死を乗り越える映画


台風16号が九州に接近しているため、激しい雨が降っています。
20日、「サンデー毎日」2016年10月2日号が発売されました。
わたしは、同誌にコラム「一条真也の人生の四季」を連載しています。
じつは今月末で連載開始からちょうど1年となり、終了の予定でした。
しかし、非常に好評とのことで連載継続が決定しました。ありがたいことです。
これからも、日本人が幸せになる「こころ」と「かたち」について書いていきます。
第48回目のタイトルは「死を乗り越える映画」です。


サンデー毎日」10月2日号



シン・ゴジラ」や「君の名は。」が大ヒットを記録し、多くの人々が映画館に足を運んでいます。そんな中、最新刊『死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)を上梓しました。この本では、死の「おそれ」や死別の「かなしみ」が薄らいでいくような映画を50本選んで紹介しました。



わたしは、映画を含む動画撮影技術が生まれた根源には人間の「不死への憧れ」があると思います。映画と写真という2つのメディアを比較してみましょう。写真は、その瞬間を「封印」するという意味において、一般に「時間を殺す芸術」と呼ばれます。
一方で、動画は「時間を生け捕りにする芸術」であると言えるでしょう。かけがえのない時間をそのまま「保存」するからです。そのことは、わが子の運動会を必死でデジタルビデオカメラで撮影する親たちの姿を見てもよくわかります。



「時間を保存する」ということは「時間を超越する」ことにつながり、「死すべき運命から自由になる」ことに通じるのです。写真が「死」のメディアなら、映画は「不死」のメディアではないだろうか。だからこそ、映画の誕生以来、無数のタイムトラベル映画が作られてきたのでしょう。



古代の宗教儀式は洞窟の中で生まれたという説がありますが、映画館という洞窟の内部において、わたしたちは臨死体験をするように思えます。なぜなら、映画館の中で闇を見るのではなく、わたしたち自身が闇の中からスクリーンに映し出される光を見るからです。闇とは「死」の世界であり、光とは「生」の世界。つまり、闇から光を見るというのは、死者が生者の世界を覗き見るという行為なのです。



つまり、映画館に入るたび、観客は死の世界に足を踏み入れ、臨死体験するわけです。わたし自身、映画館で映画を観るたびに、死ぬのが怖くなくなる感覚を得るのですが、それもそのはず。わたしは、映画館を訪れるたびに死者となっているのでした。異色の映画ガイド、ぜひ一読を!


サンデー毎日」10月2日号の表紙



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2016年9月20日 佐久間庸和