今右衛門さんを囲む

18日の夜、人間国宝認定が決まった陶芸家の十四代今泉今右衛門さんを囲む夕食会に参加しました。場所は小倉の鍛治町にある「和楽(かずら)」でした。
わたしが今右衛門さんを囲む食事会に参加するのは2回目です。
この日の14時から西日本工業大学講義室(リバーウォーク北九州 大学棟3F)で、今右衛門さんと「幻の布」と呼ばれた小倉織をよみがえらせた「月の織姫」こと染織家の築城則子さんとの特別対談が行われました。わたしは会議で行けなかったのですが、代わりに家内が参加しました。ご両人ともに工芸の道を熱く語られ、「常に挑戦」と口にされていたそうです。


十四代今泉今右衛門さんと



7月18日、文化審議会重要無形文化財保持者(人間国宝)に、色絵磁器の十四代今泉今右衛門さんら7人の認定を下村博文文科相に答申しました。十四代今泉今右衛門さんは、1962年(昭和37年)に佐賀県有田町のお生まれです。わたしよりも1歳年長です。
でも、人間国宝ともなると、もはや年齢など超越した風格が漂っていました。
今右衛門さんは陶芸家としては最年少の人間国宝となります。これにより、人間国宝は芸能の部58人、工芸技術の部59人、累計で117人となりました。「THE HUFFINGTON POST」の7月18日の記事には、以下のように今右衛門さんが紹介されています。
「今泉今右衛門さんは、江戸時代に佐賀・鍋島藩の御用窯『鍋島藩窯』の御用赤絵師を代々務めていた今泉家に次男として生まれた。鍋島藩窯では、民間の窯で焼かれていた『伊万里焼(古伊万里)』とは別に、販売を目的とせず将軍への献上や幕府の要人・大名への贈答品とされた『鍋島焼』をつくることが主な目的とされていた。
今右衛門さんは武蔵野美術大学工芸工業デザイン学科を卒業した後、陶芸作家・鈴木治に師事。1990年以降は、父であり人間国宝に認定された十三代今泉今右衛門のもとで家業に従事し、色鍋島を中心とする色絵磁器の陶芸技術を習得した。
販売に専念するという兄の代わりに、2002年に十四代を襲名した後は、家伝の『色鍋島』の技法を中心としながら、江戸時代から鍋島焼に用いられている『墨はじき』という技法を発展させた当代オリジナルの『雪花(せっか)墨はじき』を駆使している。『墨はじき』ではまず墨で文様を描き、その上を染付で塗る。その後、素焼の窯で焼くと墨が飛んで白抜きの文様が現われるというもの。古伊万里はほとんどが絵の具で線描きされているのに対し、手間のかかる墨はじきを使って背景のトーンを微妙に抑えるのは、敷島焼きだけが使う特徴だ」



今右衛門さんを囲む会では、北九州市の各界を代表される方々が集い、終始なごやかなムードでした。人間国宝でありながら、今右衛門さんは非常に気さくな方で、わたしに何度もお酒を注いで下さいました。そのたびに恐縮したことは言うまでもありません。
二次会はカラオケ店に行きましたが、皆の衆からのリクエストで最初にわたしが桑田佳祐の「祭りのあと」を歌わせていただきました。



同世代と言うことで今右衛門さんはサザンオールスターズがお好きのようで、「Bye Bye My Love」や「勝手にシンドバッド」などを熱唱されました。さらには、今右衛門さんとわたしの2人で「涙のキッス」や「夏の終わりのハーモニー」をデュエットさせていただきました。人間国宝の方とデュエットできる機会などそうそうありません。まことに有意義かつ楽しい夜となりました。それにしても、歌っているときの今右衛門さんは本当にカッコいい!
それと、今右衛門さんの芸術性を語る教養はわたしにはありませんが、その人間性には感服いたしました。本当に人間として素晴らしい方です。「人間国宝」とは人間界の宝です。きっと、技術のみならず人間性に対しても与えられる最高の称号なのだと思いました。
最後に、築城則子先生が北九州初の人間国宝になられる日が来ることを願っています。



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2014年10月19日 佐久間庸和