グリーフケア講演

11日の18時半から、わたしの講演会が開催されました。
場所は、鹿児島市にある広告代理店のマコセエージェンシー本社でした。
会場に入ると、わたしの巨大看板があって、仰天しました。
これまで多くの講演を行ってきましたが、こんなに大きな看板は初めてです。


講演会のようす

巨大看板に仰天しました!



講演のテーマは、「グリーフケアの時代」でした。『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)および『のこされた あなたへ』(佼成出版社)の内容に基づいた講演です。
マコセのグリーフサポート部のスタッフを中心に会場が満員になりました。


グリーフケアについて話しました



最初にわたしは、次のように語りかけました。
「玄関の宇宙飛行士や壁を登っているスパイダーマンを見たときは驚きました。
マコセエージェンシーという会社にはユーモアがありますね。わたしは、グリーフサポートという仕事には、ユーモアの心が欠かせないと考えています。わが社の葬祭スタッフにも、いつも微笑の大切さを説いています。仏像は、みな穏やかに微笑んでいますね。これは優しい穏やかな微笑みが、人間の苦悩や悲しみを癒す力を持っていることを表しています。葬儀だからといって、暗いしかめっ面をする必要などまったくないのです」


悲しみを癒すブッダの話法



それから、次のような話をしました。
釈尊」ことブッダは、「生老病死」を4つの苦悩としました。
わたしは、人間にとっての最大の苦悩は、愛する人を亡くすことだと思っています。
老病死の苦悩は、結局は自分自身の問題でしょう。
でも、愛する者を失うことはそれらに勝る大きな苦しみではないでしょうか。
配偶者を亡くした人は、立ち直るのに3年はかかると言われています。
幼い子どもを亡くした人は10年かかるとされています。
こんな苦しみが、この世に他にあるでしょうか。



一般に「生老病死」のうち、「生」はもはや苦悩ではないと思われています。
しかし、ブッダが本当に「生」の苦悩としたかったのは、誕生という「生まれること」ではなくて、愛する人を亡くして「生き残ること」ではなかったかと、わたしは思うのです。
それでは、ブッダが苦悩と認定したものを、おまえごときが癒せるはずなどないではないかという声が聞こえてきそうです。たしかに、そうかもしれません。
でも、日々、涙を流して悲しむ方々を見るうちに、「なんとか、この方たちの心を少しでも軽くすることはできないか」と思いました。アメリカのグリーフ・カウンセラーのE・A・グロルマンの言葉をもとに、わたしは次のように考えています。




親を亡くした人は、過去を失う。
配偶者を亡くした人は、現在を失う。
子を亡くした人は、未来を失う。
恋人・友人・知人を亡くした人は、自分の一部を失う。




それぞれ大切なものを失い、悲しみの極限で苦しむ方の心が少しでも軽くなるようお手伝いをすることが、わが社の使命ではないかと思うようになったのです。
そして、わたしは『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)を書きました。さらに2010年6月21日、愛する人を亡くした人たちの会「月あかりの会」を発足させました。


東日本大震災のことも話しました



のこされた あなたへ』では、「葬儀ができなかったあなたへ」「遺体が見つからないあなたへ」「お墓がないあなたへ」「遺品がないあなたへ」「それでも気持ちのやり場がないあなたへ」と、具体的な「あなた」へのメッセージを綴り、最後に「別れの言葉は再会の約束」という文章を書きました。 葬儀ができない、遺体がない、墓がない、遺品がない、そして、気持のやり場がない・・・・・まさに「ない、ない」尽くしの状況は、今回の災害のダメージがいかに甚大であり、辛うじて助かった被災者の方々の心にも大きなダメージが残されたことを示していました。現地では毎日、「人間の尊厳」というものが問われました。亡くなられた犠牲者の尊厳と、生き残った被災者の尊厳がともに問われ続けていたのです。


