たった一字に深い意味を秘めている文字は、世界でも漢字だけです。
そこには、人のこころを豊かにする言霊が宿っています。
その意味を知れば、さらに、こころは豊かになるでしょう。
今回ご紹介するハートフル・キーワードは、「友」です。



ローマの雄弁家キケロは「そもそも人生から友情を取り去ってしまうなどとは、太陽をこの世界から取り去るというものだ」と語り、フランスの作家ロマン・ロランは「私は世界に2つの宝を持っていた。私の友と私の魂と」と言いました。
友人とは人生というマラソンを走る頼もしき伴走者であり、友情なき人生など何と空しいものでしょうか。しかし、世の中には友情というものをはき違えている者が非常に多いようです。つまり、頻繁に会って、酒を飲んだりゴルフをしたり、合コンの常連になったり、果ては風俗で女遊びを一緒にしたりすることが真の友情だと勘違いしている者がいるのです。



「君子の交わりは淡きこと水の如く、小人の交わりは甘きこと醴(あまざけ)の如し」とは荘子の言葉です。立派な教養のある人の付き合いは、淡々として水のようですが、いよいよ親しみを増していきます。だが、普通の人は甘い交わりをしていても、すぐ絶交してしまいます。たいした理由もなく付き合っている者同士は、ちょっとした理由でたちまち離れていく。小人は利害の状況によって交わったり、離れたりするというのです。
たしかに、友情が育つかどうかは、交わりの濃さではありません。毎日のように会っていても、心から信頼しあえる友になるとは限りませんし、数年離れていても、信頼関係が保たれ、親友として互いを認めあっている者同士もいます。



だいたい、友人同士でいつも群れたり、つるんでいる男に一流の男はいません。本物の男とは群れないものです。その心中に大なる志ある者は、それゆえに孤独をも心中に抱えています。その志が大きければ大きいほど、いかにして果たすべきかを考えると途方に暮れることしばしばであり、とても他人と群れて遊んでいる暇などありません。しかし、そういう男は強烈な魅力を発散するといいます。作家の故山口洋子氏は「群れる男は、絶対に女にはモテない」と名言を残していますが、女にモテるというのは人間的魅力があると言い換えてもよいでしょう。



友人の多さを誇る馬鹿が時々いますが、そんなものは何の自慢にもなりません。
アリストテレスは「多数の友を持つ者は、一人の友をも持たない」と言いました。特に若い頃の群れというものは暴走することがありがちで、その名の通りの暴走族だってダチが多いし、あのスーパーフリーなる前代未聞の鬼畜集団だって友人がたくさんいました。大学の体育会といえば男らしさの代名詞のように言われますが、飲み会で盛り上がって一気飲みをした結果、急性アルコール中毒で死者が出たり、集団強姦に及ぶといった事件が時折、新聞や週刊誌の紙誌面をにぎわせます。結局、群れる人間というのは自立していないのです。そのため自信がなく、群れることによって不安を紛らわせるのです。でも、人生に友は必要です。それでは、どのような友が必要なのでしょうか。




ブッダは、善き友を持つように弟子たちに願ったといいます。ブッダの言う善友はまた親友であり勝友(すぐれた友)です。それはいわゆる酒飲み仲間やゴルフ連れのような交わりではありません。人生に対する正しい生き方を求め、互いに励まし合い、教え合い、忠告し合う間柄「友」したがって、友には年齢や性別や知識や先輩や後輩などの区別はありません。ともに手を取り合って同じ向上の道を歩く仲間、いわゆる僧伽(サンガ)です。サンガは「親友の集まり」であり、そこにおいては師と弟子との間もまた親友の関係ですから、ブッダはよく弟子たちを「友よ!」と呼ぶのです。



そして善友や親友が欲しければ、ブッダは次の「善友の七事」に励むように言ったといいます。すなわち、一、苦しみにあって捨てない。ニ、貧賤であるからととて軽蔑しない。三、お互いに隠し合わない。四、お互いにかばい合う。五、為しにくいことをする。六、お互いに与えにくいものを与える。七、お互いに忍びがたいことを忍び合う。すべて納得のいく普遍の真理でしょう。『論語』には「直きを友とし、諒を友とし、多聞を友とするは、有益なり」という孔子の言葉が出てきます。正直・誠実・見聞の豊かさが良き友の条件だというのです。高杉晋作は「友の信を見るには、死、急、難の三事をもって知れ候。」と書簡に書いています。



わたしには、数年に1回しか会わない親友が2人います。いずれも、わたしと同じ大学の同じ学部の出身である。1人はゼミが一緒で、卒業後はベンチャービジネスを始めました。現在は全国にスタイリッシュな生花店を展開する会社を経営しています(奇しくも昨日、久々に電話を貰いました)。もう1人はサークルが一緒でした。卒業後は世界有数の証券会社に入って出世コースを歩み、現在は同社の役員になっています。



2人とも学生時代は毎日のように会って、酒を飲んだり、議論を戦わせたり、将来の夢や志について熱く語り合ったりしました。でも今はお互いが多忙なこともあって、5〜6年に1回会うかどうかです。でも、別に寂しくはないし、今でも彼らのことを親友だと思っています。
彼らは、それぞれベストを尽くして頑張っています。会わなくても、わたしにはよくわかります。彼らに負けたくないから、わたしも頑張ります。たまに会って、近況報告をし合い、刺激を与え合って、再びそれぞれの道でベストを尽くす。道は違っても、いつかは山の頂で再会することを信じています。彼らがいるから人生というマラソンをリタイアせずに走ることができます。わたしには、かけがえのない友がいます。
なお、「友」については、『孔子とドラッカー 新装版』(三五館)に詳しく書きました。


孔子とドラッカー 新装版―ハートフル・マネジメント

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*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2015年3月19日 佐久間庸和