インターアクト報告

22日は金曜日なので、わたしは 小倉ロータリークラブの例会に参加しました。
いつものようにAテーブルの席に座ろうとすると、満杯で座れませんでした。
見ると、高校生の姿がたくさんありました。今日は、高校のインターアクト部の発表がある日のようです。わたしは他のテーブルの席に就きました。


報告する小倉工業高校のインターアクト部



わたしが座った席は、日本銀行北九州支店の宮田支店長の隣でした。
わたしたちは、最近の異常気象について語り合いました。
宮田支店長いわく、偏西風やエルニーニョなど複数の要因が絡み合って、豪雨などの予測が困難を極めるそうです。わたしが「気象庁の予報より、日銀の経済予測のほうが当たりますね」というと、宮田支店長は苦笑いしていました。
また、今年は雨ばかりで消費にも影響し、特に流通業には深刻な影響を与えているそうです。このように日銀の支店長さんと経済について情報交換ができるのも、「究極の異業種交流会」であるロータリークラブのありがたい点ですね。


パワーポイントを使って話してくれました



今日の卓話は、小倉ロータリークラブがお世話をしている小倉工業高校のインターアクト部の生徒さんたちの報告でした。引率の先生とともに4人の男子生徒さんたちが登壇し、「北九州マラソンのボランティア」や「ものづくり教室」や「台湾研修旅行」などについてパワーポイントを使いながら、話してくれました。


あしなが学生募金ボランティア参加」について報告を聴きました



特に印象が強かったのが、「あしなが学生募金ボランティア参加」の話でした。
彼らは、先日、募金ボランティアに参加したそうで、その報告を聴きました。
わたしは、日頃から「あしなが育英会」の活動に強い関心があります。
ACの広告でもおなじみの「あしなが育英会」とは何か。それは、1967年に交通事故遺児の進学支援を訴えた2人の呼びかけから始まった「支え合い」のコミュニティです。
その2人とは、交通事故で姉と甥を亡くした岡嶋信治さん、そして母を亡くした玉井義臣さんでした。彼らの呼びかけ以来、「あしなが育英会」は募金と遺児奨学金支給を超えて、遺児と遺児が友情を結び支え合う団体に発展しました。83年には交通遺児から災害遺児へ、89年には病気遺児へ、99年には自死遺児へ・・・・・自立した遺児から異なる不幸による遺児へ呼びかける形で「支え合い」の輪は拡がっていきました。


ブログ「江ノ島」に書いたように、2010年9月5日、神奈川県の藤沢に所用のあったわたしは、帰りの電車の中で、AC(公共広告機構)の中吊り広告を見つけました。
それは「あしなが育英会」の広告で、かわいい女子高生が微笑んでいました。
そして、「名前も知らない親たちが、彼女を高校生にしてくれた。」というキャッチコピーに続いて、次のように書かれていました。
「彼女は幼い頃、親を亡くしました。
きっと自分は高校になんて行けない。
そんな思いで進学をあきらめていた彼女を、
全国にいる『あしながさん』が支援してくれたのです。
名前も知らない親たちへ、ありがとう。
そんな思いを胸に、彼女は大学進学という
新たな夢へと歩き始めました。」
これを読んだとたん、わたしの涙腺は緩みに緩み、不覚にも電車の中で号泣してしまいました。それ以来、「あしなが育英会」の名前は、わたしの脳裏に深く焼きつき、わたしは、「あしながおじさん」になりたいと強く思いました。


ブログ「面倒くさいこと」では、その「あしなが育英会」の新しいCMを紹介しました。
このCMがまた最高に素晴らしい!! 「面倒くさいこと」がテーマで、「抜き打ちテストとか、山積みの宿題とか、掃除当番とか・・・」と続いた後で、セーラー服を着た女の子が「したい!」と叫びます。その後、「みんなが面倒くさいと言ってしまうことでさえ幸せ・・・進学をあきらめていた子どもたちのたくさんの“したい”という願いを全国の親心がかなえてくれました」というナレーションが流れます。
このCMを初めてみたときも、わたしは泣きました。そして、この「面倒くさいこと」こそ、現代の日本社会が直面している問題を理解するキーワードであると思いました。
それにしても、自らも高校生でありながら、「あしなが学生募金」のボランティアに参加する小倉工業高校インターアクト部の生徒さんたちは素晴らしいですね!



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2014年8月22日 佐久間庸和