みなさん、真剣に聴いてくれました



この国に残る記録の上では、これまでマグニチュード9を超す地震は存在していませんでした。地震津波にそなえて作られていたさまざまな設備施設のための想定をはるかに上回り、日本に未曾有の損害をもたらしました。じつに、日本列島そのものが歪んで2メートル半も東に押しやられたそうです。それほど巨大な力が、いったい何のためにふるわれ、多くの人命を奪い、町を壊滅させたのでしょうか。
あの地震津波原発事故にはどのような意味があったのでしょうか。
そして、愛する人を亡くし、生き残った人は、これからどう生きるべきなのか。
そんなことを考えながら、残された方々へのメッセージを書き綴ってみました。
もちろん、どのような言葉をおかけしたとしても、亡くなった方が生き返ることはありませんし、その悲しみが完全に癒えることもありません。
しかし、少しでもその悲しみが軽くなるお手伝いができないかと、わたしは一生懸命に心を込めて『のこされた あなたへ』を書きました。時には、涙を流しながら書きました。
そこで、儒教における「人は死なない」という「孝」の思想や、一連の法事・法要に代表される「日本的グリーフケア」のシステムについてもお話ししました。




最後は、とても大切なことをみなさんにお伝えしました。
それは、のこされた人は、今は亡き愛する人に必ずまた会えるということです。
死別はたしかに辛く悲しい体験ですが、その別れは永遠のものではありません。
愛する人を亡くした人は、また愛する人に会えるのです。
風や光や雨や雪や星として会える。
夢で会える。
あの世で会える。
生まれ変わって会える。
そして、月で会える。
世の中には、いろんな信仰があり、いろんな物語があります。
しかし、いずれにしても、必ず再会できるのです。
ですから、死別というのは時間差で旅行に出かけるようなものなのです。
先に行く人は「では、お先に」と言い、後から行く人は「後から行くから、待っててね」と声をかけるのです。それだけのことなのです。



考えてみれば、世界中の言語における別れの挨拶に「また会いましょう」という再会の約束が込められています。日本語の「じゃあね」、中国語の「再見」もそうです。
そして、英語の「See you again」もそうです。
フランス語やドイツ語やその他の国の言葉でも同様です。
これは、どういうことでしょうか。古今東西の人間たちは、つらく、さびしい別れに直面するにあたって、再会の希望をもつことでそれに耐えてきたのかもしれません。でも、こういう見方もできないでしょうか。二度と会えないという本当の別れなど存在せず、必ずまた再会できるという真理を人類は無意識のうちに知っていたのだと。
その無意識が世界中の別れの挨拶に再会の約束を重ねさせたのだと。
そう、別れても、わたしたちは必ず再会できるのです。 「また会えるから」この言葉を合言葉に、愛する人との再会の日を楽しみに、生きていきませんか。
愛する人を亡くしたあなたは、愛する人との再会を希望として、生き延びて下さい。そして、さまざまな信仰や物語を超えて、いずれにしても、必ず再会できるという真実を絶対に忘れないで下さい。 これからも、世界では多くの地震津波や台風で、そしてテロや戦争で、多くの人命が失われることでしょう。また、天災や人災でなくとも、病気や事故などで多くの方々がこの世を卒業されていくでしょう。


愛する人と死に別れることは人間にとって最大の試練です。
しかし、試練の先には再会というご褒美が待っています。
けっして、絶望することはありません。
けっして、あせる必要もありません。
最後には、また会えるのですから。
どうしても寂しくて、悲しくて、辛いときは、どうか夜空の月を見上げて下さい。
そこには、あなたの愛する人の面影が浮かんでいるはずです。
愛する人は、あなたとの再会を楽しみに、気長に待ってくれることでしょう。
今夜は、そんなことをお話してみました。
また、わたしが作詞した「また会えるから」の動画も流しました。
参加者の中にハンカチを目に当てている方がいたのが印象的でした。


積極的に質問が浴びせられました



講演を終えた瞬間、盛大な拍手を頂戴しました。嬉しかったです。
質疑応答も受けましたが、非常に鋭い質問を3人から受けました。
わたしは、「この人たちはグリーフケアについて真剣に考えている」と思いました。


