営業責任者会議

10日、 サンレーグループの全国営業責任者会議が行われました。
16時半からは社長訓話の時間です。訓話に先立ち、営業部門の各種表彰を行いました。
わたしは感謝の念を込めて、表彰状や金一封を表彰者の方々にお渡ししました。


最初に、営業優績者の表彰をしました



表彰式が終わると、わたしは60分ほどの社長訓話をしました。
まず最初に、ブログ「紫雲閣合同忘年会」で紹介したように、前夜の紫雲閣の忘年会が大いに盛り上がったことを伝えました。特に、「あの鐘を鳴らすのはあなた」を歌ったときに会場の興奮が最高潮に達したことを話し、それから「禮鐘の儀」の話題に移りました。


営業責任者会議のようす



儀式とは、時代に応じて柔軟に変化して構いません。もちろん、「変えてはならない」部分と「変えてもよい」部分がありますが、わたしは出棺時のクラクションは鐘に変えるべきだと思います。最も大事なことは、故人を送り出すという心であることは言うまでもありません。葬儀が「人生の卒業式」ならば、鐘の音は出港するドラの音にも似て、故人があちらの世界へ旅立つのには、ふさわしいと思います。半年以内に全ての紫雲閣に鐘を設置する予定です。わが社が生み出す新しい儀式イノベーションです。


初期設定とアップデートについて



それから、「初期設定」と「アップデート」について話しました。
ブログ「創立47周年記念式典」に書いたように、11月18日、サンレー創立47年記念式典が松柏園ホテルで盛大に行われました。壇上には例年通りに「創業守礼」と「天下布礼」の2本の垂れ幕がありました。この2つの言葉は、わが社の原点であり未来です。47年前、佐久間進会長は万人に太陽の光のように等しく冠婚葬祭のサービスを提供したいと願って、サンレーを創業しました。そして、その根底には「礼」すなわち「人間尊重」の精神がありました。この創業時に掲げた「人間尊重」の精神を忘れないことが「創業守礼」であり、「人間尊重」の精神をあらゆる場所で、あらゆる人々に伝えることが「天下布礼」です。


わが社にとっての「初期設定」と「アップデート」とは?



最近、わたしは「創業守礼」とは、わが社にとっての初期設定ではないかと思うようになりました。初期設定とは、ソフトウェアやハードウェアを利用するために最初に行う必要のある設定作業のことです。PCをはじめとする情報機器には「初期設定」というものがあります。
誤作動して、うまく機能しなくなったら、初期設定に戻すことが必要です。これは情報機器のみならず、企業においても通用することだと思います。
会社がおかしくなったら創業時の理念を思い起こす必要があります。
また最近、情報機器の世界では「アップデート」という言葉をよく聞きます。これは、ソフトウェアやWebサイトの情報を最新の状態に保つこと。スマホではOSやアプリのアップデートがありますね。アップデートによって新しい機能が追加されたり、不具合が解消されたりするわけですが、わたしが愛用しているiPadもiPhoneも常にアップデートを繰り返しています。それがあまりにも多過ぎるので、「おい、おい、アップルさん、ちょっと落ち着きなさいよ」と言いたくなります。そして、企業にもアップデートが求められます。
わが社の初期設定が「創業守礼」ならば、アップデートは「天下布礼」でしょう。 



さらに言えば、わが社の初期設定は皇産霊神社天道館にあります。
そして、アップデートは隣人館であり、「禮鐘の儀」であり「月への送魂」であると言えます。アメリカで大きな話題となった宇宙葬のルーツもわが社のムーン・ハートピア計画です。
来年は、新たなアップデートとして、宅食事業や樹木葬霊園などの新規事業に進出します。そして、わが社はアップグレードし、新しいインフラ企業をめざします。


インフラ企業をめざす



「衣のインフラ企業」をめざすユニクロ、「食のインフラ企業」をめざすセブンアイホールディングス、そしてわが社は「住のインフラ企業」をめざしたいと思います。
現在の日本において求められている「住」には2つの種類があります。「終の棲み処」と「死後の棲み処」です。今後、隣人館をたくさん作って、全国の独居老人や孤独なお年寄りに「終の棲み処」を提供したいと考えています。それによって、「老人漂流社会」を乗り越えます。


パースを見せながら、「鎮魂の森」構想を語る



また、身寄りのない故人への樹木葬のための霊園「鎮魂の森」も福岡県田川市で構想しています。これも手頃な価格に設定し、誰もが利用できるようにします。それによって、あらゆる人に「死後の棲み処」を提供したいですね。「無縁社会」を乗り越えるシンボルにしたいです。
大規模なアップデートを「アップグレード」と呼びますが、わが社は輝ける50周年に向けてアップグレードを果たしたいです。そうなれば、当然、互助会というビジネスモデルそのものもアップグレードされ、さらなる会員様のニーズやウォンツにお応えできると確信します。


面倒なことの中にこそ、人間の幸せがある!



最後に、ブログ「最期の絆シンポジウム」のシンポで大きな反響のあったわたしの発言を紹介しました。それは、「面倒なことの中にこそ、人間の幸せがある」という言葉です。
「終活」という言葉がブームになっています。何か明るく前向きなイメージがありますが、わたしは「終活」ブームの背景には「迷惑」というキーワードがあるように、ずっと思っていました。「無縁社会」などと呼ばれる現在、みんな、家族や隣人に迷惑をかけたくないというのです。
「残された子どもに迷惑をかけたくないから、葬式は直葬でいい」「子孫に迷惑をかけたくないから、墓はつくらなくていい」「失業した。まったく収入がなく、生活費も尽きた。でも、親に迷惑をかけたくないから、たとえ孤独死しても親元には帰れない」「招待した人に迷惑をかけたくないから、結婚披露宴はやりません」「好意を抱いている人に迷惑をかけたくないから、交際を申し込むのはやめよう」。すべては、「迷惑」をかけたくないがために、人間関係がどんどん希薄化し、社会の無縁化が進んでいるように思えてなりません。



結果的に夫婦間、親子間に「ほんとうの意味での話し合い」がなく、かえって多大な迷惑を残された家族にかけてしまうことになります。亡くなった親が葬儀の生前契約、墓地の生前購入などをしたことをわが子に知らせなかったために、本人の死後、さまざまなトラブルも発生しているようです。家族間で話し合ったり、相手を説得することが面倒くさいのでしょう。その意味で、「迷惑」という建前の背景には「面倒」という本音が潜んでいるのでは?


