経理責任者会議

ブログ「ガバナー公式訪問」に書いた小倉ロータリークラブの例会が終了すると、わたしは会場のリーガロイヤルホテル小倉からサンレー本社へと急ぎました。
今日は、サンレーグループ全国経理責任者会議が開催されるのです。
会社に到着すると、そのまま会議室に向かい、恒例の社長訓話をしました。


全国経理責任者会議のようす



まず最初に、ブログ『なぜゴッホは貧乏で、ピカソは金持ちだったのか』で紹介した本の話をしました。「お金」をテーマにした本なので、経理責任者会議の話題にふさわしいと考えたのです。同書の「はじめに」を、著者の山口揚平氏は「ふたりの天才画家、ゴッホピカソの偉大な名声なら、誰もが知っているだろう。だが、ふたりの生前の境遇には、天と地ほどの差があった」と書き出しています。2000点にのぼる作品のうち、生前に売れた絵はわずか1点だったというゴッホに比べ、ピカソは経済的にも大成功したことで知られています。
そのピカソについて、著者は次のように書いています。
「91歳で生涯を閉じたピカソが、手元に遺した作品は7万点を数えた。それに、数ヵ所の住居や、複数のシャトー、莫大な現金等々を加えると、ピカソの遺産の評価額は、日本円にして約7500億円にのぼったという。美術史上、ピカソほど生前に経済的な成功に恵まれた画家、つまり『儲かった』画家はいない」


ピカソ流「価値を価格に変える方法」を説明しました


ゴッホは、間違いなく天才画家でした。では、両者の命運を分けたのは何なのか。著者によれば、ピカソのほうが「お金とは何か?」に興味を持ち、深く理解していたという点であったといいます。同書には、ピカソがお金の本質を見抜く類まれなセンスの持ち主であったエピソードが多く紹介されています。たとえば、次のようにです。
「特に、自分の絵を販売することに関しては天才的で、ピカソは新しい絵を描き上げると、なじみの画商を数十人呼んで展覧会を開き、作品を描いた背景や意図を細かく説いたという。絵が素晴らしいのは前提だ。だが人は、作品という『モノ』にお金を払うのではない。その『物語』を買うのだ、と彼は知っていた。そして、たくさんの画商が集まれば、自然に競争原理が働き、作品の値段も吊り上がる。ピカソは、自分の作品の“価値を価格に変える方法”、今でいえば“マネタイズ”の方法をよく知っていたのだと思う」



「まずピカソは、当時から有名であった。その彼が買い物の際に小切手を使えば、それをもらった商店主は、小切手をどのように扱うだろうか?ピカソは次のように考えた。商店主は、小切手を銀行に持ち込んで現金に換えてしまうよりも、ピカソの直筆サイン入りの作品として部屋に飾るなり、大事にタンスにしまっておくだろう。そうなれば、小切手は換金されないため、ピカソは現金を支払うことなく、実質的にタダで買い物を済ませることができる。
ピカソは、自分の名声をいかに上げるか、のみならず、それをどうやって、より多くのお金に換えるか、という点についても熟知していたのだろう。これは現代の金融でいえば、信用創造、“キャピタライズ”の考え方である」



「シャトー=ムートン=ロートシルトというフランス・ボルドー地方にある有名シャトーのワインがある。この1本5万円は下らない高級ワインの1973年モノのラベルは、ピカソがデザインしている。そして、その対価は、お金ではなくワインで支払われた。ピカソの描いたラベルの評判が高ければ高いほど、ワインの価値は高まり、高値がつく。
ピカソがそのワインをもらえば、自分で飲むにしろ売るにしろ、価値が高いほうがいいに決まっている。双方に利益のある話である」
このようなさまざまな方法で、ピカソの絵は高く売れるようになっていきました。


お金とは何か?