真木よう子似のおごじょから花束を受け取る

なんちゅはならん!(言葉にならないほど感動する)



最後は、サンレーのファンだという真木よう子似の福島サンから花束を頂戴しました。
とても立派な花束でした。すごく嬉しかったでごわす。なんちゅはならん!
今夜は、グリーフケアについてのわたしの話をオリジナル会葬礼状を作成されているみなさんが聴いて下さいました。これからも、心ある同志のみなさんと一緒に、愛する人を亡くした人たちの悲しみを少しでも軽くするお手伝いがしたいです。


懇親会が開かれました



講演終了後には、社内のキッチン&カフェで懇親会が開かれました。
最初に、マコセ合唱団のみなさんが「花は咲く」という歌を歌ってくれました♪
司会者は黒ずくめで、ソフトバンクのお父さん犬もいました。
料理は、薩摩料理のフルコースでした。しかも、五十嵐社長の奥様の手作りです。
もう、言葉にならないほど美味しかったです。なんちゅはならん!


楽しいお酒を飲みました

小原祭り隊のみなさんと



全員にシャンパンが注がれ、乾杯しました。
シャンパンの後は、生ビールやチューハイも飲みました。
そのうち、小原祭り隊も登場して、見事な踊りを披露してくれました。
女子社員の方々による「好きになった人」とか「天城越え」などのカラオケも始まりました。


「アイ・ラブ・ユー,OK」を歌う♪

「祭りのあと」も歌う♪



そして、スタンドマイクが用意されて、矢沢永吉の「アイ・ラブ・ユー,OK」が流れ出し、わたしに歌のリクエストが入りました。もう、こういうムチャ振りが一番困るんですよね。
しかも、わたしは人前で歌うのは大の苦手ときています・・・・・。
でも、清水の舞台から飛び降りたつもりで歌いましたとも!(笑)
アンコールが起こったので調子に乗って、桑田佳祐の「祭りのあと」も歌いました♪


楽しい懇親会となりました

デザートは「白熊くん」スペシャルでした(旗に注目!)



その後は、美味しいお酒を飲みながら、マコセ・エージェンシーの方々とお話しました。
鹿児島の方言も教えてもらいました。みなさん、わたしのことを「ぼり、よかにせ」と言います。意味は「とっても美男子」だそうです。もう、みなさん、正直な方ばかりですねぇ(笑)
みなさん、「こころの仕事」をされているだけあって、素晴らしい方々ばかりでした。
薩摩おごじょと飲む酒は最高に旨かったでごわす!(笑)
デザートは、鹿児島名物の「白熊くん」のスペシャルでした。
しかも、見たことのある顔の「小さいおじさん」が白熊に乗っているではないですか!
もう至れり尽くせりのホスピタリティに、わたしの胸は感動で震えました。


五十嵐社長のお礼の挨拶

久保常務による「末広がりの五本締め」



そして、五十嵐社長によるお礼の挨拶がありました。
心あるお言葉の数々に、わたしの心は温かくなりました。
その後、久保常務がなんとサンレー名物の「末広がりの五本締め」を行いました。
ここまで、わが社のことを知っていてくれているとは!
わたしは、久保常務の配慮に非常に驚くとともに感激しました。
最後は、全員で集合写真を撮影し、楽しい宴は終了しました。


全員で集合写真を撮影しました



それから、鹿児島を代表するホテルである城山観光ホテルに宿泊しました。
このホテルに泊まるのは、ブログ「業界の総会」を書いた2010年5月25日以来です。
そう、ブログ「NHK収録」に書いたように、その翌日、わたしは島田裕巳氏との討論番組に出演するために福岡のNHKスタジオに向かったのでした。なつかしい思い出です。
しかし、明日はNHKではなく、特攻の基地があった知覧を訪れる予定です。



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2013年6月11日 佐久間庸和