たった一字に深い意味を秘めている文字は、世界でも漢字だけです。
そこには、人のこころを豊かにする言霊が宿っています。
その意味を知れば、さらに、こころは豊かになるでしょう。
今回ご紹介するハートフル・キーワードは、「育」です。



ビジネス界において、管理職の人材育成の手法はスポーツのコーチと同じ考え方で行なわれてきました。プレーヤーとして有能だった人が管理職となれば、同じやり方を受け継がせるために、的確な指示・命令ができ、部下も同様に成功できるという考え方です。



ところが、指導者が厳しく自分のやり方を押しつけてトレーニングしてきた組織では、いざ試合となった場合、“選手たち”はコーチの的確な指示がないと判断に迷い、立ち往生してしまうという事態を招きます。好景気の時代、動きのゆるやかな時代は、それでも何とか乗り切ってこられました。しかし、現在の厳しいビジネスシーンでは、“試合中”に自分で考えて動けない選手は、大切なビジネスチャンスを逃してしまいます。



いま、何が起こるかわからない変化の時代です。情報一つをとってみても、これまで業界の人間しか知りえなかった情報を顧客はネットで容易に入手し、比較検討するようになりました。商品のみならず、医療や法務などの専門知識に関しても、一般人は無知ではなくなりました。多くの情報のなかから主体的に商品を選びたいと思っているのです。



そんな中で、“チームのコーチ”である管理職が持っている「答」が正解である保証はどこにもありません。以前の正攻法が今はもう、ありふれた手法や陳腐なやり方である場合が多いのです。このような社会背景における組織は、自分で考え、行動できる人材を育成する必要に迫られています。その結果生まれた手法がコーチングです。



コーチング」という概念は、1990年代のアメリカでブームとなりましたが、日本でも近年、非常に注目されています。「コーチング」を漢字三文字で表現すると、「信」「認」「任」となります。「信」とは、人間の無限の可能性を信じること。「認」とは、一人ひとりの多様な持ち味と成長を認めること。そして「任」とは、適材適所の業務・目標を任せることです。



またコーチングは、会話によって相手の優れた能力を引き出しながら、前進をサポートし、自発的に行動することを促すコミュニケーション技術です。
「質問」を何度も重ね、相手のなかの「答」を引き出す。
コーチングによって、自ら考え、自ら動く部下が生まれると同時に、上司の人格をも磨くことができます。そして、そこで重要になってくるのが、「叱る」ことと「褒める」ことです。



まずは、叱ること。人を叱るときは、最初に自分に叱る資格があるかどうかを考えてからにします。また、その叱り方も常に建設的な立場に立って、将来の約束というかたちにします。つまり、どこまでもお互いに協力して、間違いを防ぐ姿勢に徹するのです。ポイントを簡潔に指摘して、さらりと叱ることです。そうすれば、叱られた人が、慰められると同時に激励されたと感じ、将来に向かって身の引き締まる思いをするはずです。



叱り方の達人として知られる日本電産永守重信氏は、叱る場合のルールが3つあると言う。1番目は、最低でも叱った三倍はアフターケアすること。永守氏は、そのために叱った部下にはたいてい逆に褒めちぎりの手紙を書くといいます。2番目は、叱ったことはすぐに忘れること。氏は「いくら叱ってもトイレに行けば忘れる」と社内で公言し、いつまでもグチグチ言うことはないそうです。3番目が、「辞めてしまえ」「辞めます」という言葉だけは禁句だということ。氏自身は「辞めてしまえ」とは絶対に口にしないと肝に銘じていますが、社員は違います。ですから、「辞めます」と言わない環境、準備を万全に整えてから叱るそうです。永守氏は、これらのルールを無視した叱り方は百害あって一利なしだと言います。至言であると思います。



今度は褒めることですが、ここでも永守氏は達人ぶりを発揮しています。というより、叱ることと褒めることは表裏一体なのです。氏は、口で叱って文章で褒めるといいます。つまり、褒めちぎりの手紙を書くのです。叱ったことは後に残さず、褒めたことはいつまでも残るようにしておきます。なぜなら、この手紙を本人が10回読めば10回、20回読み返してくれれば20回褒めたことになるからである。



また、しょっちゅう顔を合わせている社員であっても、手紙を直接渡さずに、切手を貼ってポストに投函して自宅に送ることもあるといいます。これをやるのは主として妻帯者や家族と同居している社員です。当然、最初に手紙を受け取るのは社員の妻や両親で、「社長から手紙をもらった」ということで家族の関心が集中します。開いてみると褒めちぎりの内容ですから、家族にも胸を張って公開できるわけです。



他にも、叱った社員と仲のよい同僚に、「今日、彼を叱ったんだが、仕事も熱心だし見どころもある」と耳打ちして、社長が頼りにしていることを遠回しに本人に伝えるという方法もあります。本人にストレートに褒め言葉をかけるよりも、妻や親、同僚などを通じて間接的に褒める方が数倍の効果があるのです。



わたしは、父であるわが社の会長から褒められた記憶はあまりありませんが、とにかくよく叱られました。会社でも毎日のように「この馬鹿もんが!」とか「お前ほどつまらぬ奴はおらん」とかボロクソに言われました。いくら実の親でも毎日言われると腹が立ち、反発もしましたが、当時、他の者には「愛とは、叱ることだ」と口にしていたといいます。
わたしの最大のコーチは会長だったことに気づき、今では心から感謝しています。
なお、「育」については、『孔子とドラッカー 新装版』(三五館)に詳しく書きました。


孔子とドラッカー 新装版―ハートフル・マネジメント

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*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2015年4月16日 佐久間庸和