太陽と月


25日は、サンレーグループの決算報告会が開かれました。
わたしは、昨年を振り返りながら、今年のさらなる飛躍を胸に期しました。
26日が満月なので、今夜は「ムーンサルトレター」第92信を書きました。
すると、今年最初のレターとなる第91信にUPされた2枚の写真が目に止まりました。
そこには、わたしが撮影した初日の出の写真とTony(鎌田東二)さんが撮影した今年最初の満月の写真が掲載されています。わたしは北九州市門司区にある皇産霊神社で、Tonyさんは京都市左京区東山で撮影しました。


わたしが撮影した今年の初日の出

鎌田東二氏が撮影した今年最初の満月



わたしにとって、太陽と月ほど心惹かれるものはありません。
わが社の「サンレー」という社名には、「太陽の光」という意味があります。
太陽は、あらゆる生きとし生けるものに生存のためのエネルギーを与えています。
太陽の重要性は、いくら語っても語り尽くせません。 
この天体の存在なしでは、当然のことながら、地球も存在しえませんでした。
また、太陽が送り届けてくれる光エネルギーがなかったとしたら、地球は暗黒の凍った天体となってしまっており、生命を育む存在とはなりえませんでした。



旧約聖書』の「創世記」には、最初に神が「光あれ」と言いますが、それは太陽光線のことだと私は思います。思いをめぐらせば、いま、私たちが使用している石油や石炭も太古の昔に地球が蓄えた太陽からの光エネルギーですし、最近では太陽エネルギーそのものが発電にも利用されています。太陽活動の指標である太陽黒点数の変動には約11年周期の循環性がありますが、これが地球上の気象環境やエコロジー、さらには経済・景気変動にまで影響しているとされています。



太陽は、古代に生きた人々の生活と信仰を支える大切な天球でした。生活においては、彼らの暮らしが狩猟や農耕に依存していたので、太陽がいかに大きな力を及ぼしているかについてはよく理解していたでしょう。そこから太陽に対する崇拝や信仰が生まれ、神そのものを感じました。太陽は月とともに、人類最古の信仰の対象だったのです。さまざまな人工照明により夜間を明るくする工夫がなされている現代では、真の闇がどんなものかを想像することは困難です。真っ暗闇の状態では、すぐ近く、手を伸ばせば届くようなところまで危険が迫っていてもわかりません。古代人は、このような恐怖に満ちた状況の中で生活を送っていました。そのためか、朝日が昇ってくるのを見たときは安堵の気持ちを抱いたことでしょう。
あらためて太陽の恵みに深い感謝の心を抱いたに違いありません。



太陽が西の空の向こうに沈んだあと、二度と再び回帰してくることがなかったとしたら、人々は夜の恐怖にさらされるだけでなく、太陽のもたらす恵みも受けられなくなります。古代人たちが、沈みゆく太陽が再び東の空に昇ってくるようにと祈願するようになったのは当然の帰結でした。このようなことから、太陽がもたらす恵みに感謝する祭祀や、冬至夏至に当たる日に特別の祭りを行なうようになったのでしょう。
太陽の光に対する感謝の念も、当然強くなりました。
太陽に関する神話も地球上のあらゆる場所で誕生しました。わが国にも、よく知られた神話として天照大神が隠れたという「天の岩戸」の物語があります。民俗学者折口信夫も推測したように、おそらく毎年訪れる冬至における祭りから生まれたのだと思われます。



また周知のように、わたしは月にもこよなく心惹かれています。わが社では、「月の広場」とか「月あかりの会」とか「ムーンギャラリー」といった名称を使っています。さらには、「月への送魂」や「月面聖塔」や「ムーン・ハートピア・プロジェクト」などもあります。
古代人たちは「魂のエコロジー」とともに生き、死後への幸福なロマンを持っていました。その象徴が月です。彼らは、月を死後の魂のおもむくところと考えました。
月は、魂の再生の中継点と考えられてきたのです。多くの民族の神話と儀礼のなかで、月は死、もしくは魂の再生と関わっています。規則的に満ち欠けを繰り返す月が、死と再生のシンボルとされたことはきわめて自然だと言えます。
地球上から見るかぎり、月はつねに死に、そしてよみがえる変幻してやまぬ星なのです。



