幸せな旅立ち

28日の午前中、東京から北九州に戻って、そのまま大分県中津市に向いました。
中津紫雲閣で開かれた、わたしの母方の親戚である故・稲益一男さんの葬儀に参列するためです。享年80歳でしたが、通夜、告別式ともに200名を超える盛大な葬儀でした。


中津の葬儀に参列しました



わたしは、子どもの頃から故人には大変お世話になりました。
稲益開楽園という中津を代表する造園会社を経営されていましたが、いつもニコニコと笑顔を絶やさず、とても優しいおじさんでした。最近では、ブログ「ヴィラルーチェ・オープニングレセプション」で紹介した中津駅前の結婚式場「ヴィラルーチェ」の竣工披露パーティーで久しぶりにお会いしました。そのときはお元気そうなご様子でしたのに、こんなに早く旅立って行かれるなんて信じられません。


ヴィラルーチェ竣工披露パーティーで故・稲益一男さんと



故人の葬儀は、天理教で執り行われました。
わたしは親族代表として、天理教の作法にのっとって玉串奉奠しました。
わたしの父方は真言宗、母方は浄土宗なので、親戚の葬儀というと、そのどちらかが多いのですが、天理教の葬儀は暗くなくて「人生の卒業式」にふさわしい前向きなイメージでした。



それにしても、立派な「人生の卒業式」でした。
ブログ「人生のラストステージ『終活』を探る」で紹介したように、本日の「西日本新聞」朝刊に25日に開催された「最期の絆シンポジウム」の詳細が掲載されました。NHKでも報道された画期的なシンポでしたが、その中でパネリストを務めたわたしは次のように述べました。
「葬儀という儀式は、何のためにあるのでしょうか。遺体の処理、霊魂の処理、悲しみの処理、そして社会的な処理のために行われます。わたしたちはみんな社会の一員であり、一人で生きているわけではありません。その社会から消えていくのですから、そんな意味でも死の通知は必要なのです。社会の人々も告別を望み、その方法が葬儀なのです」



アカデミー外国語映画賞を受賞した「おくりびと」が話題になりました。映画のヒットによって「おくりびと」という言葉が納棺師や葬儀社のスタッフを意味すると思い込んだ人が多いようです。しかし、『おくりびと」の本当の意味とは、葬儀に参加する参列者のことです。人は誰でも「おくりびと」、そして最後には「おくられびと」になります。1人でも多くの「おくりびと」を得ることが、その人の人間関係の豊かさ、つまり幸せの度合いを示すのではないでしょうか。


故人の褒章の記



その意味で、多くの「おくりびと」に見送られた故人は幸せな人生だったのではないかと思います。故人は中津ロータリークラブの会長、ロータリーのガバナー補佐に相当する分区代理も務められました。葬儀には中津ロータリークラブの現会長さんも参列しておられ、弔辞の中で「ロータリークラブは、サロンでも単なる奉仕団体でもありません。週に一度のロータリー例会は、人生道場です。そのことを教えて下さった稲益さんはロータリアンの鑑でした」と述べられていました。その方によれば、故人は地元の神社などに紅葉や千年松などを植樹されたばかりか、子どもたちに植樹の体験をさせてあげたそうです。
造園業という自らの仕事を通じて、少しでも社会に貢献したいと願っていたそうです。
平成3年には、海部俊樹首相より紺綬褒章を受賞されています。
葬儀会場の入口にも、褒章の賞状が飾られていました。



「ヒト」は生物です。「人間」は社会的存在です。「ヒト」は、他者から送られて、そして他者から記憶されて、初めて「人間」になるのではないかと思います。
最近、訃報を関係者に知らせない方が多くなってきました。
近親者のみで葬儀をあげる方が多くなってきたのです。
「葬儀に来てくれそうな人たちが、みんなあの世に逝ってしまった」「長い間、闘病してきたので、さらに家族に迷惑はかけたくない」、だから「ひっそりとした葬式を行いたい」、こうした話しを聞くたびに、本音の部分はどうなのかと思ってしまいます。お世話になった方々、親しく交際してきた方々に見送られたいというのが、本当の気持ちなのではないでしょうか。その本当の気持ちを押し殺して、生前の故人が気をつかったというケースが多いのではないでしょうか。本当は、お世話になった方々にお礼を言いたいのではないでしょうか。短い時間ではありますが、自分のことを思い出してもらい、ともに過ごした時間を共有したいのではないでしょうか。このことは、会葬に訪れる方々にとっても同様です。



自分の親が亡くなったとき、ご縁のあった方々に知らせること。
通夜および葬儀の場で、その方々に感謝の気持ちを故人に成り代わってお伝えすること。これは、人間として必ずやらなければならない「人の道」です。
その意味で、稲益家のご遺族の方々は立派に「人の道」を歩まれました。
会葬礼状には、「子供一同」として次の言葉が記されていました。
「大変なことも少なくなかったと思いますが、父の瞳は常にいきいきと輝いていたものです。面影を偲ぶほどに別れが寂しく、涙が頬を伝います。
残された私達が出来ることは、ただ一つ。『家族みんな、笑顔で仲良く暮らして欲しい』という父の望みを心に留め、これから前を向いて歩んでまいります。
母のことも私達が守っていきますので、父には安心して休んで欲しいと願ってやみません」


どうか、安らかにお休みください・・・・・



80年の生涯を精一杯に生き抜かれ、堂々と人生を卒業していかれた故人・・・。
常に笑顔を絶やさず、家族の幸せを願い、地域社会への貢献を忘れなかった故人・・・。
故人の御冥福を心よりお祈りしたいと思います。合掌。



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2013年11月29日 佐久間庸和