ハートフルとは何か


早いもので、ブログを開始してから10日が過ぎました。
昨日のブログ「あなたの声を、一歩を」には大きな反響がありました。
そう、北九州市ハートフル・シティなのです!
「ハートフル」といえば、このブログの姉妹ブログのタイトルは「一条真也の新ハートフル・ブログ」です。ブログだけでなく、わたしの著書や連載のタイトルにも「ハートフル」がよく使われます。詳しくは、ブログ「みなさん、お久しぶりです!」をお読み下さい。



毎日新聞」2012年10月5日朝刊



昨年10月5日から、「毎日新聞」で「北九州発 ハートフル通信」というコラムを連載しています。ふつうは新聞の連載などは「一条真也」として書くことが多いのですが、このコラムは珍しく本名の「佐久間庸和」として書かせていただいています。
その第1回目のテーマが、まさに「ハートフルとは何か」でした。



このコラムは「北九州発」となっていますね。
現在、わたしは北九州市に住んでいるからです。
わたしは北九州市の小倉で生まれ、小倉で育ちました。地元の小倉高校を卒業した後は東京の大学に進学、卒業後も数年間は東京で仕事をしました。その後、故郷である北九州市に戻り、それから18年の時間が経過しました。



昨年の2月、わたしは第2回「孔子文化賞」を授与されました。尊敬する稲盛和夫氏(財団法人稲盛財団理事長)との同時受賞であり、誠に光栄なことだと思っています。
わたしの受賞理由としては、まず、「一条真也」のペンネームでの執筆活動や、主宰する平成心学塾を通じて、孔子および儒教の思想や倫理思想の普及に貢献したこと。加えて、大学の客員教授として日本の学生や中国からの留学生に孔子研究の授業を行ってきたこと。さらには、社長を務めるサンレーの社業を通じて「礼の実践」に努めたことなどだそうです。
それらの理由の中で最も嬉しかったのは、社業を通じての「礼の実践」が認められたこと。「礼」とは、わが社の事業である冠婚葬祭の根本となるものです。
それは、「人間尊重」の心そのものでもあります。



「礼」は、孔子が開いた儒教の神髄といえる思想です。
それは、後世、儒教が「礼教」と称されたことからもわかるでしょう。
そもそも「礼(禮)」という字は、「示」と「豊」とから成っています。
漢字の語源にはさまざまな説があります、「示」は「神」という意味で、「豊」は「酒を入れた器」という意味があるといいます。つまり、酒器を神に供える宗教的な儀式を意味します。古代には、神のような神秘力のあるものに対する禁忌の観念があったので、きちんと定まった手続きや儀礼が必要とされました。これが、「礼」の起源だと言われています。
ところが、もう1つ、「礼」には意味があります。「示」は「心」であり、「豊」はそのままで「ゆたか」というものです。ということは、「礼」とは「心ゆたか」の意味になります。
つまるところ、「ハートフル」ということになるのです。



わたしは1988年に最初の著作である『ハートフルに遊ぶ』(東急エージェンシー)を書きました。そのとき、「ハートフル」は一種の流行語になったのですが、その後、北九州市のスローガンになっています。その「ハートフル」が「礼」の同義語でもあると知ったとき、わたしは大いに驚きました。そして、目に見えない大きな存在に導かれているような気がしました。
ハートフル・カンパニー』(三五館)にも書きましたが、「心ゆたかな社会は、心ゆたかな会社から!」だと思います。「ハートフル・ソサエティ」創造のために、北九州市に本社を置くサンレーという会社を「ハートフル・カンパニー」にしたいです。
最後に、このコラムは毎月1回の連載ですが、わたしは市制50周年を迎えた北九州市から、すべての日本人が心ゆたかになるためのメッセージを送り続けたいと思っています。


心ゆたかな社会は、心ゆたかな会社から!



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2013年2月25日 佐久間庸和