また、潮の満ち引きによって、月は人間の生死をコントロールしているという事実があります。
さらには、月面に降りた宇宙飛行士の多くは、月面で神の実在を感じたと報告しています。
月こそは天国や極楽、つまりそこは魂の理想郷「ムーン・ハートピア」なのです。
さて、葬式仏教といわれるほど、日本人の葬儀や墓、そして死と仏教との関わりは深く、今や切っても切り離せませんが、月と仏教との関係も非常に深いです。お釈迦さまことブッダは満月の夜に生まれ、満月の夜に悟りを開き、満月の夜に亡くなったそうです。



ミャンマー仏教など南方仏教の伝承によると、ブッダの降誕、成道、入滅の3つの重要な出来事はすべて、インドの暦でヴァィシャーカの月の満月の夜に起こったといいます。太陽暦では4月か五月に相当しますが、このヴァィシャーカの月の満月の日に、東南アジアの仏教国では今でも祭りを盛んに行なっています。これは古くからあった僧俗共同の祭典の名残だそうです。また毎月2回、満月と新月の日に、出家修行者である比丘たちが集まって、反省の儀式も行なわれています。



ブッダは、月の光に影響を受けやすかったのでしょう。
言い換えれば、月光の放つ気にとても敏感だったのです。
わたしは、やわらかな月の光を見ていると、それがまるでヴィジュアライズされた「慈悲」ではないかと思うことがありますが、ブッダという「めざめた者」には月の重要性がよくわかっていたはずです。「悟り」や「解脱」や「死」とは、重力からの開放に他ならず、それは宇宙飛行士たちが「コズミック・センス」や「スピリチュアルワンネス」を感じた宇宙体験にも通じます。



満月の夜に祭りを開き、反省の儀式を行なう仏教とは、月の力を利用して意識をコントロールする「月の宗教」だと言えるでしょう。太陽の申し子とされた日蓮でさえ、月が最高の法の正体であり、悟りの本当の心であり、無明(煩悩・穢土)を浄化するものであることを説きました。「本覚のうつつの心の月輪の光は無明の暗を照らし」「心性本覚の月輪」「月の如くなる妙法の心性の月輪」と述べ、『法華経』について「月こそ心よ、華こそ心よ、と申す法門なり」と記しています。かの日蓮も、月の正体をしっかり見つめていたのです。



というわけで、わたしは太陽とは神であり、月とは仏ではないかと思います。
わたしは、かつて、以下のような歌を詠んだことがあります。
「ただ直き心のみにて見上げれば 神は太陽 月は仏よ」(庸軒)
その神と仏が一致する神霊界の一大事件のような現象があります。
太陽と月が一致する「皆既日食」のことです。



この世界における最大の謎とは何でしょうか?
わたしは、地球から眺めた月と太陽が同じ大きさに見えることだと思っています。
人類は長いあいだ、このふたつの天体は同じ大きさだとずっと信じ続けてきました。しかし、月が太陽と同じ大きさに見えるのは、月がちょうどそのような位置にあるからです。月の直径は、3467キロメートル。太陽の直径は、138万3260キロメートル。つまり、月は太陽の400分の1の大きさです。次に距離を見てみると、地球から月までの距離は、38万4000キロメートル。地球から太陽までの距離は、1億5000万キロメートル。この距離も不思議なことに、400分の1なのです。こうした位置関係にあるので、太陽と月は同じ大きさに見えるわけです。それにしても、なんという偶然の一致!



皆既日食とは、太陽と月がぴったりと重なるために起こることは言うまでもありません。この「あまりにもよくできすぎている偶然の一致」を説明する天文学的理由はどこにもありません。
まさに、太陽と月は「サムシング・グレート」そのものなのですね。
これからも、わが社は神仏に仕える企業として、つねに太陽と月を視野に入れながら、「人間尊重」のミッションに努めていきたいと思います。そう、太陽と月は万人に対して平等に光を降り注がせます。そのような企業を目指したいと思っています。


太陽と月は「サムシング・グレート」そのもの



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2013年2月26日 佐久間庸和