メーテルリンク(2)


死は人間の恐怖を糧とする




言葉は、人生をも変えうる力を持っています。
今回の名言は、ベルギーの作家メーテルリンクの言葉です。
名言ブログ「メーテルリンク(1)」に書いたように、彼の『青い鳥』は「死」の真実について語った物語でした。「死」に強い関心を抱きつづけたメーテルリンクは、ノーベル文学賞を受賞した2年後の1913年に『死後の存続』を刊行しました。これは死後の意識について論じた本であり、カトリック禁書目録に入れられたいわくつきの問題作です。


死後の存続

死後の存続


この『死後の存続』で、メーテルリンクは次のように書いています。
「この生と世界において、重要な出来事はただ1つ、死しかないのである。どれほど警戒しようと、その隙をかいくぐって死は力を結集し、一挙に幸福に襲いかかってくる。逃れようとあがけばあがくほど、その虜になる。脅えれば脅えるほど、恐怖は増す。死は人間の恐怖を糧とするからだ。死を忘れようとする者は、死の思いに捕われ、死から逃れようとする者も、逃れる先には常に死が待ち構えている。死は一切をその暗い影で覆う。人はたえず死のことを考えていても、それは無意識に、さもなければ明確な認識ができずに、そうしているにすぎない。正面から見据えず、背を向けるものに、いやでも人は捕われる。また探求する意欲を他に逸らし、死に立ち向かう力をことごとく使い果してしまう。同時に、死を暗い本能の手にゆだね、明晰に考えることもない」(山崎剛訳)



これほど「死」について正面から真剣に論じた文章を、わたしは他に知りません。
まさに、メーテルリンクは「死」の問題にとりつかれた人物といってもよいでしょう。
『死後の存続』が刊行された1913年という年にも意味があったと思います。
その前年である1912年には、かのタイタニック号が沈没して1500人以上の犠牲者を出しました。当時、「史上最悪の海運事故」と騒がれ、世界中に「死」のイメージを撒き散らした出来事として知られています。日本の宮沢賢治にも強い影響を与え、『銀河鉄道の夜』にはタイタニック号の犠牲者とおぼしき乗客が登場します。
それから『死後の存続』が刊行された翌年である1914年には、オーストリア=ハンガリー帝国皇位継承者フランツ・フェルディナント大公夫妻が銃撃されるサラエヴォ事件により、第一次世界大戦が勃発しました。世界中が戦争に巻き込まれ、大量の人々が死亡するという「死の時代」が本格的に幕を開けたのです。
そんな時代背景をメーテルリンクは敏感に察知していたように思います。



さらに、メーテルリンクがここまで「死」に深い関心を抱いたのには理由がありました。じつは、彼は少年時代に臨死体験をしていたのです。彼の最晩年の回想記である『青い泡沫』には「水死」という断章があります。それによれば、メーテルリンクが子ども時代を過ごした家の庭は家屋と海岸の運河のあいだに細長く伸びていました。この運河で彼は溺れかけたことがあるのです。幸い、建築中だった塔の上から父親に発見され、彼は一命をとりとめました。気がつくと自分のベッドに横になっていましたが、水をしこたま飲んでそれを吐き出したために少し気分が悪かったそうです。このときの経験を彼は次のように書いています。
「この意識のない間、私は死のごく近くまで行った。もし実際に死の世界に到達していたら、ほかのことは覚えていなかっただろう。私は気づかずに大いなる扉を越えるには越えた。一瞬だが、ある種の驚くべき光を体験したからである。そこには苦しみ一つ、不安一つなかった。目が閉じ、腕がしきりに動き、そしてもう私はいなかった」(山崎剛訳)
これはあきらかに臨死体験の報告にほかなりません。



メーテルリンクはまた、こうも述べています。
「死にかけたことのない人はいないだろう。私に関して言えば、死の間近までいき、それを垣間見てきたのだと思う。そしてあの時と同じように、穏やかで、すばやく、甘美な死を再び体験できることを今は心待ちにしている」(山崎剛訳)
このような少年の日の臨死体験こそが、メーテルリンクに「死」の問題を考えさせ、ファンタジーの名作『青い鳥』を書かせたのではないかと、わたしは思います。「思い出の国」の描写にあきらかなように、『青い鳥』はあきらかに死者の世界を描いています。しかし、完全な霊界の物語ではなく、それはあくまで臨死体験の物語です。なぜなら、チルチルとミチルは完全に「あの世」に行ってしまったわけではなく、最後には「この世」に戻ってくるからです。
童話の世界に「死」というテーマを持ち込んだのは、アンデルセンでした。
でも、「死後」というテーマを持ち込んだのはメーテルリンクです。



メーテルリンクは、最高の叡智が世界のどこかに隠されていると考えていたようです。そして、その最大の候補地として、ギリシャアテネ郊外にある古代のエレウシス神殿を挙げていました。エレウシス神殿は今ではひっそりとした遺跡にすぎませんが、かつてはデメテルとペルセポネの神話を崇拝する聖地であり、古代における神秘主義の中心地でした。
そこには、プラトンアリストテレスソフォクレスなどの有名人をはじめ、おびただしい数の巡礼者が訪れて、叡智を得るために、神殿の奥の院で秘儀を経験したといいます。しかし、厳しい守秘義務が課せられており、それを破った者には死、あるいは流刑が待っていたために、だれも多くを語りませんでした。それでも、おおまかな話だけは伝わってきています。それによれば、エレウシスでの秘儀に参加した人々は、死の恐怖がまったくなくなり、死後の世界に対する心の準備ができるようになったとか。



すなわち、最高の叡智とは「死」と「死後」の秘密であったわけです。おそらくは、エレウシス以外の世界の古代神殿における秘儀も同じ役割を果たすものだったのでしょう。まさに古代の叡智を求めつづけたメーテルリンクが書いた『青い鳥』とは、秘儀を経験しなくとも、自然に「死」と「死後」の秘密を悟ることができる物語としてのハートフル・ファンタジーであった。
わたしは、そのように確信しています。なお、今回のメーテルリンクについてのエピソードと言葉は、『涙は世界で一番小さな海』(三五館)にも登場します。


涙は世界で一番小さな海―「幸福」と「死」を考える、大人の童話の読み方

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*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2013年8月26日 佐久間庸和