西日本ブロック会議

17日の午後、わが社の橋本洋介常務、岸克行課長と一緒に小倉駅から新幹線に乗って広島駅に向かいました。広島駅からはタクシーで宇品海岸へ・・・・・。ここにある結婚式場「ダブリューザブライズスイート」で、全国冠婚葬祭互助会連盟(全互連)の西日本ブロックが開催されるのです。ちなみに現在、わたしは全互連の副会長を務めています。宇品海岸に来ると、ブログ「義父の四十九日」に書いた美しい夕陽を思い出しました。



宇品海岸にて

ダブリューザブライズスイートの前で

全互連西日本ブロック会議のようす



全互連は、冠婚葬祭互助会の保守本流です。冠婚葬祭互助会とは、その名通りに「相互扶助」をコンセプトとした会員制組織です。終戦直後の1948年に、西村熊彦という方の手によって、日本最初の互助会である「横須賀冠婚葬祭互助会」が横須賀市で生まれました。そして、横須賀から名古屋へ、さらには静岡へと、全国に広まっていきました。いわゆる「平安閣グループ」と言われている互助会集団が全互連なのです。


わたしは「全互協報告」を行いました

施設見学のようす



わたしと同じく全互連の副会長で、長らく西日本ブロック長を務められたユーアイ・ベルモニーの上田社長も参加されました。この日の会議会場は、ユーアイ・ベルモニーさんの施設です。現在の西日本ブロック長である(株)ヤクシンプラスの薬眞寺社長の進行で、つつがなく会議が進行しました。わたしは「全互協報告」を担当し、さらに全互協の事業継承委員会について説明させていただきました。また、わが社の岸課長が「互助会募集営業」について発表しました。会議終了後は、会場となった「ダブリューザブライズスイート」の中を見学させていただきました。


懇親会場の「BLUE LIVE HIROSHIMA」の前で

乾杯の音頭を取りました



18時からは懇親会が隣接するライヴハウス「BLUE LIVE HIROSHIMA」で開催されました。薬真寺ブロック長の挨拶に続いて、わたしが乾杯の音頭を取りました。モエ・ド・シャンドンのグラスを持って、わたしは「ステージの上にあるスタンドマイクを見ると、矢沢永吉のナンバーを歌いたくなります。もし今夜のライヴを行うミュージシャンが何らかの都合で遅れた場合は、わたしが歌わせていただきます」と冗談をかました後、「業界は激動の時代を迎えていますが、全互連西日本ブロックは永遠に不滅です!」と述べて高らかに乾杯の発声をしました。オーナーである上田社長は「佐久間社長は本を書くだけでなくて、ライヴもできるの!?じゃあ、今度、金曜日の夜にお願いしようかな。ギャラは2万だけど・・・・・」と言って下さいました。もちろん、2万円で結構ですとも!(笑)
その後は、美味しい創作フレンチとお酒を飲みながら話に花を咲かせました。
やはり、各地で頑張っている仲間たちに会うとホッとします。


食事の後、ライヴが始まりました

Honeyちゃんの美声に酔いしれました



19時からは地元のキュートな歌手・Honeyちゃんのライヴが行われました。彼女は、その名の通りに倖田來未の「キューティー・ハニー」をはじめ、松田聖子の「瞳はダイアモンド」、欧陽菲菲の「ラヴ・イズ・オーヴァー」、映画「ボディ・ガード」や「タイタニック」のテーマ曲、最後はブログ「君の瞳に恋してる」で紹介したわたしの大好きな歌で締めてくれました。
今夜は、Honeyちゃんの美声に大いに酔いしれました。
翌日は早朝から忙しいので、わたしたちは二次会は失礼しました。
そして、広島駅に向かい、そこから新幹線で小倉に帰ってきました。ふう。



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2013年5月18日 佐久間庸和