葬祭責任者会議

26日、サンレーグループの「葬祭責任者会議」が開かれ、社長訓話をしました。
各地から、わが社の誇る“おくりびと”たちが集結しました。
最初にブログ「冠婚・衣装責任者会議」でも話した「おもてなし」の話からスタートしました。


葬祭責任者会議が開かれました



「おもてなし」こそは、礼業としてのわが社の本業です。
「おもてなし」という言葉には2つの意味があるとされています。
基本的には茶事や懐石料理における「おもてなし」ですが、次の2つです。
1.モノを持って成し遂げる → お客様を待遇すること
2.表裏なし → 表裏のないココロでお客様をお迎えすること
この場合のモノとは、季節感のある生花、お客様に合わせた掛け軸、絵、茶器などです。
ココロとは、言葉や表情や仕草に表れます。
「おもてなし」とは、相手を思いやり、相手を喜ばそうという気持ちの表現なのです。


「おもてなし」について述べました



また、「おもてなし」には三位一体としての「もてなし」「しつらい」「ふるまい」があります。
「もてなし」とは、わざわざ足を運んでいただいたお客様に、できるだけ満足して帰っていただくための迎える側の心構えです。
「しつらい」とは。季節や趣向に合わせて、部屋を調度や花などの飾り付けで整えることで、「室礼」とも書きます。
「ふるまい」とは、TPOや趣向にふさわしい身のこなしをすることです。
それらの考えを踏まえながら、現実のサービスにどう反映させていくか。
どのように理想的な「おもてなし」を提供するか。
それらについてのわたしの考えを述べてみました。


「人生で大切な五つの仕事」を紹介しました



それからブログ「遺体」で紹介した映画の話題に触れ、さらにブログ『人生で大切な五つの仕事』で紹介した本の内容について語りました。同書の著者である井上ウィマラ氏は、スピリチュアルケア学の第一人者で、現在は高野山大学准教授です。かつて僧侶であった井上氏はミャンマーで修行をし、さらには門司の「世界平和パゴダ」でも修行されました。
同書のタイトルにもなっている「人生で大切な五つの仕事」とは、以下の通りです。
1.人生の意味を見出すこと
2.自分を許し、他人を許すこと
3.「ありがとう」を伝えること
4.「大好きだよ」と言うこと
5.「さよなら」を告げること



井上氏は「死の宗教的儀式としての葬式は必要」と主張し、さらに次のように述べます。
「その人が生きていたときに関わった多くの人々が集うことによって癒されるものがあります。関わり合いの中で生きる人間にとっては、死にゆく本人にとっても残されるものたちにとっても、死は誰か1人だけのものでは済まされないのです。そういう意味で葬式や法事には深い意味と隠された智慧があります。苦しみを免れない人生において、いのちの光をよりよく輝かせるための教えとして、仏教は葬式や法事などの人生の重要な儀礼に実践的な意味を開くことを求められているのです」


真剣に聴く参加者たち



井上氏の著書に沿って、仏式による葬儀や法事にブッダの物語が背景にあることも説明しました。引導を渡すとは、もともとは生きている人をブッダの教えに導き入れることを指しました。また、初七日から四十九日までの七日ごとの法要は、ブッダが悟りを開いたあとに7日間ずつ7つの場所で悟りの安らぎを味わいながらその内容を吟味したという伝記に由来しています。縁起や因縁の教えは、その間にブッダが、悟りの内容を振り返りながら分析して体系化した教えです。そして、「スピリチュアルケアとしての仏教」において最も重要な役割を果たすのが枕経です。



枕経について、井上氏は次のように述べています。
「枕経とは、本来は死にゆくものの枕辺で、安らかに臨終の時が迎えられるように配慮して唱えられたものだと思われます。テーラワーダ仏教諸国では、本人が好きな花などを飾り、尊敬し信頼する僧侶を招いてブッダの教えを唱えてもらうことがあります。日本でも、古の臨終行儀には、家族や隣人たちがみんなで念仏を唱え、あるいは息合わせをする風習もあったようです。チベットの『死者の書』は、死にゆくものへの導きとしてその耳元で読み聞かさせるためのものでした。現在の枕経は、臨終後に僧侶を呼んでお経を唱えてもらうことが通常になっています。その際に戒名についての打ち合わせなどもするようです」



