葬祭責任者会議

14日の午後から、 サンレーグループの全国葬祭責任者会議が行われました。
わたしは、16時半から、いつものように60分ほどの社長訓話をしました。
基本的に、ブログ「國學院大學オープンカレッジ特別講座」で紹介した講座のテーマだった「終活:人生の卒業準備」について話しました。


葬祭責任者会議のようす

日本民俗学との縁を語る



最初に、わたしは ブログ「國學院大學オープン・カレッジ特別講座」で紹介した講義で、わたしは日本民俗学と自分との不思議な縁について述べました。
サンレーグループ佐久間進会長が國學院大學の出身であり、日本民俗学が誕生した昭和10年にこの世に生を受けています。また、佐久間会長は亥年ですが、ともに國學院の教授を務めた日本民俗学の二大巨人・柳田國男折口信夫の2人も一回り違う亥年でした。佐久間会長が國學院で学び、日本民俗学のまさに中心テーマである「冠婚葬祭」を生業としたことに何か運命的なものを感じます。わたし自身は、佐久間会長から思想と事業を受け継いでおり、幼少の頃から日本民俗学の香りを嗅いできました。


國學から日本民俗学へ・・・・・・

冠婚葬祭互助会の使命とは?


國學院」の「国学」とは、「日本人とは何か」を追求した学問で、契沖、賀茂真淵本居宣長平田篤胤らが活躍しました。
そして、「日本人とは何か」という国学の問題意識を継承したのが、「新国学」としての日本民俗学です。わたしは、「無縁社会」とか「葬式は、要らない」などの言葉が流行するような現在、日本人の原点を見直す意味でも日本民俗学の再評価が必要であると思います。わたしは「冠婚葬祭互助会の使命とは、日本人の原点を見つめ、日本人を原点に戻すこと、そして日本人を幸せにすることである!」と述べました。


「終活」について考えを述べました



それから、わたしは「終活」について考えを述べました。
これまでの日本では「死」について考えることはタブーでした。でも、よく言われるように「死」を直視することによって「生」も輝きます。その意味では、自らの死を積極的にプランニングし、デザインしていく「終活」が盛んになるのは良いことだと思います。


「終活」ブームの背景を探る



ところが、その一方で、わたしには気になることもあります。「終活」という言葉には何か明るく前向きなイメージがありますが、わたしは「終活」ブームの背景には「迷惑」というキーワードがあるように思えてなりません。みんな、家族や隣人に迷惑をかけたくないというのです。「残された子どもに迷惑をかけたくないから、葬式は直葬でいい」「子孫に迷惑をかけたくないから、墓はつくらなくていい」「失業した。まったく収入がなく、生活費も尽きた。でも、親に迷惑をかけたくないから、たとえ孤独死しても親元には帰れない」「招待した人に迷惑をかけたくないから、結婚披露宴はやりません」「好意を抱いている人に迷惑をかけたくないから、交際を申し込むのはやめよう」・・・・・・。なんか変ではありませんか?


「迷惑」と「面倒」について



すべては、「迷惑」をかけたくないがために、人間関係がどんどん希薄化し、社会の無縁化が進んでいるように思えてなりません。結果的に夫婦間、親子間に「ほんとうの意味での話し合い」がなく、ご本人がお亡くなりになってから、さまざまなトラブルが発生して、かえって多大な迷惑を残された家族にかけてしまうことになります。その意味で「迷惑」の背景には「面倒」という本音も潜んでいるように思います。みんな、家族や夫婦や親子で話し合ったり、相手を説得することが面倒なのかもしれません。


「終活」と「無縁社会」について



「迷惑をかけたくない」という言葉に象徴される希薄な“つながり”。日本社会では“ひとりぼっち”で生きる人間が増え続けていることも事実です。しかし、いま「面倒なことは、なるべく避けたい」という安易な考えを容認する風潮があることも事実です。こうした社会情勢に影響を受けた「終活」には「無縁化」が背中合わせとなる危険性があることを十分に認識すべきです。この点に関しては、わたしたち1人ひとりが日々の生活の中で自省する必要もあります。


葬儀とは何だろうか?



葬儀は人類が長い時間をかけて大切に守ってきた精神文化である。いや、葬式は人類の存在基盤だと言ってもよい。昔、「覚醒剤やめますか、人間やめますか」というポスターの標語があったが、わたしは、「葬式やめますか、そして人類やめますか」と言いたい。日本人が本当に葬式をやらなくなったら、人類社会からドロップアウトしてしまう。あらゆる生命体は必ず死ぬ。もちろん人間も必ず死ぬ。親しい人や愛する人が亡くなることは悲しいことだ。でも決して不幸なことではない。残された者は、死を現実として受け止め、残された者同士で、新しい人間関係をつくっていかなければならない。葬式は故人の人となりを確認すると同時に、そのことに気がつく場になりえるのである。葬式は旅立つ側から考えれば、最高の自己実現であり、最大の自己表現の場ではないか。「葬式をしない」という選択は、その意味で自分を表現していないことになる。まったく、もったいない話だ。つまるところ、葬儀とは人生の卒業式であり、送別会だと思う。そう述べました。


