10年後の北九州


9日の夜、松柏園ホテルで「新北九州を考える会」が開催されました。
講師は、スターフライヤーの前社長である米原愼一顧問でした。わたしはスターフライヤーに乗って東京から帰ったばかりでしたが、急いで会場に駆けつけました。


「新北九州を考える会」のようす



講演のテーマは「10年後の北九州」というものでした。
スターフライヤーは、2002年10月に設立された航空会社です。
もともとは神戸航空として誕生しましたが、縁あってスターフライヤーと改名し、北九州空港を本拠地としました。米原顧問は三菱商事からスターフライヤーに迎えられて社長に就任されました。現在、64歳の米原顧問は御自身で双発機も所持されているそうです。
北九州は生涯初の地方都市勤務だったそうで、米原顧問いわく「よそ者の目で見た北九州」について語って下さいました。


10年後の北九州は?



米原顧問が慶應義塾大学の学生さん26名に尋ねたところ、「北九州市」という名前を知っているのは15名だったそうです。また、その正確な位置を知っていたのは1名でしたが、それは熊本出身の女子で彼氏が八幡出身だったそうです。また、スターフライヤーの社員に「北九州空港はどこの海に面していますか?」と質問したところ、日本海東シナ海玄界灘などの名が挙がったそうです。正解は瀬戸内海です。


旧5市のイメージは?



さらに、学生たちに「旧5市のイメージ」について尋ねたところ、八幡は「製鉄の街」、門司は「港町、焼カレー、レトロ、鉄道」、若松は「石炭積出港、任侠」、戸畑は「港町」、小倉は「商業都市」という結果が出ました。これも、なかなか興味深いですね。米原顧問いわく、福岡市は150万人の人口で、若者にも人気が高い。一方、北九州市は「老人の街」と化しており、10年後には「老人だらけの街」になることが確実で、将来を心配せざるをえないとのことでした。このあたりは、わたしの意見とは違いましたね。わたしは高齢者が多いことこそ、北九州市の「強み」であり、逆転の発想で「世界一の高齢者都市」を目指すべきであると思っているからです。



しかし、米原顧問が語る北九州空港の可能性には大いに興味が湧きました。
現在、日本には6つの24時間空港があります。羽田・千歳・セントレア・関西・北九州・那覇の6つです。しかしながら、千歳と那覇には諸問題もあり、実際に24時間空港といえるのは羽田・セントレア・関西・北九州の4つとなります。また、日本には100もの空港がありますが、同一県内に国が管理する空港を2つ(福岡空港北九州空港)持つのは福岡県だけです。


北九州空港は北九州最大の財産!



福岡空港は日本で最もアクセスの良い空港として有名ですが、2800メートルの滑走路が1本のみであるため、大型の長距離路線が飛べないという問題点があります。つまり、国際空港としては多くの問題を抱えているわけです。
一方、海上空港である北九州空港は、まだまだ拡張の余地があります。
そこで、米原顧問は福岡県の2つの空港を使い分けることを提言されていました。
つまり、福岡は国内線に、北九州は国際線に特化するというのです。



北九州空港北九州市における最大の財産である!」と訴える米原顧問は北九州空港の今後の方向性としての福岡空港の代替化、もしくは福岡・北九州両空港の一体経営を提案されていました。確かに海上空港で唯一の拡張の余地がある北九州空港こそは、九州のゲートウェイにふさわしいのかもしれません。そうなると、10年後の北九州市が九州の中心、いや、アジアの中心となることも夢ではありません。米原顧問のお話から、北九州の大きな可能性が見えてきた気がします。米原顧問の講演終了後は、「北九州を考える会」の会長である辰巳和正先生(辰巳法律事務所代表)から締めの挨拶がありました。


懇親会のようす



なお、講演後は懇親会が開かれ、みなさん楽しいお酒を飲まれました。
最後は、出光美術館・友の会会長であり宗教法人世界平和パゴダの責任役員である八坂和子さんの中締めの挨拶で幕を閉じました。背景の桜のピンクと八坂さんのジャケットのブルーのコントラストが鮮やかで美しかったです。


最後は八坂和子さんの中締めで・・・



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2014年4月10日 佐久間庸和