ここに出てくる「テーラワーダ仏教」とは「上座部仏教」のことです。
井上氏と深い縁のあるミャンマー仏教も含まれます。
現在の日本のように臨終後に僧侶を呼んでお経を唱えてもらうことも大事ですが、わたしは、死にゆくものの枕辺で唱える枕経の復活を考えています。
大量の高齢者を抱えた日本において、安らかに臨終の時が迎えられるように配慮して唱えられる枕経の存在が求められると思うのです。そして、大乗仏教には『般若心経』があるように、上座部仏教には『慈経』という最も基本となる経典があります。
この『慈経』の普及なども、これからわたしの取り組みたい仕事です。


新しいプロジェクトについても話しました


最後は、ブログ「鎮魂の森と人間尊重」で紹介した「鎮魂の森」構想について話しました。
わが社が所有する福岡県田川市にある広大な森を「鎮守の森」ならぬ「鎮魂の森」にしたいという事業構想です。樹木葬の森をつくって、「愛する人を亡くした人の森」とするのです。「鎮守の森」から「鎮魂の森」へ・・・・・これは環境保護無縁社会グリーフケアなど、現代日本が直面しているさまざまな問題を同時に解決しうる画期的な構想だと確信します。


懇親会での会長挨拶

東常務による乾杯の音頭



社長訓示の後は、松柏園ホテルの大広間にて総勢30名で懇親会を開催し、親睦を深めました。最初に佐久間進会長が挨拶し、「みなさん、毎日御苦労さまです。高齢社会を迎えて、この仕事には豊かな未来があります。ともに頑張りましょう」と言いました。
続いて、わたしも挨拶し、「売上は元気で、利益は自信です。そして、冠婚葬祭は人間尊重そのものです。今夜は、大いに懇親を図って下さい」と言いました。
それから、北陸の東常務による乾杯の音頭で懇親会がスタートしました。


懇親会のようす



松柏園自慢の料理と酒で宴は大いに盛り上がりました。
わたしのテーブルでは、なぜかプロレスの話題になりました。
それというのも宗像紫雲閣の津田支配人が「社長の新年のプロレスのパフォーマンスは最高だったッスね」と言ったからです。どうも、彼は柔道とプロレスの区別がつかないらしいのです。仕方ないのでそのままプロレスの話をしていると、津田支配人が「プロレスで一番強いのは誰ッスか?」と訊くので、わたしは「アントニオ猪木のファンだったけど、最強は坂口征二だと思っていたよ」と答えました。すると、北九州紫雲閣の青木支配人が「ジャイアント馬場が最強だと聞いたことがあります」などと真面目な顔で言うので、わたしは「ふふふ」と笑いながら「馬場なら、大木金太郎上田馬之助のほうが強いだろうよ」と教えてやりました。
それから、しばらくプロレス談義が続きました。(苦笑)



しばらくして、津田支配人が「前に武藤敬司を見かけたッスよ」と言うので、驚きました。「どこで会ったんだ?!」と聞くと、ブログ「フューネラル講演」に書いた横浜での講演の打ち上げで中華街ですれ違ったというのです。「なんで、そのときに教えなかったんだ?」と言うと、「そのとき、社長はいなかったんスよ」とのこと。残念!
ところが、もっと凄い話が飛び出しました。中津紫雲閣の木原支配人が学生時代に別府の温泉に行ったとき、なんとジャンボ鶴田ラッシャー木村ジョン・テンタの3人と大浴場で一緒になったというのです。木原支配人を含めて4人で湯船に浸かったというから、これはもうビックリ仰天です。ちなみに風呂上りにジャンボ鶴田にサインを求めたところ、「両手に荷物を持っているから出来ない」と断られたそうです。わたしが「馬鹿野郎! なんで『荷物をお持ちしますから、サインをお願いします』と言わなかったんだ!」と言ったところ、木原支配人は「そのときは学生だったんで、気が回りませんでした」ですって。(笑)
そんなプロレス話をしながら、しこたま酒を飲み、酔っ払ってしまいました。
なお、津田支配人夫妻に待望のBabyが誕生したそうです。本当に、おめでとう!



懇親会の最後は、沖縄の新木部長によるサンレー・オリジナルの「末広がりの五本締め」で締めました。わが社のオリジナル文化は色々とありますが、この「末広がりの五本締め」もそのひとつです。これをやると、みんなの心が本当にひとつになるような気がします。やはり、「かたち」には「ちから」があるのだと強く実感させてくれます。
懇親会の後は、庭園の夜桜が美しい松柏園のラウンジで二次会も開かれました。


松柏園ホテルの夜桜の下で



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2013年3月27日 佐久間庸和