自分の葬儀を想像する・・・・・・



わたしは、続いて誰でもが実行できる究極の「終活」についても話しました。
それは、ずばり、自分自身の理想の葬儀を具体的にイメージすることです。
親戚や友人のうち誰が参列してくれるのか。そのとき参列者は自分のことをどう語るのか。理想の葬儀を思い描けば、いま生きているときにすべきことが分かります。参列してほしい人とは日ごろから連絡を取り合い、付き合いのある人には感謝することです。生まれれば死ぬのが人生です。死は人生の総決算。葬儀の想像とは、死を直視して覚悟することです。覚悟してしまえば、生きている実感がわき、心も豊かになります。


儀式の本質について説明しました



さらに、「さまざまな送られ方」として、新時代の葬儀についても話しました。
日本の葬儀は、実にその8割以上を仏式葬儀によって占められています。
ところが最近になって、仏式葬儀を旧態依然の形式ととらえ、もっと自由な発想で故人を送りたいという人々が増えています。今のところは従来の告別式が改革の対象になって、「お別れ会」などが定着しつつあります。やがて、通夜や葬儀式にも目が向けられ、故人の「自己表現」や「自己実現」が図られていくに違いありません。
それから、今後の葬儀イノベーションを紹介しました。
日本人の他界観を大きく分類すると、「山」「海」「月」「星」となりますが、それぞれが「樹木葬」、「海洋葬」、「月面葬」、「宇宙葬」に対応しています。新しい葬儀イノベーションはそれらの他界観を見事にフォローしているわけです。


葬儀イノベーションとしての「永遠葬」を語る



わたしは、この4つは「四大葬儀イノベーション」だと思います。
そして、すべて「永遠葬」というものを実現する新時代のセレモニーだと思っています。
「永遠葬」とは、ブログ『0葬』で紹介した本で島田裕巳氏が提案されている「0葬」に対抗して考案した言葉です。「0葬」とは葬儀も行わない、火葬場で骨も灰も持ち帰らない、墓も作らないというものです。唯物論の極みといえますが、こんなものが話題を集めつつあるので、非常に憂慮しています。かつて島田氏のベストセラー『葬式は、要らない』に対抗して、わたしは『葬式は必要!』という反論書を世に問いました。今度も、『0葬』に対する反論の書として『永遠葬』を上梓する次第です。


「終活」から「修活」へ・・・・・・



最後に、「終活」という言葉についての違和感を話しました。
終活の「終」の字が気に入らないという人は多いです。もともと「終活」という言葉は就職活動を意味する「就活」をもじったもので、「終末活動」の略語だとされています。ならば、わたしも「終末」という言葉には違和感を覚えてしまいます。死は終わりなどではなく、「命には続きがある」と信じているからです。そこで、わたしは「終末」の代わりに「修生」、「終活」の代わりに「修活」という言葉を提案しました。「修生」とは文字通り、「人生を修める」という意味です。よく考えれば、「就活」も「婚活」も広い意味での「修活」ではないか。
学生時代の自分を修めることが就活であり、独身時代の自分を修めることが婚活なのです。
そして、人生の集大成としての「修生活動」があります。
以上のような話をして、わたしは社長訓話を終えました。


懇親会で挨拶する佐久間会長

わたしも挨拶をしました

カンパ〜イ!



社長訓話後は、サンレー本社から松柏園ホテルに移動して、懇親会が開催されました。
冒頭、佐久間進会長が挨拶しました。佐久間会長は、「今日は、皇族の方と御一緒していました。また、日本スポーツ界の重要人物からロシアのプーチン大統領をお迎えする国際儀礼についての相談を受けました」と述べました。続くわたしは「地域の皆様から、紫雲閣に進出してほしいというオファーが相次ぐように頑張ろう!」と述べました。それから、サンレー北陸の東常務の音頭で声高らかに乾杯しました。


懇親会のようす

懇親会のようす

黒木部長による「末広がりの五本締め



懇親会は、無礼講で大いに盛り上がりました。懇親会の最後は、サンレー沖縄の黒木部長がサンレー・オリジナルの「末広がりの五本締め」で締めました。わが社のオリジナル文化は色々とありますが、この「末広がりの五本締め」もそのひとつです。これをやると、みんなの心が本当にひとつになるような気がします。やはり、カタチにはチカラがあります! 



いま、冠婚葬祭互助会業界は大きな過渡期にあります。しかし、わたしたちは「人間尊重」をミッションとする礼業の会社として、正々堂々と胸を張って葬儀のお世話をさせていただきたいものです。懇親会終了後は、松柏園のラウンジにて二次会が行われました。



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2014年11月15日 佐久間庸和