皐月晦日となる5月31日、サンレー本社の会議室で「戦国武将会議」が行われました。
集まった武将は、武田信玄、上杉謙信、織田信長、豊臣秀吉、そして徳川家康です。
進行役を兼ねた議長は、誠に不遜ながら小生が務めました。
ブログ「戦国武将面」で紹介した和紙の面をつけた社員が集い、それぞれの武将になりきって発言しました。面をつける社員の希望者は多かったのですが、2つの基準で選びました。
1つは、本人がその武将を心からリスペクトしていること。
もう1つは、本人の体型がその武将に似ていることです。
信玄公と謙信公からのアドバイス
会議では、非常に活発な意見が交わされました。
特に、信玄公と謙信公から冠婚葬祭互助会業界に貴重なアドバイスを頂戴しました。
信玄公の「敵の悪口はいうな」、謙信公の「非道を知らず存ぜず」がそれです。
まさに、現在のわが業界にピッタリの御言葉です。ブログ「営業責任者会議」でも紹介した言葉ですね。お二人が「庸軒公よ、わしらの言葉を歌に詠み込んでくだされ」と言われるので、わたしは慎んで次のような歌を詠みました。翌日のサンレー本社6月度総合朝礼の社長訓示で、社員のみなさんにこの歌を披露するつもりです。
非道など知らず存ぜず
敵であれ悪口いうな己を正せ(庸軒)
また、信長公、秀吉公、家康公とは「鳴かないほととぎすに対して、どうするか」という問題で意見を戦わせました。ほととぎすが鳴かない場合、信長公はなんと「殺す」そうです。秀吉公は「鳴かせてみよう」と工夫されるとか。そして、家康公は「鳴くまで待とう」というお考えでした。さすがは天下人の言葉は一味も二味も違いますね。ちなみに、わたしは「われが鳴こうか」と思います。そのほうが早いですし、楽ですから。
詳しくは、ブログ「われが鳴こうか ほととぎす」をお読み下さい。
あと、予想されたことではありますが、信長公とは「天下布武」と「天下布礼」で意見が真っ向から食い違いました。まあ、これは仕方ないでしょうね。
わたしも、相手が超有名人だからといって自説を曲げる気は毛頭ありませんので・・・・・。
詳しくは、ブログ「『天下布武』と『天下布礼』」をお読み下さい。
会議の終わりには、みんなで「天下布礼」へ向けての雄叫びをあげました。
まず、わたしが腕を突き上げて「えい、えい、おーっ!!」と叫びました。
すると、各武将も腕を突き上げて「おーっ!!」と合わせて下さり、嬉しかったです。
そして会議終了後、会議室の「礼道」の額の前に全員集合して記念写真を撮影しました。偉大な武将の方々がおられるのに、わたしのような小便小僧が中央に来るのは気が引けましたが、いちおう社長ですので、センターをGET!しました。
なんだか、「天下布礼」の道を邁進する勇気が猛烈に湧いてきて、「自ら顧みてなおくんば、千万人ともいえども我行かん」という言葉が心に浮かんできました。これは『孟子』に出てくる言葉ですが、かの吉田松陰が座右の銘としたことで有名ですね。
じつは、このブログ記事をアップすることには迷いがありました。
ペンネームで書いている「一条真也の新ハートフル・ブログ」ならば、すべてはシャレで済むでしょうが、当ブログは本名で書いている社長ブログだからです。
ブログ「最終選考役員面接」に書いたように、先日、内定者を決定するための面接を実施したばかりですが、この記事を読んだ内定者が「こんな、ふざけた会社なんて!」とショックを受けたり、さらには内定を辞退するような事態になることを懸念したのです。
そのことを秘書室の織田さんに語ったところ、彼女は「そんなユーモアがわからないような人は入社しなくてもいいじゃありませんか」と毅然と言い放ちました。さらには、「わが社に内定した学生さんなら、きっと社長のユーモアを理解できるはずです!」とも言いました。
いやあ、さすがは織田さん! 剣道の有段者だけあって、いいことを言いますな。
その一言で、わたしはこの記事をアップする決心がついたのでした。はい。
ということで、歴女よ、集え! いざ、サンレーへ!!(笑)
わが社に限らず、今の会社に最も必要なのはユーモアだと思いますよ。いや、ほんとに。
ということで、佐久間庸和が50歳になり、一条真也が25歳になった平成25年の5月は、このように騒々しく過ぎていきました・・・・・。ああ、面白かった!(笑)
*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。
2013年6月1日 佐久間庸和拝