また、同書の序章「お金とは何か?」には、以下のようなお金の定義が紹介されています。
「お金とは権力である」
「お金は資本主義の偏差値だ」
「お金は社会の議決権」
「お金は怠惰の原因であり、搾取の結果である」
「お金は可能性の原因であり、貢献の結果でもある」
「お金は自白剤であり、人間の本質を明らかにするもの」
さまざまな定義を紹介した上で、著者は次のように自説を述べます。
「お金は協力だが、絶対的なコミュニケーション・ツールではない。それを理解しているだけで、僕たちはお金の呪縛から放たれ、お金に対する偏見から少し距離を置いて、冷静な目でそれを捉え直せるようになる。そして、その冷静で俯瞰的な視点こそ、僕たちがお金とよい関係を築くきっかけとなる」
わたしも、会議の参加者たちに「お金とは何か?」と問い、一緒に考えてみました。



その後、冠婚葬祭互助会を取り巻く最近の動向を説明した後で、次のような話をしました。
いま、冠婚葬祭互助会業界は危機的状況にあるという人がいます。
たしかに大きな過渡期にあることは事実でしょう。でも、この「危機」を「機会」ととらえれば、わが業界はさらに飛躍できるものと信じます。先日、ヤマト運輸の都築幹彦・元社長のお話を聴きました。伝説のカリスマ経営者・小倉昌男翁とともに宅急便という一大イノベーションを成功させた方ですが、「宅急便はどん底から生まれた」と言われていました。



また、わたしの最も尊敬する経営者である出光佐三翁の話もしました。
佐三翁は、出光興産の本店のある門司の対岸にある下関では石油を売れないことから、関門海峡で船の上で石油を売ることを思いつき、「海賊とよばれた男」となりました。
その後、出光興産は東アジア全域に進出し、「世界の出光」へと飛躍しました。
ヤマト運輸や出光興産から学べることは、「ピンチはチャンス!」ということです。わたしたちも、このたびの一連の出来事を陽にとらえ、“禍転じて福と為す”の発想で行きましょう!


インフラについての考えを述べました



さらには、インフラについての自分の考えを述べました。
インフラとは、「インフラストラクチャー(infrastructure)」の略です。
一般に、国民福祉の向上と国民経済の発展に必要な公共施設とされます。
具体的には、学校、病院、道路、港湾、工業用地、公営住宅、橋梁、鉄道路線、バス路線、上水道、下水道、電気、ガス、電話などを指し、社会的経済基盤と社会的生産基盤とを形成するものの総称が「インフラ」と呼ばれています。何を「インフラ」とするかは、どこに注目するかで変わります。例えばインターネットを考えた場合、日米間の海底ケーブル、DNSなどのサービスもインフラとして機能しています。



しかし、わたしは電気やガスや電話などは「あれば便利だけれど、なくても人間は生きていける」ものだと思っています。ましてや、インターネットなどなくても、生存上は何の不都合もありません。「便利」と「必要」は明らかに違いますね。
人間が生存する上で本当に必要なものは、「ライフライン(Life Line)」とも呼ばれます。
これには、日常生活を支えるインフラといった意味があります。
東日本大震災以降、よく耳にするようになった用語ですね。


人間にとって、本当に必要なものとは?



人間にとって、本当に必要なものとは何でしょうか。
「衣食住」という言葉がありますが、これなど古今東西の人間にとって必要なものを集約していると思います。『なぜゴッホは貧乏で、ピカソは金持ちだったのか』』にも、「衣食住」を「生活インフラ」としてとらえる考え方が紹介してありました。
山口氏は、衣食住といった生活インフラについては、今後、巨大企業が一気にそのニーズを満たすようになると予測します。そして、ユニクロがすでに「衣のインフラ」となり国民服となっているという事実を指摘します。また、「セブンプレミアム」というオリジナル食品群を提供するセブン&アイ・ホールディングスは「食のインフラ」をめざしていると紹介します。



そして、「衣」と「食」に続き、「住」においても山口氏は、「住についても、身寄りのない高齢者がますます増える一方、空き住居も多いことから、従来の老人ホームや介護施設とは一線を画した新しい集合住宅の仕組みが出てくるだろう。コンビ二のバラエティに富んだ食品群、ユニクロの安価で丈夫な衣服、住居の空室率が25%という現実。これら衣食住の〝インフラ企業〟は、今では東京電力を超える公共性・一般性を有している」と述べています。



わたしは、2つの「住のインフラ」があると思います。
1つは、「老人漂流社会」として問題になっている高齢者の「終(つい)の棲家(すみか)」。
そしてもう1つは、亡くなった後の「死後の棲家」です。こちらは「無縁社会」として問題になっているように、亡くなってもお墓に入れない人が多くなっていることからも、その必要性がわかります。わが社が推進している「隣人館」、そして「鎮魂の森」、この2つのプロジェクトこそは両面的に「住のインフラ」を整備することにほかなりません。



