大石代表お別れの会

東京に来ています。13日の13時から、尊敬する同業の先輩経営者である千代田セレモニーグループの大石和雄代表の「お別れの会」に参列しました。場所は、西日暮里にある「メモリアルセレス千代田21」です。西日暮里の駅前には「千代田セレモニーグループ代表 大石和雄 お別れの会式場」という案内看板がたくさん立てられ、案内係の方もたくさんいました。


西日暮里の駅前には「お別れの会」の案内看板が・・・・・・

メモリアルセレス千代田21」の威容

メモリアルセレス千代田21」の入口



ちょうど1ヵ月前の5月13日に享年81歳で逝去された大石代表は、冠婚葬祭互助会業界の重鎮でした。卓越した見識と強い実行力で業界の発展に大きな貢献をされました。特に、今月3日にわたしが会長に就任した全国冠婚葬祭互助会連盟(全互連)の相談役として、多くの方々の信頼を集めておられました。14年前わたしが社長に就任した頃、会社の状態が良くないために、全互連の理事会などに出席しても孤独感を抱いていました。そのとき、最も励まして下さった方が、名古屋冠婚葬祭互助会の故・土、田三次郎会長であり、千代田セレモニーグループの故・大石和雄代表でした。今ではお二人とも他界されましたが、その御恩をけっして忘れることはできません。お二人は全互連の守り神だと思っています。


メモリアルセレス千代田21」のロビーのようす

御供花御芳名がズラリ・・・・・・

わたしの名前もありました



式場に入って祭壇を見たとき、思わず目を見張りました。
故人が山梨県の出身であるということから富士山をイメージした見事な祭壇でした。
また、祭壇の左右には「感謝」と書かれた故人の顔写真が飾られていました。


富士山をイメージした見事な祭壇



ブログ『信頼への挑戦』で紹介した本には千代田セレモニーグループの姿が詳しく描かれていますが、大石会長の葬儀に対する考え方が以下のように紹介されています。
「大石氏は『葬式は人と人の永遠の別れに際して心の区切りをつけ、故人の冥福を祈ると同時に、残された人たちの悲しみを癒す大切な行事です』と葬儀の意義と必要性を説く。すなわち、葬式は、死者と生者の関係に根ざす厳粛な儀式であり、やむにやまれぬ気持ちが葬式をあげる動機になっているということだ。
だから、『葬式で大切なのは故人に対する深い愛情なのです』という。
だが大石氏は、従来の葬儀における葬儀業者と宗教者の考え方や振る舞いに問題があったことも認識している。だから、葬儀のあり方が議論されることは必然であり、生者と死者の永遠の別れを演出する葬式にも、時代の要請が反映されるのは当然ととらえている。『現代日本人の葬式に対する要求は十人十色。多様化、個性化、簡素化が進むのは、時代のしからしむるところです。ですから、葬儀の主催者も葬儀業者も従来の形式、規模、施行方法にこだわる必要はありません。葬家が納得し、満足する葬式をあげるように最大限の努力をすればいいのです』と明言する。千代田セレモニーは、この大石氏の考え方にもとづき、『葬家が納得し、満足する葬式の施行』を経営理念に掲げている」


信頼への挑戦―千代田セレモニーグループのあくなき情熱

信頼への挑戦―千代田セレモニーグループのあくなき情熱

この日の「お別れの会」では、特別区長会の西川太一会長(荒川区長)、全日本冠婚葬祭互助協会の杉山雄吉郎会長、互助会保証株式会社の藤島安之社長、千代田会の広瀬昇代表、それに役員・社員の代表の5名の方々が、それぞれ心のこもった弔辞を読まれました。
その後、弔電が紹介されましたが、全互協の杉山会長に続いて、全互連会長であるわたしの弔電が2番目に読み上げられました。わたしは、このときほど、「ああ、自分は全互連の会長になったのだ」と実感が湧いたことはありません。眼前の大石代表の遺影も「佐久間君、しっかりやれよ!」と励ましてくれているようでした。


謝辞で朗読された「人生道」



それから千代田の大石竜二社長による「謝辞」がありました。
大石社長は故人の生前の言葉などを紹介されながら、参列者のみなさんに感謝の気持ちを述べていました。最後は、「お別れの会」の栞にも書かれている故人の「人生道」という文章を朗読されました。社内報「ちよだ」第50号(1996・11・1発行)の巻頭文から一部抜粋したものだそうですが、以下のような文章です。
「『道』という文字が何故か好きだ。色紙などに寄せ書きを頼まれると、思わず『道』と書いてしまう。『道』は各自1人1人の『人生道』である。
人には残念ながら『生きること』に限りがある。だからこそ『道』は大切にしたい。
逆境に立った時、人は強くなると云われる。逆境から這い上がろうとする生きる気力が人を強くするからだ。成功者の多くは幾つかの修羅の場を逞しく生き抜いてきている。
限りある『人生道』だからこそ確かに生きていたい。目標を立て、機会を逃さず。
大石和雄」



わたしは、これを聞いて、「逆境」のくだりは、まさにあのとき大石代表が若い頃のわたしを励ましてくれた言葉そのものだったことに気づき、目頭が熱くなりました。そして、故人に対する感謝の気持ちでいっぱいになりました。大石社長も謝辞で言われていましたが、故人はまさに「人生道」を堂々と生き抜いて、堂々と人生を卒業していかれたのだと思います。


メモリアル・コーナー

「お別れの会」の栞と頂戴した小冊子



それから、わたしたちは献花をしました。献花の後は、上の階の食事会場に移動しましたが、そこには「メモリアル・コーナー」があり、大石代表が生前に書き残された冊子なども置かれており、「どうぞ、ご自由にお持ち下さい」と書かれていました。くだんの『信頼への挑戦』もありましたが、この本はすでに持っていますので、社員研修シリーズの「ちよだ 1993〜2003」「ちよだ 2004〜2013」、それから「心の葬儀」という小冊子を頂戴しました。北九州に帰ってから、じっくり読ませていただき、学ばせていただきたいと思います。


愛用のデスク

ボクシング・コーナー



また「メモリアル・コーナー」には、故人愛用のデスクなどの思い出の品々が置かれていました。故人はレパード玉熊セレス小林という2人のプロボクシング世界チャンピオンを育てたことで知られますが、その思い出の写真やボクシンググローブなども展示されていました。


広い食事会場が用意されました

最後は、人でいっぱいになりました



食事会場はすぐに人でいっぱいになりました。そういったメモリアルコーナーを見ながら、また美味しい食事をいただきながら、同業者のみなさんと大石代表の思い出話に花が咲きました。北九州ではこのような葬儀後の食事や通夜ぶるまいの習慣がりませんが、これは故人を偲ぶためにもやはり必要であるとの思いを強くしました。それにしても、素晴らしい「お別れの会」でした。


大石代表、ありがとうございました・・・・・・



アカデミー外国語映画賞を受賞した「おくりびと」が話題になりましたね。でも、映画のヒットによって「おくりびと」という言葉が納棺師や葬儀社のスタッフを意味すると思い込んでいる人が多いようです。でも、それは違います。「おくりびと」の本当の意味とは、葬儀に参加する参列者のことなのです。人は誰でも「おくりびと」です。そして最後には、「おくられびと」になります。1人でも多くの「おくりびと」を得ることが、その人の人間関係の豊かさを示します。
豊かな人間関係に恵まれて、人生を堂々と卒業していかれた大石代表。今日は、わたしも1人の「おくりびと」になりました。故・大石和雄様の御冥福を心よりお祈りいたします。合掌。



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2014年6月14日 佐久間庸和