安倍昭恵総理夫人講演会

3月9日、ブログ「安倍昭恵総理夫人講演会のお知らせ」でご紹介した講演会が松柏園ホテルで盛大に開催されました。この日は朝からかなり激しく雨が降っていて心配でしたが、会場には450名もの方々がお越し下さり、おかげさまで満員御礼となりました。


講演会の演壇のようす

リハーサル中の会場にて



わたしも朝から松柏園に向かって会場の下見をし、リハーサルにも立ち会いました。
また、本日の講師である安倍昭恵総理夫人をはじめ、お客様をお迎えするために、ホテルのフロント前に立っていました。


講演ポスターが貼られたフロント前で



10時前には松柏園に到着された昭恵夫人は、わが社の誇る屈強なボデイガードの誘導で、ホテルの貴賓室へと向かわれました。本日の講演会の主催者である世界平和パゴダ奉賛会の佐久間進会長とともに、わたしは貴賓室を訪ねて昭恵夫人と名刺交換させていただきました。その際、わたしは「安倍首相には、わたしの結婚式にも御参列いただきました。今日はお目にかかれて光栄です。本当に、ありがとうございます」と述べたのですが、昭恵夫人はニコッと笑顔で応対して下さいました。ファーストレディでありながら、とても気さくな方だなという印象を受けました。


450名が参集しました

VTRで世界平和パゴダの歩みを紹介



10時半から、世界平和パゴダ支援特別講演が開始されました。
まずは、会場の2箇所に設置された巨大スクリーンに、世界平和パゴダの建立から閉館、さらには再開を経て今日に至る歩みを紹介したVTRが流されました。


挨拶する佐久間会長



VTRの上映後は、世界平和パゴダ奉賛会の佐久間進会長が登壇し、主催者挨拶を行いました。佐久間会長は、講師を引き受けて下さった安倍昭恵夫人へ心からの感謝の言葉を述べ、来場して下さった多くの方々への感謝の言葉を述べるとともに、世界平和パゴダへの支援をお願いしました。


感謝の言葉を述べました



佐久間会長は「世界平和パゴダは昭和33年に日本とビルマ(現ミャンマー)の友好親善と世界平和、第二次大戦戦没者の慰霊等を目的として建立されました。平成23年12月には、住職の逝去などにより、一時活動を休止していましたが、多くの皆様の支援を受け、平成24年8月にはミャンマーより新たに2人の僧侶を迎え、活動を再開いたしました。しかしながら、活動の要となる本堂をはじめとする諸施設は老朽化が著しく、その改修が喫緊の課題となっております。今回の講演会を機に、多くの皆様に世界平和パゴダの成り立ちと現状について、お伝えできればと願っております」と挨拶しました。


挨拶するウ・ウィマラ住職

通訳するニンプィンウーさん



それから、ミャンマー仏教界から「世界平和パゴダに派遣された2名のミャンマー僧と世話係の男性が登壇しました。通訳として、松柏園ホテルの衣装室で働くミャンマー人女性のニンプィンウーさんが一緒に登壇しました。ブログ「祖国でブライダル事業を」で紹介したように、この日の「毎日新聞」朝刊には彼女の記事が大きく掲載されています。ニンプィンウーさんは、パゴダ支援を訴えるウ・ウィマラ住職のメッセージを見事な日本語で通訳しました。


講演会のようす



そして、いよいよ、安倍昭恵夫人講演のスタートです。
会場後方の入口から入場された昭恵夫人は、万雷の拍手に迎えられて登壇されました。
講演のタイトルは、「ミャンマーへ架ける橋〜ミャンマーの子どもたちへの教育支援運動〜」でした。昭恵夫人は最初に、日本財団曽野綾子会長の誘いでアフリカを訪れて以来、ボランティアの素晴らしさに目覚められたこと、曽野会長とともに目の不自由な方々とイタリアなどを訪問し、それらの方々のお世話をされたことなどを語られました。



曽野会長から「海外に支援をしたら、必ず現地を訪れて確認をすること」をアドバイスされた昭恵夫人は、アフリカを支援してもなかなか現地を訪問できないため、アジアの子どもたちが学べる環境づくりを支援したいというプランが浮かんだそうです。それで御主人に「アジアの学校に支援をしたいけど、どこがいいかしら?」と相談したところ、安倍晋三氏はすかさず「それなら、ミャンマーがいい!」と言われたそうです。父上の故安倍晋太郎氏が中曽根内閣の外務大臣であった頃、秘書として一緒にアジア各国を回られたそうですが、そのとき最も印象に残ったのがミャンマーだったそうです。



わたしは、昭恵夫人ミャンマーとの縁もそうですが、御主人の言葉を即座に受け容れるという姿が素晴らしいと思いました。本当に、御主人のことを信用し、尊敬されているのでしょう。こんな御夫妻には憧れていましまいますね。今日は、わたしの妻も会場の最後列で講演を聴いていましたが、ぜひ、こういったところを学んでほしいと思いました。(笑)



昭恵夫人によれば、支援の方法は、学校そのものを新規に建設するのではなく、僧院が運営している寺子屋の校舎を建ててあげるのだそうです。ミャンマーでは寺子屋教育のおかげで、子どもたちの識字率は非常に高いです。最初に支援された学校は2007年に開校しましたが、ちょうど御主人が1回目の首相になられたばかりでしたので現地での開校式には参列できなかったとか。


