51歳になりました

みなさん、お元気でいらっしゃいますか?
今日は、5月10日。わたしの51回目の誕生日です。
昨年は「自分が50歳になったなんて!」と思ったものでございます。
ばってん、もう今年は51歳になったからといって別に驚きゃしませんね。
わしは、50代にすっかり慣れてしまったようでごわす。(笑)


51歳になりました(サンレー社長室の「庸軒ごよみ2014」)




12年前の今日、39歳になったわたしは非常に焦っていました。
あと1年で40歳を迎えるという事実の前に呆然としたのです。
40歳は「不惑」と呼ばれます。不惑の年を迎えるにあたり、何をすべきかといろいろ考えましたが、「不惑」なる言葉が『論語』に由来することから、『論語』を精読することにしました。
当時、サンレーの社長に就任したばかりでもあり、冠婚葬祭の根本思想としての「礼」を学び直したいという考えもありました。学生時代以来、久しぶりに接する『論語』でしたが、一読して目から鱗が落ちる思いがしました。というのも、当時の自分が抱えていた、さまざまな問題の答えがすべて書いてあるように思えたのです。江戸時代の儒者である伊藤仁斎は「宇宙第一の書」と呼び、安岡正篤は「最も古くして且つ新しい本」と呼びましたが、本当に『論語』1冊あれば、他の書物は不要とさえ思いました。



そこで、40になる誕生日までに『論語』を40回読むことに決めました。
それだけ読めば、内容は完全に頭に入ります。
以後は、誕生日が来るごとに再読することにします。
つまり、わたしが70歳まで生きるなら70回、80歳まで生きるなら80回、『論語』を読んだことになります。何かの事情で私が無人島などに行かなくてはならないときには迷わず『論語』を持って行きます。また、突然何者かに拉致された場合にも備えて、つねにバッグには『論語』の文庫本を入れておきます。まさに、「論語バカ一代」です!
こうすれば、もう何も怖くないし、何にも惑いません。何のことはない、わたしは「不惑」の出典である『論語』を座右の書とすることで、「不惑」を実際に手に入れたのです。



そして昨年の今日、わたしは50歳になりました。「五十にして天命を知る」ということで、自らの使命を知りました。そして、それは「天下布礼」の道をさらに突き進み、孔子の人間尊重思想である「礼」の精神を広めていくことにほかなりません。
わたしは、『論語』とは船のような存在ではないかと思います。
人生の荒波を超えて無事に航海していける船ではないかと思っています。
志学」や「而立」や「不惑」や「知命」や「耳順」や「従心」といったものは、人生の港ではないでしょうか。『論語』という船に乗れば、安全に次の港に辿りつけるような気がしてなりません。わたしは、一昨年の誕生日に「不惑より港を出でし論語船 知命へ向かふ礼を求めて」という短歌を詠みました。今年の庸軒ごよみの皐月(5月)には以下の短歌が掲げられています。


人生の港をめぐる論語船 
     いざ帆を上げて礼を求めん

わたしは『論語』に出合い、孔子に出会ったことに心から感謝しています。
今夜は51回目の『論語』の通読を行う予定です。これからも敬愛する渋沢栄一翁の「論語と算盤」の精神で、わが社を『ホスピタリティ・カンパニー』(三五館)に書いたような、社会から必要とされる“思いやり企業”にしたいです。志を高く持って頑張ります。



今後も「論語と算盤」の精神で頑張ります!



じつは、今年から公職をはじめとした新しい役目が増えます。
来週には、福岡県にある某大学の客員教授に就任する予定です。また、今月末には北九州の経済団体の副会長、さらに来月初めには冠婚葬祭業界の全国団体の会長に就任することになっています。みなさまには追ってご報告するつもりですが、今後はより多忙になることが予想され、おそらくはブログも書く時間が取れなくなると思います。今までのところ毎日継続してアップされていますが、近々途切れることが予想されます。自分からあえて書かない日を設定するかもしれません。そのときは、どうか御了承下さい。
ということで、今後とも、どうぞよろしくお願いいたします!



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2014年5月10日 佐久間庸和