二宮尊徳(1)

神儒仏正味一粒丸




言葉は、人生をも変えうる力を持っています。
今回の名言は、江戸時代の思想家である二宮尊徳の言葉です。
尊徳といえば、戦前の国定教科書に勤勉・倹約・孝行・奉仕の模範として載せられ、全国の国民学校の校庭には薪を背負い本を読む少年時代の銅像が作られました。
わたしの書斎には、尊徳の銅像のミニチュアが鎮座しています。


わが書斎の尊徳像



尊徳は、「勤倹・分度・推譲」の思想を唱え、600以上の大名旗本の財政再建および農村の復興事業に携わりました。彼は同時代のヘーゲルにも比較しうる弁証法を駆使した哲学者であり、ドラッカーの先達的な経営学者でもありました。
そう、二宮尊徳は日本が世界に誇りうる大思想家だったのです。


二宮尊徳の経営学 (PHP文庫)

二宮尊徳の経営学 (PHP文庫)


その尊徳は、石田梅岩が開いた「心学」の流れを受け継ぎました。
心学の特徴は、神道儒教・仏教を等しく「こころ」の教えとしていることです。
日本には土着の先祖崇拝に基づく神道がありました。インドでブッダが開いた仏教、中国で孔子が開いた儒教も日本に入ってきました。しかし心学では、この3つの教えのどれにも偏せず、自分の「心を磨く」ということを重要視したのです。


J-47 二宮翁夜話 (中公クラシックス)

J-47 二宮翁夜話 (中公クラシックス)


尊徳の代表作である『二宮翁夜話』第231条には、以下の言葉があります。
神道は開国の道なり。
 儒教は治国の道なり。
 仏教は治心の道なり。
 ゆえに予は高尚を尊ばず卑近を厭わず、この三道の正味のみを取れり。
 正味とは人界に切用なるをいう。
 切用なるを取りて切用ならぬを捨てて、人界無上の教えを立つ、これを報徳教という。
 戯れに名付けて神儒仏正味一粒丸という。その効用の広大なることあえて数うべからず」



尊徳の言葉の意味は、以下の通りです。
神道は開国の道、儒教は治国の道、、仏教は治心の道である。
わたしはいたずらに高尚を尊重せず、また卑近になることを嫌わずに、この三道の正味だけを取ったのである。正味とは人間界に大事なことを言う。大事なことを取り、大事でないことを捨て、人間界で他にはない最高の教えを立てた。これを『報徳教』という。
遊び心から『神儒仏正味一粒丸』という名前をつけてみた。
その効用は広大で数えきることができないほどである」



尊徳は、常に「人道」のみならず「天道」を意識し、大いなる「太陽の徳」を説きました。
それは大慈大悲の万物を慈しむ心であり、尊徳の「無利息貸付の法」も、この徳の実践なのです。その尊徳の心の中心にあった「天道」の名を冠した「天道館」という施設の竣工式が、明日26日(佐久間進 サンレーグループ会長の誕生日!)に行われます。施主は、わたしです。この「天道館」を拠点を拠点として、「天下布礼」を加速させたいと思っています。
なお、今回の二宮尊徳の名言は『面白いぞ人間学』(致知出版社)にも登場します。


面白いぞ人間学―人生の糧になる101冊の本

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*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2013年9月25日 佐久間庸和