たった一字に深い意味を秘めている文字は、世界でも漢字だけです。
そこには、人のこころを豊かにする言霊が宿っています。
その意味を知れば、さらに、こころは豊かになるでしょう。
今回ご紹介するハートフル・キーワードは、「裕」です。



織田信長豊臣秀吉徳川家康は、しばしば比較の対象にされる戦国の三大英雄ですが、このなかで一番驚異的な人物は秀吉です。なぜなら、信長や家康は大将になるべき家に生まれてきましたが、秀吉は身分制度の厳しい時代に農民出身の一介の足軽から身を興して、才覚と努力だけで成り上がったからです。 



主君である信長のために必死に駆け回り、最後には織田政権の後継者、そして天下人になりました。しかし、秀吉が遊ぶことも、休むことも忘れて、仕事一筋に生きたわけではありません。 酒好きで話し上手でしたので、彼の家来たちは主君と楽しく過ごしながら仕事にいそしみました。秀吉は「人たらし」と呼ばれるほど、人を使うのがうまかったのです。



しかも大事な勝負どころを押さえ、そこで常人が思いつかないような軍略によって勝利を得ました。本能寺の変の直後の中国大返し明智光秀を倒した話、美濃の斎藤攻めにおける墨俣の一夜城の話や、賤ヶ岳の戦いで思いもよらぬ奇襲によって柴田勝家らを破った話などがよく知られています。



天正18年(1590年)に北条家の小田原城を攻撃したとき大がかりな包囲戦となって、陣が長引きました。このとき、秀吉の側近が、ある大名は芸事にうつつを抜かし、ある大名は土を耕して青菜を植えさせていると報告し、見せしめに厳しく罰することを主君に進言しました。しかし、秀吉は、「あの連中は、ゆとりをもって戦場に臨んでいるのだ」と笑い飛ばしました。そして、家来たちに「日頃から武芸を磨くのはよいが、合戦一途に生きるべきではない」と語りかけ、「戦場でゆとりのある武士を誉め讃えよ」と続けたのです。



これを聞いて、秀吉の家臣たちは主君が戦場で殺気だっていたことは一度もなく、陣中では笑い声が絶えなかったことを思い出しました。命をかけた戦場で、秀吉はいつも最前線に近い位置に座り、側の者に酒入りの大きなひょうたんを持たせていました。そして、手柄を立てて戻ってきた者がいると、秀吉自らがそのひょうたんを持って酒をふるまったのです。



上杉謙信も、ゆとりのある武士でした。川中島の戦いは、8000の兵力の上杉勢と2万人の武田勢とのにらみ合いになりました。明らかに不利でも、謙信はうろたえてあれこれと策を出してくる部下の言葉に耳を貸さず、鼓を打ったり謡曲を唄ったりしていたといいます。そのため、信玄がしびれを切らして先に動きました。そして、謙信は武田方の作戦の裏をかき、信玄の本陣を急襲して多くの敵を倒しました。心にゆとりを持つ者が勝利を得るのです。
なお、「裕」については、『龍馬とカエサル』(三五館)に詳しく書きました。


龍馬とカエサル―ハートフル・リーダーシップの研究

龍馬とカエサル―ハートフル・リーダーシップの研究

*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2015年8月25日 佐久間庸和