雲閣を作ることなど思いもよらないことでしたが、最近は住宅も増えてめざましく発展しています。おそらく、うちの施設の中でも特に好成績をあげるのではないかと期待しています。設計、施工のみなさまのおかげで、こんな素晴らしい施設ができ、感謝しています」と述べました。会長の挨拶の後は、由緒ある薦神社の池永宮司が挨拶をされました。池永宮司は「先ほど佐久間社長も言われたように、この地は池永氏という豪族が支配しておりました。池永氏は空海の出身である佐伯氏と同じく、水を司る一族でした。池永の名を冠したこの施設が大成功されることを祈念いたします」と述べられました。
それから、池永宮司の乾杯の発声で宴がスタートしました。


美味しい料理を楽しみました

厨房を完備しています

最後は、末広がりの五本締めで・・・



乾杯後は、ヴィラルーチェの料理を食べながら、みんなで楽しく歓談しました。この施設は厨房を完備しているので、料理は大変美味しかったです。天ぷらなども熱々でした。
きっと、多くのお客様にご満足いただけるのではないかと思います。
最後は、大塚秀樹事業部長がサンレー名物「末広がりの五本締め」を行いました。直会を終えて外に出ると、新時代の儀式イノベーションを実現する「禮鐘」が置かれていました。


禮鐘」の前で


この中津池永紫雲閣の見学会は、5月23日(土)・24日(日)に行われます。お楽しみ大抽選会も行われますので、ご来場をお待ちしております。開業は25日(月)です。
なお、本日の「毎日」「朝日」「読売」「大分合同」の各紙朝刊に広告が掲載されました。


「毎日」「朝日」「読売」「大分合同」新聞5月19日朝刊広告



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2015年5月19日 佐久間庸和