講演会のようす



特に印象深かったのは、昭恵夫人が現地の学校の給食の場面を語られたときでした。
子どもたちは、野菜と肉が少しだけ浮かんだ粗末なスープを美味しそうに飲み、ごはんを何杯もお代わりするそうです。昭恵夫人たちがお菓子をあげて「今、食べてもいいですよ」といくら言っても、子どもたちは必ず家に持ち帰って兄弟と分け合うそうです。昭恵夫人は、「ミャンマーには、わたしたち日本人がなくしてしまった大切なものがあるように思いました」と語られました。実際にミャンマーの人々は、僧侶、両親、教師を深く尊敬しています。日本のような「いじめ」や「虐待」などもありません。ミャンマーは経済的には貧しくとも、こころ豊かな国なのです。



しかし最近のミャンマーは急速に民主化が進んでいます。もちろん軍事政権下にある国が民主化されることは素晴らしいことですが、経済も急成長し、インフラ整備なども進むにつれて、物価や家賃なども急上昇しています。昭恵夫人は「ミャンマーの良さが失われないように願っています」と言われていました。
それから、昭恵夫人は医療支援の話もされ、志ある日本人医師たちが貧しいアジアの人々の生命をたくさん救っていることを教えてくれました。



ミャンマーの僧院についても語られました。ミャンマーには、インドのような物乞いの子どもの姿がありません。それは、僧院が貧しい子どもたちを引き取っているからです。男の子は少年僧として托鉢に出ますので、朝は各家庭から食事を貰います。女の子は尼さんんと同じで、調理された食事は貰えませんが、米や野菜などの食材を貰います。彼女たちは尼寺に帰って自分たちで朝食を作るそうです。ちなみに、尼寺が貧困家庭の少女たちを引き受けるので、ミャンマーの少女たちは売られたり、風俗で働く子がきわめて少ないそうです。そして、昭恵夫人ミャンマーの尼寺の支援をされているそうです。


昭恵夫人のお話に感動しました



最後に、昭恵夫人は「どうしたら、戦争はなくなるんだろうか?」「どうしたら、平和になるんだろうか?」といつも考えていると言われました。そして、「わたしは、この世界平和パゴダは平和の象徴だと思います。あの戦争から70年、多くの亡くなられた方々に感謝をしなければなりません。その方々のおけげで、今のわたしたちは豊かさに生きていられます。アジアが平和になるためにも、世界平和パゴダの存続が必要です。みなさん、どうか、パゴダ運営のご支援をよろしくお願いいたします」と言われました。それを聴いて、わたしは涙が出るほど感動しました。



非常に感動的な講演でしたが、最後に昭恵夫人は素敵なメッセージを残して下さいました。昭恵夫人は「夫は政治家ですが、わたしは政治だけでは出来ないことがあると思っています。もちろん政治は大切ですが、芸術というのも大事です。どうしても行き詰まったら、踊ったり歌ったりすると状況が変わったりします」と言われたのですが、わたしは至言であると思いました。またスポーツも大事で、昭恵夫人ママさんバレーの会長をやられているそうですが、下関で日韓のママさんバレー大会を開催したとき、日本と韓国の間で政治的にはいくら緊張していても、両国の主婦たちが笑顔でバレーボールに興じている姿を見ながら、「女性がつくることができる平和もある」と思われたそうです。この話も非常に感動しました。



講演が終了すると、会場が割れんばかりの大きな拍手が起こりました。
450名の聴衆がみんな感動したことが、拍手の大きさから伝わってきました。
97歳になる世界平和パゴダ奉賛会の三木恭一さんが花束を昭恵夫人に渡されました。衆議院議員で「アベノミクス」仕掛け人として知られる山本幸三氏の奥様が作られたブーケだそうです。ブーケを受け取られた昭恵夫人はとても嬉しそうでした。


謝辞を述べる八坂副会長

挨拶する97歳の三木恭一翁



昭恵夫人が降壇され、拍手で見送られた後は、世界平和パゴダ奉賛会の八坂和子副会長が三木さんと一緒に登壇されました。八坂副会長は超満員の来場者に感謝の言葉を述べ、パゴダへの支援を重ねてお願いされました。最後は三木さんが自らマイクの前に向かい、「わたしにはもう命がありません。しかし、生ある限りパゴダのために尽くしたと思います。ご支援よろしくお願いいたします」としっかりとした声で述べられました。すると、会場からは盛大な拍手が起こりました。わたしも、三木さんの想定外のスピーチに驚くとともに、深い感動を覚えました。この方がいたから、今日まで世界平和パゴダは存続してきたのです。



講演後は、昭恵夫人を囲んで昼食会が開かれました。
会場は松柏園ホテルの料亭「長浜」で、来賓の方々や世界平和パゴダ奉賛会のメンバーが参加しました。わたしも参加させていただきましたが、昭恵夫人とも親しくお話しさせていただき、『慈経 自由訳』(三五館)、『慈を求めて』(三五館)、『ミャンマー仏教を語る』(現代書林)の3冊をプレゼントさせていただきました。昭恵夫人は本を手に取り、興味深そうにページを繰られながら、「ぜひ読ませていただきます」とおっしゃって下さいました。



ということで、この日は素晴らしい方から素晴らしいお話を伺うことができて、本当に素晴らしい日でした。御主人の安倍晋三氏が二度目の総理になられたとき、昭恵夫人は「天のはからい」のようなものを感じられたそうです。わたしも、安倍首相は日本史上でも最大級の大きな使命を担われている方であると思っています。そして、奥様の昭恵夫人もまた「天のはからい」で二度目のファーストレディになられたのだと思います。こんなにも慈しみの心を持たれたファーストレディのいる日本は幸せであると痛感しました。どうか、お身体に気をつけられて、御夫妻の使命を全うしていただきたく存じます。安倍昭恵様、本当にありがとうございました。
今度は、ぜひ安倍首相と御一緒に世界平和パゴダにお越し下さいませ!



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2015年3月日 佐久間庸和