北九州市50周年


東京に来ています。
20日は新橋で全互協の理事会および40周年記念事業の会議に出席しました。
年中、東京をはじめ全国を出張で飛び回っているわたしですが、自宅は北九州市にあります。わたしは北九州市の小倉で生まれ、育ちました。


新聞各紙に50周年の特集記事が出ました

わが社も各紙に広告を出しました



20日の会議では、ずっと(株)サニーライフの大西孝英社長と一緒でした。
大西社長とはブログ「事業継承セミナー」の21日夜の情報交歓会でも隣の席でした。
サニーライフさんの本社は北九州市、つまりわが社のライバルなのですが、大西社長とはとても親しくさせていただいています。東京などで地元・北九州の同業者に会うと、やはりホッとするものです。なにしろ、地縁と業縁がダブルであるわけですから。
年齢はわたしが1つ下で、大西社長は現在ちょうど50歳だそうです。



今月10日、わたしたちの北九州市が市制50周年を迎えました。
新聞各紙には特集が組まれ、わが社も広告を出稿させていただきました。
1963年2月10日、門司、小倉、若松、八幡、戸畑の旧5市が対等合併して発足しました。ちょうど、その3ヵ月後の5月10日にわたしが誕生したのです。5人の市長が集まった合併調印式は、わが社の松柏園ホテルにおいて行われたと聞いています。



5市合併は史上初でしたが、同年4月には九州初の政令指定都市になりました。50周年のこの日、北九州市東日本大震災で被災し、同じ「製鉄の街」として知られる岩手県釜石市と、文化、産業交流などを促進する「連携協力協定」を締結しました。市役所周辺では「誕生祭」が盛大に開かれ、航空自衛隊の「ブルーインパルス」による記念飛行などもありました。ブルーインパルスの飛行音は、小倉北区の赤坂にあるわたしの自宅からもよく聞こえました。「誕生祭」には約7万5000人の人々が集まり、北九州市50周年を祝ったそうです。


バーウォーク北九州の前で北橋市長と



50周年の記念式典では、北橋健治市長が「私たちが自信と誇り、この街を愛する心を持って進むならば、未来は必ず開ける」と力強く述べられました。
北橋市長といえば、ちょうど1年前のことを思い出します。ブログ「ハートフル・シティ講演」に書いたように、わたしはリバーウォーク北九州内にある「北九州芸術劇場」で講演しました。「北九州はもうすぐ半世紀〜私のまちの『これまで』と『これから』〜」というイベントの基調講演で、わたしの演題は「ハートフル・シティを目指して〜日本一の“思いやり都市”をつくる〜」でした。これからの北九州市がめざすべきビジョンについて心を込めてお話しました。
講演終了後、リバーウォーク北九州の外に出たら、ちょうどそこに到着した北橋健治市長とお会いしました。北橋市長には、ぜひ、ハートフル・シティを実現していただきたいです。


わたしも、もうすぐ50歳になります・・・



わたしは、北九州市がその「強み」を生かせば、ある意味で世界一の都市になれると本気で思っています。その未来像は「有縁都市」であり、「老人安住都市」であり、「隣人都市」です。「思いやり都市」であり、「助け合い都市」です。そういったことを考えながら、昨年末から「毎日新聞」で「北九州発 ハートフル通信」というコラムを連載しています。このブログでも、これから内容を紹介していきたいと思います。それはともかく、北九州市が50周年を迎えたということは、もうすぐ、わたしも50歳になるということか。うむむ・・・・・。



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」も御覧下さい。



2013年2月21日 佐久間庸和