終戦70周年の年に

18日の早朝から松柏園ホテルの神殿で月次祭を行いました。
戸上神社の是則神職が神事を執り行って下さいました。
祭主である佐久間進会長に続いて、わたしは参列者を代表して玉串奉奠しました。


月次祭のようす

玉串奉奠しました



神事の後は、恒例の「平成心学塾」を開催しました。
最初に、佐久間進会長による訓話が行われました。会長は「般若心経」の話に始まり、講道館創始者である嘉納治五郎、『武士道』を著した新渡戸稲造などの功績を語り、最後は「何事も陽にとらえる」「感謝する」ことの大切さを説きました。


平成心学塾」のようす

訓話を行う佐久間会長



次は「平成心学塾」に移って、わたしが講話をしました。
冒頭で、わたしは今年が終戦70周年であることに触れ、天皇皇后両陛下のパラオ慰霊の旅や、ブログ「97歳 私の戦争体験」に書いた三木恭一さんの話をしました。
それから、わたしが監査役を務める互助会保証株式会社のメルマガに寄稿した内容を中心に話をしました。同社のメルマガに寄稿するのは2回目ですが、前回は「ドラッカーの法則」について書きました。経営学者にして社会生態学者であったピーター・ドラッカーは、重大な事件や発明の半世紀後、社会が一変すると唱えました。
15世紀、グーテンベルク活版印刷術を発明した半世紀後、ルターによる宗教改革が起こりました。18世紀、ワットが蒸気機関車を発明した半世紀後、産業革命が起こりました。20世紀では、1946年に世界最初のコンピューターであるエニアックが発明されました。それから50年後の96年にはインターネットが世界的に普及しました。


わたしも講話を行いました



まるで50年が魔法の時間に思えてきますが、今年は戦後70年ということで、いろいろと考えてしまいます。今年の3月20日、地下鉄サリン事件から20周年を迎えました。ということは、オウム真理教事件はちょうど戦後50周年に起こったことになります。
わたしは「日本民俗学の父」と呼ばれる柳田國男の名著『先祖の話』の内容を思い出しました。『先祖の話』は、敗戦の色濃い昭和20年春に書かれています。柳田は、連日の空襲警報を聞きながら、戦死した多くの若者の魂の行方を想って、『先祖の話』を書いたといいます。同書は柳田民俗学における祖先観の到達点であるとされますが、柳田がもっとも危惧し恐れたのは、敗戦後の日本社会の変遷でした。具体的に言えば、明治維新以後の急速な近代化に加えて、日本史上初めてとなる敗戦によって、日本人の「こころ」が分断されてズタズタになることだったのです。



柳田の危惧は、それから半世紀以上を経て、不幸にも現実のものとなりました。日本人の自殺、孤独死、無縁死が激増し、通夜も告別式もせずに火葬場に直行するという「直葬」も増えています。家族の絆はドロドロに溶け出し、「血縁」も「地縁」もなくなりつつあります。
『葬式は、要らない』などという本がベストセラーになり、日本社会は「無縁社会」と呼ばれるまでになってしまいました。この「無縁社会」の到来こそ、柳田がもっとも恐れていたものだったのではなかったでしょうか。彼は「日本人が先祖供養を忘れてしまえば、いま散っている若い命を誰が供養するのか」という悲痛な想いを抱いていたのです。
まさに柳田國男が『先祖の話』を書き、日本が敗戦した50年後にオウム真理教事件が起こりました。思想家の小浜逸郎氏に『オウムと全共闘』という著書がありますが、オウム事件とは一種の革命であったと思います。


ホワイトボードを使いながら話しました



麻原が説法において好んで繰り返した言葉は、「人は死ぬ、必ず死ぬ、絶対死ぬ、死は避けられない」という文句でした。オウムは、死の事実を露骨に突きつけることによって多くの信者を獲得しましたが、結局は「人の死をどのようにして弔うか」という宗教の核心を衝くことはできませんでした。言うまでもないことですが、人が死ぬのは当たり前です。「必ず死ぬ」とか「絶対死ぬ」とか「死は避けられない」など、ことさら言う必要などありません。
最も重要な問題は、人が死ぬことではなく、死者をどのように弔うかということなのです。
ここを間違えてはなりません。大事なのは「死」でなく、「葬」なのです!


