義父の初盆

ブログ「義父の四十九日」に書いたように、妻の父親が今年1月4日に亡くなりました。
このお盆が初盆となり、わたしたち家族は小倉から車で広島県の島に向かいました。
広島の宇品港からはフェリーに乗りました。お盆ということで、車が多かったです。
今日も猛暑日で、港で待っている間、ものすごく暑かったですね。


広島の宇品港からフェリーに乗りました

ずいぶん待って、ようやく順番が来ました



島に着いて、妻の実家を訪れました。
車が到着した気配を察した義母が外に出て来て迎えてくれました。
家の中に入ると、玄関に父からの供花が置かれていました。
義父の仏壇は二階にあるので、みんなで上がり、まずは線香を焚いてお参りをしました。
仏壇の前には、わたしが送った提灯が置かれていました。



義母は、義父が亡くなって以来、まだ近くにいるような気がするそうです。
それで、つい「お父さん・・・」と話かけてしまうというのです。
わたしは「お母さん、それはまったくおかしなことではないですよ。そう思われるのなら、きっとお父さんは近くにおかれるのだと思いますよ」と言いました。
また、妻は少し前に義父の夢を見たそうです。ピンクのジャケットを着て、義父は笑顔で「どうだ、似合うじゃろう?」と言っていたそうです。その表情がとても嬉しそうだったので、強く印象に残っているそうです。そのせいか、妻がわたしに「ピンクのジャケットを着ていけば?」と言うので、その通りにしました。義父は喜んでくれたでしょうか。



焼香の後、お茶とお菓子をいただいてから、義父のお墓に行きました。
そのとき、次女が「お盆は家に帰っているわけだから、お墓にはいないんじゃないの?」と言いました。じつは、その通りなのです。わが娘の利発ぶりに目を細めながら、わたしは「本当は、そうだけど。一応、お墓の様子も見に行こうよ」と答えました。


安芸門徒の初盆用の盆灯籠

安芸門徒の通常用の盆灯籠



義母は、墓参に際して家から盆灯籠と呼ばれる紙で出来た仏具を持って行きました。
これは浄土真宗の安芸門徒の習俗だそうで、初盆は白、それ以外はカラフルな盆灯籠に参拝者の名前を書いて墓に飾るのだとか。わたしも初めて見ましたが、島内の至る場所で盆灯籠を見ることができました。盆灯籠は、仏具展をはじめ、生花店や文具店、スーパーやホームセンターやコンビニでも売られていました。価格は、380円〜600円ぐらいです。


島中の各所に盆灯籠の姿が・・・・・

島中で盆灯籠が売られていました



さて、「初盆」は、愛する人を亡くした人の心のケアという側面から見ても非常に重要です。
通夜、告別式、初七日、四十九日・・・・・と続く、日本仏教における一連の死者儀礼の流れにおいて、初盆は1つのクライマックスでもあります。日本における最大のグリーフケア・システムと言ってもよいかもしれません。
多くの方々の悲しみが、初盆によって少しでも軽くなることを願っています。
そして、次の大事なことを忘れてはなりません。
それは、基本的に葬儀がなければ、初盆はないということです。
葬儀があって、初七日や四十九日があって、初盆が来るのです。
小学校に入学しなければ運動会や修学旅行を経験できないように、葬儀をきちんと行わなければお盆というのは来ないのです。 もちろん、それは立派な葬儀である必要はありません。セレモニーホールや祭壇もあるに越したことはありませんが、なくても別に構いません。大切なのは、死者を悼み、送るという「こころ」であり、葬儀という「かたち」です。



義父の初盆を迎えて、悲しみに暮れていた義母や妻の表情が少し穏やかになったような気がしました。やはり、日本人には「お盆」というものが必要であると思います。
お盆については、ブログ「お盆の豊かな意味」ブログ「法要とお盆は必要!」にも書きましたので、ご参考までにお読み下されば幸いです。



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2013年8月14日 佐久間庸和