東日本大震災4周年

今年の3月11日の朝を京都で迎えました。
今日は、東日本大震災が発生してから4周年目の日です。
昨年の3・11は、ベトナムホーチミンで迎えたことを思い出します。わたしは、京都のホテルの一室で『慈経 自由訳』を音読し、犠牲者の御霊に心からの鎮魂の祈りを捧げました。


京都新聞」3月11日朝刊

朝刊各紙の一面



2011年3月11日は、日本人にとって決して忘れることのできない日になりました。
三陸沖の海底で起こった巨大な地震は、信じられないほどの高さの大津波を引き起こし、東北から関東にかけての太平洋岸の海沿いの街や村々に壊滅的な被害をもたらしました。その被害は、福島の第一原子力発電所の事故を引き起こしました。そして、4年が経った現在も、いまだに現在進行形の大災害は続いています。


陸上に漂着した船の前で(気仙沼

巨大なクジラ缶の前で(石巻



津波の発生後、しばらくは大量の遺体は発見されず、多くの行方不明者がいました。火葬場も壊れて通常の葬儀をあげることができず、現地では土葬が行われました。海の近くにあった墓も津波の濁流に流されました。葬儀ができない、遺体がない、墓がない、遺品がない、そして、気持のやり場がない・・・・・まさに「ない、ない」尽くしの状況は、今回の災害のダメージがいかに甚大であり、辛うじて助かった被災者の方々の心にも大きなダメージが残されたことを示していました。現地では毎日、「人間の尊厳」が問われました。亡くなられた犠牲者の尊厳と、生き残った被災者の尊厳がともに問われ続けたのです。「葬式は、要らない」という妄言は、大津波とともに流れ去ってしまいました。


京大で「東日本大震災グリーフケアについて」を報告


わたしは、東日本大震災愛する人を亡くした人たちのことを考えました。
以前からわが社が取り組んできたグリーフケア活動をさらに推進させました。
上級心理カウンセラーの資格を多くの社員が取得しました。
わたし自身も、さらにグリーフケアについての研究を重ねました。
そして、ブログ「『こころの再生』シンポジウム」に書いたように、2012年7月には京都大学で「東日本大震災グリーフケアについて」を報告する機会も与えていただきました。わたしにとって、貴重な経験となりました。このとき玄侑宗久氏も、鎌田東二氏や島薗進氏らとともに、わたしの発表を聴いて下さいました。今夜、北野天満宮で開催される「悲とアニマ展」で鎌田氏をはじめ、京都大学こころの未来研究センターのみなさんとも再会する予定です。

愛する人を亡くし、生き残った方々は、これからどう生きるべきなのか。
そんなことを考えながら、わたしは『のこされた あなたへ』(佼成出版社)を書きました。もちろん、どのような言葉をおかけしたとしても、亡くなった方が生き返ることはありませんし、残された方の悲しみが完全に癒えることもありません。
しかし、少しでもその悲しみが軽くなるお手伝いができないかと、わたしは一生懸命に心を込めて同書を書きました。時には、涙を流しながら書きました。


のこされた あなたへ』で、わたしが一番言いたかったことは何か。
それは、残された人は、亡くなった愛する人に必ずまた会えるということです。
死別はたしかに辛く悲しい体験ですが、その別れは永遠のものではありません。
残された人は、また亡くなった人に会えるのです。
風や光や雨や雪や星として会える。
夢で会える。
あの世で会える。
生まれ変わって会える。
そして、月で会える。
世の中には、いろんな信仰があり、いろんな物語があります。しかし、いずれにしても、必ず再会できるのです。ですから、死別というのは時間差で旅行に出かけるようなものなのです。先に行く人は「では、お先に」と言い、後から行く人は「後から行くから、待っててね」と声をかけるのです。それだけのことなのです。


石巻の教会の上空に上る月



考えてみれば、本当に不思議なことなのですが、世界中の言語における別れの挨拶に「また会いましょう」という再会の約束が込められています。
日本語の「じゃあね」、中国語の「再見」もそうです。
英語の「See you again」もそうです。
フランス語やドイツ語やその他の国の言葉でも同様です。
これは、一体どういうことでしょうか。
世界中に住む昔の人間たちは、辛く、さびしい別れに直面するにあたって、再会の希望をもつことでそれに耐えてきたのかもしれません。
でも、こういう見方もできないでしょうか。
二度と会えないという本当の別れなど存在せず、必ずまた再会できるという真理を人類は無意識のうちに知っていたのだと。その無意識が、世界中の別れの挨拶に再会の約束を重ねさせたのだと。そう、別れても、わたしたちは必ず再会できるのです。
「また会えるから」という言葉を合言葉に、愛する人との再会の日を楽しみに、残された方々には生きていただきたいと心から願っています。


石巻の海に上る月



言うまでもなく、これからも人間は死に続けます。多くの地震津波や台風で、そしてテロや戦争で、世界中の多くの人命が失われることでしょう。また、天災や人災でなくとも、病気や事故などで多くの方々がこの世を卒業されていくでしょう。
愛する人と死に別れることは人間にとって最大の試練です。
しかし、試練の先には再会というご褒美が待っています。
けっして、絶望することはありません。
けっして、あせる必要もありません。
なぜなら、最後には、また会えるのですから。
どうしても寂しくて、悲しくて、辛いときは、どうか夜空の月を見上げて下さい。
そこには、あなたの愛する人の面影が浮かんでいるはずです。
愛する人は、あなたとの再会を楽しみに、気長に待ってくれることでしょう。
東日本大震災から4年、多くの死者たちに支えられて、わたしたちは生きていきます。そう、わたしたちは、これからも生きていくのです。


サンレー本社の朝礼で黙祷を行いました

司会を務める総務課の国行課長

黙祷するサンレー社員たち

黙祷するサンレー社員たち



なお11日の朝、サンレー本社では朝礼において、犠牲者の方々への黙祷を捧げました。東北で、京都で、小倉で、各地からの祈りが御霊に届くことを信じています。



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2015年3月11日 佐久間庸和