たった一字に深い意味を秘めている文字は、世界でも漢字だけです。
そこには、人のこころを豊かにする言霊が宿っています。
その意味を知れば、さらに、こころは豊かになるでしょう。
今回ご紹介するハートフル・キーワードは、「花」です。



冠婚葬祭業というのはとにかく花と縁が深い仕事です。結婚式には、たくさんの花を飾ります。雛壇に飾り、列席者のテーブルに飾り、花嫁の髪に飾ります。
いま、「花嫁」といいました。そう、花嫁とは人間界の花なのです。
それは、花嫁ほどの華やかさはないにせよ、「花婿」も同様です。
なぜ日本では、新郎新婦の呼び名に「花」をつけるのでしょうか。
それは、新郎新婦が「いのち」のかたまりだからです。若々しい生命力に満ちあふれており、近い将来、子どもという新しい「いのち」を生み出す力を持っているからです。そして、花こそは「いのち」のシンボルそのものなのです。



日本は農業国です。古代、日本は葦の国でした。稲の種子を持った民族が、葦の生える国を求めて大陸から移ってきたとされています。葦は古代の日本人の生活に大きな影響を与えました。さらには、この世に最初に生まれたものが葦であるとさえ考え、それを『古事記』に記しています。その葦の花は、神々を呼ぶ神具としての御幣になりました。
また、薄原をひらいて耕作してきた畑作の地域では、薄の花を御幣としました。葦の花や薄の花は、収穫祭のころに空に飛び立ちます。以後、大地は枯死する冬を迎えます。



枯死していた大地を復活させるのは、桜の花をはじめとした春の花々です。古代の日本人は、花の活霊が大地の復活をうながすと信じていました。この農業国を支配する王は、花の活霊を妻とし、大地の復活を祝福し、秋の実りを祈願する祭礼の司祭となりました。この国の王は、何よりも花祭という「まつりごと」を司ることに任務がありました。政治を「まつりごと」というのは、その歴史から来ています。



それはともかく、花は活霊、すなわち「いのち」そのものなのです。だから、病人には花を贈るのです。「いのち」を贈って、早く元気になってほしいというメッセージなのです。そして、「産霊」という言葉がありますが、これは二つの「いのち」が合体を果して新しい「いのち」を生み出すこと、つまり結婚を示します。これから子どもという実りを授かるであろう新郎新婦は、かくして「花」に見立てられたわけです。



なぜ日本では、新郎新婦の呼び名に「花」をつけるのか。他にも理由があります。
それはやはり、結婚したばかりの若い二人は美しいからです。幸福の絶頂にあってキラキラと輝いており、文字通り「花」があるからです。日本語には、「花嫁」や「花婿」の他にも、「花形」や「花道」といった花にまつわる言葉があります。相撲や芝居で花形に与えるお金も「花」と呼びます。力士や役者への心づけを「花」というのは、まず見物のときに造花を贈って、翌日お金を届ける習慣から来たそうです。歌舞伎の「花道」も、ここを渡って客が役者に花を贈ったことから、この名がついたわけですね。「花形役者」は、客から花を贈られるほどの才能の持ち主というのが本来の意味です。



また、芸者や遊女と遊んだ料金を「花代」といいます。
これも、花に代わるものとしての金銭という意味ですね。どの言葉も、遊芸者と客のあいだの花のやりとりに起源があることに気づきます。これは、もともと花が御幣として神々を呼ぶ力を持っていたことにも関係があります。力士にしろ、遊女にしろ、遊芸者とは神々の代理人という役割があったわけですね。彼らは人間界の「花」でした。



しかし、何よりも人間界の「花」といえば、役者に尽きるでしょう。現在でも芸能人のことをスターと呼びますが、かつては役者のことを「花」と呼んだのです。
江戸には三つの花がありました。火事と喧嘩は、みなさんもご存知かと思います。
もう一つの花とは何か。それは、歌舞伎役者の市川団十郎でした。当時の江戸ッ子たちは、口々に団十郎を「江戸の花」と讃えました。



花について、わたしがいつも思うことがあります。それは、花はこの世のものにしては美しすぎるということです。臨死体験をした人がよく、死にかけたとき、「お花畑」を見たと報告しています。きっと、花とはもともと天国のものなのでしょう。天上に属する花の一部がこの地上にも表れているのだと思います。そうでないと、ただならぬ花の美はとても理解できません。



葬儀の場面でも多くの花を飾りますね。
芸術のことを英語で「ART」といいますが、わたしは、つねづね葬儀こそはARTそのものであると思っています。わたしは、「ART」とは天国への送魂術であると思っています。すばらしい芸術作品に触れて心が感動したとき、魂が一瞬だけ天国に飛ぶのです。肉体はこの地上に残したまま、精神だけを天国に連れてゆくのです。 絵画や彫刻などはモノを通して、いわば中継地点を経て天国に導くという間接芸術であり、音楽こそが直接芸術であると主張したのは、かのヴェートーベンです。芸術とは天国への送魂術なのです!



もうおわかりのように、葬儀というセレモニーこそは「ART」そのものなのです。なぜなら葬儀とは、人間の魂を天国に送る「送儀」であり、人間の魂を天国に引き上げるという芸術の本質をダイレクトに行なうものだからです。かつ、直接芸術たる音楽をはじめ、あらゆる芸術ジャンルを駆使する総合芸術でもあります。その中でも、もっとも重要な役割を果たすのが花です。なにしろ、この世に存在するものの中で、花だけがあの世のものなのですから・・・・・・。
なお「花」については、『花をたのしむ』(現代書林)に詳しく書きました。


花をたのしむ ―ハートフルフラワーのすすめ (日本人の癒し2)

花をたのしむ ―ハートフルフラワーのすすめ (日本人の癒し2)

*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2015年2月11日 佐久間庸和