沖縄海洋散骨

この記事は、当ブログ995本目の記事となります。
沖縄の那覇市に来ています。4月9日、サンレー沖縄主催による「第2回 沖縄海洋散骨」が行われました。まずは14時から那覇紫雲閣で合同慰霊祭が開催されました。


那覇紫雲閣の前で

慰霊祭会場のようす

祭壇には「祈」の文字が・・・・・・

合同慰霊祭のようす

わたしも献灯しました



合同慰霊祭は、ムーンギャラリーの進藤さんの司会によって進行されました。「開会の辞」に続いて、DVDによる映像演出の後、黙祷、「禮鐘の儀」、サンレー沖縄の黒木部長による「追悼の言葉」、カップローソクによる献灯があり、慰霊祭は終了しました。終了後、それぞれの遺族ごとに集合写真を撮影しました。


クルーザーの前でスタッフと

安田さ〜ん、また会えるから

船内のようす

けっこう波は荒かったです



その後、那覇紫雲閣から三重城港へ移動しました。船は15時30分に出港しました。出港の際は汽笛が鳴らされ、スタッフが整列して見送ってくれました。
フォトグラファー」こと安田淳夫さんも黒いカリユシ姿で写真を撮影してくれました。
わたしはデッキに上がって、小さくなっていく安田さんに向かって「安田さん、さよ〜なら〜。安田さ〜ん、また会えるから〜」と何度も叫びました。
船は最初の10分ぐらいはけっこう揺れましたね。途中まで波も荒かったようですが、みなさんの想いが天に通じたのか、急に天気が好転し、太陽の光が差し込んできました。


全員で黙祷しました

散骨場所の位置をGPSで確認、記録します

散骨の儀のようす



16時頃、散骨場に到着しました。そこから、海洋葬のスタートです。
開式すると、船は左旋回しました。これは、時計の針を戻すという意味で、故人を偲ぶセレモニーです。それから黙祷をし、ここでも禮鐘の儀を3回行いました。
それから、日本酒を海に流すという「献酒の儀」が行われました。
今回は三柱の「代行散骨」を依頼されていましたので、社長であるわたしが献酒の儀を行わせていただきました。そして、いよいよ「散骨の儀」です。ご遺族全員で遺骨が海に流されました。代行散骨の三柱については、謹んで当社の社員が流させていただきました。


海に花が撒かれました

海面に浮かぶ花びら

生花リースを投げ入れました

故人の御冥福をお祈りしました

心からの祈りを捧げました

海面に漂う生花リース



続いて「献花の儀」です。これも、ご遺族全員で色とりどりの花を海に投げ入れました。
ご遺族が花を投げ入れられた後、主催者を代表してわたしが生花リースを投げ入れました。
カラフルな花びらたちが海に漂う様子は大変美しかったです。


わたしが挨拶をしました

「世界中の海はつながっている!」と訴えました



それから、主催者挨拶として、わたしがマイクを握りました。
わたしは、「今日は素晴らしいお天気で本当に良かったです。今日のセレモニーに参加させていただき、わたしは2つのことを感じました。1つは、海は世界中つながっているということ。故人様は北九州の方だったそうですが、北九州なら関門海峡でも玄界灘でも、海はどこでもつながっています。どの海を眺めても、そこに懐かしい故人様の顔が浮かんでくるはずです」


故人の想いに言及しました

万感の想いがこみ上げてきました



それから、もう1つは、故人様はとても幸せな方だなと思いました。
海洋散骨を希望される方は非常に多いですが、なかなかその想いを果たせることは稀です。あの石原裕次郎さんでさえ、兄の慎太郎さんの懸命の尽力にも関わらず、願いを叶えることはできませんでした。愛する家族であるみなさんが海に還りたいという自分の夢を現実にしてくれたということで、故人様はどれほど喜んでおられるでしょうか」と述べました。


散骨場を去る際、右旋回しました



その後、散骨場を去る際、右旋回で永遠の別れを演出しました。
そして16時20分頃には港に帰り着いたのです。本当に素晴らしいセレモニーでした。
北九州からわたしに随行してきたサンレー企画部の西宏課長、紫雲閣事業部の市原泰人課長の2人も物思いに耽って、感慨深そうにしていました。



海洋散骨とは、自分や遺族の意志で、火葬した後の遺灰を外洋にまく自然葬の1つです。散骨に立ち会う方法が主流ですが、事情によりすべてを委託することもでき、ハワイやオーストラリアなど海外での海洋葬が最近は多くなってきました。もちろん、告別式の代わりにというのではなく、たいていは一周忌などに家族や親しい知人らと海洋葬が行われます。
「あの世」へと渡るあらゆる旅行手段を仲介し、「魂のターミナル」をめざすサンレーでは、世界各国の海洋葬会社とも業務提携しているのです。