家族とはお互いに迷惑をかけ合うもの!



そもそも、家族とはお互いに迷惑をかけ合うものではないでしょうか。
子どもが親の葬式をあげ、子孫が先祖の墓を守る。当たり前ではないですか!
そもそも“つながり”や“縁”というものは、互いに迷惑をかけ合い、それを許し合うものだったはずです。家族だって隣人だって、みんなそうでした。
「迷惑をかけたくない」という言葉に象徴される希薄な“つながり”。
日本社会では“ひとりぼっち”で生きる人間が増え続けていることも事実です。
しかし、いま「面倒くさいことは、なるべく避けたい」という安易な考えを容認する風潮があることも事実です。こうした社会情勢に影響を受けた「終活」には「無縁化」が背中合わせとなる危険性があることを十分に認識すべきです。この点に関しては、わたしたち1人ひとりが日々の生活の中で自省する必要もあります。


「人の道」について語りました



さらには、「面倒くさいこと」の中にこそ、幸せがあるのではないでしょうか。
考えてみれば、赤ちゃんのオムツを替えることだって、早起きして子どもの弁当を作ることだって、寝たきりになった親の介護をすることだって、みんな「面倒くさいこと」です。でも、それらは親として、子として、やらなければならないこと。
そして、子どもが成長した後、また親が亡くなった後、どうなるか。わたしたちは「あのときは大変だったけど、精一杯やってあげて良かった。あのとき、自分は幸せだった」としみじみと思うのです。それが「面倒くさいこと」のままであれば、どうなるか。行き着く果ては、赤ん坊を何人も捨ててしまう鬼畜のような親が出現するのではないでしょうか。
自分の親が亡くなったとき、ご縁のあった方々に知らせること。通夜および葬儀の場で、その方々に感謝の気持ちを故人に成り代わってお伝えすること。
これは、人間として必ずやらなければならない「人の道」なのです。



東日本大震災では、東北の津波の被災地において発見された家族の遺体を前に多くの方々が「ありがとうございました」と自衛隊員や葬儀社スタッフに深々と頭を下げられました。
火葬にされた遺体は、まだ幸いだったと言えるでしょう。
また、棺に入れた遺体も幸いでした。大震災から時間が経過するにつれ、あまりに傷みすぎて棺には入れられず、納体袋に入れられた遺体も多かったのです。
さらには、いくら傷んでいても遺体があるだけで幸いでした。
遺体の見つからないまま葬儀を行った遺族も多かったのです。あのとき、普通に葬儀があげられることがどれほど幸せなことかを、日本人は思い知りました。


「礼」こそインフラである!



もう一度、わたしは声を大にして言いました。
自分の親が亡くなったとき、ご縁のあった方々に知らせること。
通夜および葬儀の場で、その方々に感謝の気持ちを故人に成り代わってお伝えすること。
これは、人間として必ずやらなければならない「人の道」です。すなわち「礼」そのものです。
たしかに面倒くさいことかもしれません。でも、面倒くさいからいいのです。
なぜなら、本当に大事なことは、いつだって面倒くさいことだからです。
そして、面倒くさいことの中にこそ、真の幸せがあるからです。
今回の社長訓話では、以上の話をしました。みんな、真剣な表情で聴いてくれました。


松柏園で忘年会を開きました



社長訓話後は、サンレー本社から松柏園ホテルに移動して、忘年会が開催されました。
最初にてわたしが挨拶し、それから橋本洋介常務の音頭で乾杯しました。
懇親会では、多くの社員がわたしのブログを楽しみにしていると言ってくれました。「ブログを再開して下さって、本当にありがとうございます」とも言われました。
営業員さんたちも、毎朝必ずチェックしてくれているとか。
お客さんとの会話をするときに、「じつはウチの社長が・・・・・」という具合に、話題を提供できるというのです。それを聞くと、疲れた体で書くブログにも張り合いが出ます。


最後は「末広がりの五本締め」で



懇親会の最後は、松田哲男取締役が中締めの挨拶をしました。松田取締役は、「今日の佐久間社長の訓話には感動しました。社長の情熱をぜひわたしたちも共有し、その志を実現していきましょう」と挨拶し、最後は「末広がりの五本締め」を行いました。
いま、冠婚葬祭互助会業界は大きな過渡期にあります。しかし、わたしたちは「天下布礼」を初期設定とする礼業の会社として、正々堂々と胸を張って冠婚葬祭互助会の営業を行っていきたいです。そして、互助会の会員さんが幸せになるためのお手伝いができるように、つねにアップデートを心がけ、アップグレードを目指したいと思います。


ホテルのラウンジで二次会を行いました

星降る松柏園ホテルにて



その後、松柏園ホテルのラウンジで二次会を行いました。
松柏園ホテルも、すっかりクリスマス・モードです。
天井からは、たくさんの星が降っており、綺麗でした。
わたしは、「あ〜の街角、角、角、角、曲がり角、ウォンチュー!」と独言しました。(笑)


*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2013年12月10日 佐久間庸和