大事なのは「死」ではなく「葬」です!



さて、麻原彰晃は「ナチス」に異様な関心を抱いており、自身をヒトラーに重ね合わせていたことは有名です。ナチスやオウムは、かつて葬送儀礼を行わずに遺体を焼却しました。ナチスガス室で殺したユダヤ人を、オウムは逃亡を図った元信者を焼いたのです。
最近、「イスラム国」という過激派集団が人質にしていたヨルダン人パイロットのモアズ・カサスベ中尉を焼き殺しました。これを知ったわたしは、湯川遥菜さんや後藤健二さんの斬首刑以上の衝撃を受けました。


ナチス・オウム・イスラム国について語りました



イスラム教では火での処刑は禁じられており、火葬さえ認められていません。遺体の葬り方は、土葬が原則です。イスラム教において、死とは「一時的なもの」であり、死者は最後の審判後に肉体を持って復活すると信じているからです。また、イスラム教における「地獄」は火炎地獄のイメージであり、火葬をすれば死者に地獄の苦しみを与えることになると考えます。よって、イスラム教徒の遺体を火葬にすることは最大の侮辱となるのです。2015年1月20日付で、「イスラム国」は火での処刑を正当化する声明を発表しましたが、自分たちの残虐行為を棚に上げてイスラム教を利用するご都合主義が明らかとなりました。
わたしは、葬儀を抜きにして遺体を焼く行為を絶対に認めません。
しかし、「イスラム国」はなんと生きた人間をそのまま焼き殺したのです。
このことを知った瞬間、わたしの中で、「イスラム国」の評価が定まりました。



現在の日本では、通夜も告別式もせずに火葬場に直行するという「直葬」が増えつつあります。あるいは遺骨を火葬場に捨ててくる「0葬」といったものまで注目されています。しかしながら、「直葬」や「0葬」がいかに危険な思想を孕んでいるかを知らなければなりません。葬儀を行わずに遺体を焼却するという行為は「礼」すなわち「人間尊重」に最も反するものであり、ナチス・オウム・イスラム国の巨大な心の闇に通じているのです。


昨今の風潮を憂いました



20年前の一連のオウム真理教事件の後、日本人は一気に「宗教」を恐れるようになり、「葬儀」への関心も弱くなっていきました。団塊の世代の特色の1つとして「宗教嫌い」が指摘されていましたが、それがオウム事件によって一気に日本人全体に波及した観があります。
それにしても、この日本で「直葬」が流行するとは!
さらには、あろうことか「0葬」などというものが発想されようとは! 
なぜ日本人は、ここまで「死者を軽んじる」民族に落ちぶれてしまったのでしょうか?


終戦70周年の今年こそ、何とかしなければ!



20年前にオウム真理教を擁護したとしてバッシングを浴びた某宗教学者は、その後、葬式無用論の本でベストセラーを生み出し、今また「0葬」の普及を目論んでいます。あえて繰り返しますが、今年は終戦70周年の年です。日本人だけでじつに310万人もの方々が亡くなられた、あの悪夢のような戦争が終わって70年目の節目なのです。
今年こそは、日本人が「死者を忘れてはいけない」「死者を軽んじてはいけない」ということを思い知る年であると思います。日本の儀式文化を守る冠婚葬祭互助会業界は、柳田國男のメッセージを真摯に受け止めなければなりません。そして、広く「血縁」や「地縁」の重要性を訴え、心のこもった儀式の提供によって有縁社会を再生する必要があります。


これが『唯葬論』の章立てだ!!



いま、わたしは全身全霊を傾けて「0葬」に対する反論の書を書いています。
『葬式は、要らない』に対抗して『葬式は必要!』を上梓してから5年目の今年、8月15日の70回目の「終戦の日」までには出版する予定です。ぜひ、冠婚葬祭業界および宗教界のみなさまにお読みいただきたいと願っています。今日は、そんな話をしました。
平成心学塾」の終了後、わたしは社用車に乗って山口県岩国市へ向かいました。樹木葬を目的とした「桜山」を視察するためです。今日も、「天下布礼」への挑戦が続きます。



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2015年4月18日 佐久間庸和