「あの人らしかったね」といわれる 自分なりのお別れ<お葬式>

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2009年4月、わたしはオーストラリアのレディ・エリオット島での海洋葬に参列しました。レディ・エリオット島では、まさにグレートバリアリーフの美しく雄大な海に遺灰が流されました。そこで、遺族の方がつぶやいた「これで、世界中どこの海からでも供養ができる」という言葉が非常に印象的でした。そうか、海は世界中つながっているんだ!わたしは、月を「あの世」に見立てる月面葬を提唱する者ですが、その理由のひとつは月が世界中どこからでも見上げることができるからです。そして、地球上にあっても、海もどこからでも見ることができることに気づきました。月面葬も、海洋葬も、「脱・場所」という意味では同じセレモニーだったのです!そもそも、「死」というものの本質が「重力からの解放」ですので、特定の場所を超越する月面葬や海洋葬は「葬」という営みに最もふさわしいのではないかと思います。つながっている海に世界中の死者の遺灰がまかれることは「死は最大の平等である」のテーゼにも合致します。


涙は世界で一番小さな海―「幸福」と「死」を考える、大人の童話の読み方

涙は世界で一番小さな海―「幸福」と「死」を考える、大人の童話の読み方

それにしても、「海に散骨すれば、世界中で供養できる」という考え方は非常に重要ではないでしょうか。わたしは、拙著『涙は世界で一番小さな海』(三五館)の内容を思い浮かべました。ドイツ語の「メルヘン」の語源は「小さな海」という意味があるそうです。大海原から取り出された一滴でありながら、それ自体が小さな海を内包している。このイメージこそは、メルヘンは人類にとって普遍的であるとするシュタイナーの思想そのものです。


海洋散骨が無事に終了しました



人類の歴史は四大文明からはじまりました。すなわち、メソポタミア文明エジプト文明インダス文明黄河文明です。この四つの巨大文明は、いずれも大河から生まれました。大事なことは、河というものは必ず海に流れ込むということです。さらに大事なことは、地球上の海は最終的にすべてつながっているということです。チグリス・ユーフラテス河も、ナイル河も、インダス河も、黄河も、いずれは大海に流れ出ます。人類も、宗教や民族や国家によって、その心を分断されていても、いつかは河の流れとなって大海で合流するのではないでしょうか。人類には、心の大西洋や、心の太平洋があるのではないでしょうか。そして、その大西洋や太平洋の水も究極はつながっているように、人類の心もその奥底でつながっているのではないでしょうか。それがユングのいう「集合的無意識」の本質ではないかと、わたしは考えます。



さらに、「小さな海」という言葉から、わたしはアンデルセンの有名な言葉を思い出しました。
それは、「涙は人間がつくる一番小さな海」というものです。これこそは、アンデルセンによる「メルヘンからファンタジーへ」の開始宣言ではないかと思います。というのは、メルヘンはたしかに人類にとっての普遍的なメッセージを秘めています。しかし、それはあくまで太古の神々、あるいは宇宙から与えられたものであり、人間が生み出したものではありません。しかし、涙は人間が流すものです。そして、どんなときに人間は涙を流すのか。それは、悲しいとき、寂しいとき、辛いときです。



それだけではありません。他人の不幸に共感して同情したとき、感動したとき、そして心の底から幸せを感じたときに涙を流すのではないでしょうか。つまり、人間の心はその働きによって、普遍の「小さな海」である涙を生み出すことができるのです。人間の心の力で、人類をつなぐことのできる「小さな海」を作ることができるのです!そんなことを海洋葬に立会いながら考えました。「大きな海」に還る死者、「一番小さな海」である涙を流す生者・・・・・ふたつの海をながめながら、葬送という行為もまたファンタジーだと思い至りました。


日本人の魂のゆくえ―古代日本と琉球の死生観

日本人の魂のゆくえ―古代日本と琉球の死生観

ちょうど今、民俗学者谷川健一氏の『日本人の魂のゆくえ〜古代日本と琉球の死生観』(冨山房インターナショナル)を読んでいますが、序章に以下のように書かれていました。
「沖縄の海を眺めるときの感動は、日常的な空間と非日常的な空間、現世と他界とが一望に見渡せるときのそれである。それを一語で表現するとなれば『かなし』という語がもっともふさわしい。沖縄では『かなし』という語は愛着と悲哀の入り混じった語として、今日でも使用されている。現世への愛着と他界への悲哀だけでなく、現世の悲しみと祖霊の在ます他界への思慕もこの言葉にはこめられている。碧玉色の内海と青黒い外海とを隔てるものはリーフにあがる白い波である。その白い波しぶきとまじりあう明るい冥府がほしいばかりに、私は珊瑚礁の砂にくるぶしを埋めてきた」


お客様をお見送りしました

最後は「一同礼」で・・・・・・



船が港に着くと、わたしたちはお客様が全員バスで去られるまで、お見送りをしました。
そして、お客様を乗せたバが完全に見えなくなったとき、一同礼しました。
これが、わたしたちサンレーの「おみおくりの作法」であります。



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2015年4月9日 佐久間庸和