「衣のインフラ企業」をめざすユニクロ、「食のインフラ企業」をめざすセブン、そしてわが社は「住のインフラ企業」をめざします。さらに「衣食」とくれば、思い浮かぶ言葉があります。
そう、「衣食足りて礼節を知る」ですね。「礼」もインフラになりうる。
「礼」はもともと「葬礼」から生まれました。そして、ヒトは埋葬をすることによって人間になりました。つまり、葬送儀礼こそは人間の存在基盤なのです。「衣食住」が生活インフラならば、「礼」は人間インフラと言えるでしょう。



そのことを強く教えてくれたのが、あの東日本大震災でした。
3・11によって、日本は「無縁社会」などと言っている場合ではなくなりました。
また、「葬式は、要らない」という妄言は消え去ってしまいました。あの未曾有の大震災と大津波によって亡くなった方々をどう供養し鎮魂し、そしてこれからの社会をどう築いていくのか、それが深く問われたのです。わたしは、あの大災害で日本国民は「何が人間にとって本当に必要か」ということがわかったような気がします。



水・食料・薬・・・・・これらは、生きていく上ですべて必要です。
電力・ガス・ガソリン・・・・・なくても生きていけるが、あるに越したことはありません。
電話(携帯電話)やトイレットペーパー、紙オムツ、歯ブラシ・・・・・あると助かります。
ホテルやコンビニなども多くの人々を支え、都市にとってのインフラ施設と印象づけました。



そして、何よりも「葬式は必要!」ということが明らかになったように思います。
普通の火葬ができず、土葬が行われている今、多くの人が葬儀の意味を痛感しました。
ある意味で、民主党政権ではなく国民自身が「事業仕分け」をしたのです。
「この事業は絶対に必要」「これは、今のところ不要」という仕分けをしたのです。
わたしは、人が亡くなったとき、確実に葬儀が行える冠婚葬祭互助会というビジネスモデルこそ「礼」という「人間インフラ」を支えていることに気づきました。
人間インフラ企業であるサンレーは、さらに生活インフラ企業もめざします。



最後に、出光佐三の「黄金の奴隷たるなかれ」という言葉を紹介し、利益について考えてみました。一般に、「金儲け」は「利益」という言葉につながります。経営学ドラッカーは、「利益とは企業存続のためのコストである」と言いましたが、利益が出なければ、どんな企業だって倒産してしまいます。でも、貪欲に利益だけを追求すればいいというものでもない。
孔子の言行録である『論語』には、「利」という言葉が何度か登場します。
「利によって行えば怨(うら)み多し」。
すなわち、行動がつねに利益と結びついている人間は、人の恨みを買うばかりである。
「君子は義に喩(さと)り、小人は利に喩(さと)る」。
すなわち、君子はまっさきに義を考えるが、小人はまっさきに利を考える。
孔子は、「完成された人間とは」と問われて、「目の前に利益がぶら下がっていても義を踏みはずさない」ことを、その条件の一つに挙げています。


黄金の奴隷たるなかれ!



後に、出光佐三は次のように述べました。
「金を尊重せよ、しかしながら金にひざまづくなという、この呼吸気分は金の奴隷たる事と真に紙一重である。店員の不断の修養の力にのみよりて、この妙諦を体得し得るのであります。人間尊重、人物養成お必要なる所以もここに存するのであります」
資本主義の世の中で、金の奴隷にならずに事業を発展させることは確かに難しいことでしょう。それを「矛盾」という人もいるかもしれません。しかし、毛沢東の『矛盾論』ではありませんが、矛盾こそは大きな核融合を引き起こすパワーを秘めているのです。



今年のサンレーグループは、売上・利益ともに大きな目標を掲げています。
佐久間会長も、社長のわたしも、出光佐三という方を心から尊敬しています。
あくまでも「人間尊重」のミッションを死守しながら、予算も完達する覚悟です。
わたしは「ともに力を合わせて、がんばりましょう!」と言って、訓話を終えました。
みんなメモを取りながら真剣に聞いてくれました。
社長訓話の後は、松柏園ホテルに場所を移し、懇親会が開かれました。
1時間喋りっぱなしで乾いた喉に冷えたビールが心地良かったです。



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2013年7月27日 佐久間庸和