中村久子(2)


いのち、ありがとう




言葉は、人生をも変えうる力を持っています。
今回の名言は中村久子の言葉です。彼女は難病による両手両足の切断という重い障害を抱えながらも、72年の人生をたくましく生き抜いた女性です。
彼女は、多くの講演において「人生に絶望なし」と強調しました。
それとともに、日常生活においては「いのち、ありがとう」を口癖としました。
生涯、常に感謝の心を忘れなかったといいます。


こころの手足―中村久子自伝

こころの手足―中村久子自伝


晩年の久子は全国を講演して回り、障害者をはじめ多くの病で苦しむ人々に勇気を与え続けました。とにかく「ない」ということを悲しむのではなく、「ある」ということに感謝した彼女は、次のような詩を残しています。



「ある ある ある」


さわやかな 
秋の朝



「タオル取ってちょうだい」
「おーい」と答える
良人がある
「ハーイ」という娘がおる



歯をみがく
義歯の取り外し
かおを洗う
短いけれど
指のない
まるい
つよい手が
何でもしてくれる



断端に骨のない
やわらかい腕もある
何でもしてくれる
短い手もある



ある ある ある



みんなある
さわやかな
秋の朝



この中村久子の詩を初めて読んだとき、わたしは衝撃を受けるとともに、大きな感動をおぼえました。とにかく彼女は、すべてのものに感謝する姿勢なのです。
自分を取り巻くあらゆる環境にも感謝しています。そして、その彼女の感謝の思いを一語にした言葉こそ、「いのち ありがとう」でした。


わが母中村久子

わが母中村久子


大変な読書家でもあった久子は、『歎異抄』をはじめとした書物を愛読し、そこから無の世界を学んだそうです。久子の次女である中村富子氏は、「その母が無の世界から有の世界を見いだしました。無いと思って悲しむよりも、有ると知ったときの歓びはとても大きく、こころ豊かになりました」と著書『わが母 中村久子』で述べています。
手も肘から先が無いのではなく、肘から上が有るのです。足も膝から下が無いのではなく、膝から上が有るのです。中村富子氏は、「もろもろのもの、これだけしか無いのではなく、これだけ有るではないか・・・・・と、発想の有る無いの違いで、こんなにも心豊かになっていく。母はその嬉しさを詩に託しました」と述べています。



仏教には、「足るを知る」という教えがあります。
久子は熱心な仏教の信者でしたが、そもそも最初に「いのち」が与えられたこと自体に対して「ありがとう」と心からの感謝を捧げたのです。
なお、今回の中村久子の名言は『法則の法則』(三五館)にも登場します。


法則の法則―成功は「引き寄せ」られるか

法則の法則―成功は「引き寄せ」られるか

*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2013年8月16日 佐久間庸和