わたしは、これまで多くの言葉を世に送り出してきました。
この際もう一度おさらいして、その意味を定義したいと思います。
今回は、「人生の卒業式」という言葉を取り上げることにします。
最近、「終活」についての講演依頼が非常に多いです。お受けする場合、「人生の卒業式入門」というタイトルで講演させていただくようにしています。わたしは「死」とは「人生の卒業」であり、「葬儀」とは「人生の卒業式」であると考えているからです。
かつて「読売新聞」夕刊の「この人、この一言」(2010年10月4日)に登場させていただきました。一面の掲載で、タイトルは「葬儀は、人生の卒業式」。「書店に積まれた一冊の本が気になって仕方なかった」との書き出しで、島田裕巳著『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)に対抗して、わたしが『葬式は必要!』(双葉新書)を書いた経緯などが紹介されています。
- 作者: 一条真也
- 出版社/メーカー: 双葉社
- 発売日: 2010/04/20
- メディア: 新書
- 購入: 3人 クリック: 27回
- この商品を含むブログ (53件) を見る
わたしは、人の死を「不幸」と表現しているうちは、日本人は幸福になれないと思います。
わたしたちは、みな、必ず死にます。死なない人間はいません。いわば、わたしたちは「死」を未来として生きているわけです。その未来が「不幸」であるということは、必ず敗北が待っている負け戦に出ていくようなものです。わたしたちの人生とは、最初から負け戦なのでしょうか。どんな素晴らしい生き方をしても、どんなに幸福を感じながら生きても、最後には不幸になるのでしょうか。亡くなった人は「負け組」で、生き残った人たちは「勝ち組」なのでしょうか。そんな馬鹿な話はないと思いませんか?
わたしは、「死」を「不幸」とは絶対に呼びたくありません。
なぜなら、そう呼んだ瞬間、わたしは将来かならず不幸になるからです。死は不幸な出来事ではありません。そして、葬儀は人生の卒業式です。これからも、本当の意味で日本人が幸福になれる「人生の卒業式」のお手伝いをさせていただきたいと願っています。
卒業式というものは、本当に深い感動を与えてくれます。
それは、人間の「たましい」に関わっている営みだからだと思います。
わたしは、この世のあらゆるセレモニーとはすべて卒業式ではないかと思っています。
七五三は乳児や幼児からの卒業式であり、成人式は子どもからの卒業式。
そう、通過儀礼の「通過」とは「卒業」のことなのです。
結婚式も、やはり卒業式だと思います。なぜ、昔から新婦の父親は結婚式で涙を流すのか。それは、結婚式とは卒業式であり、校長である父が家庭という学校から卒業してゆく娘を愛しく思うからです。そして、葬儀こそは「人生の卒業式」です。最期のセレモニーを卒業式ととらえる考え方が広まり、いつか「死」が不幸でなくなる日が来ることを心から願っています。葬儀の場面で、「今こそ別れめ いざ さらば」と堂々と言えたら素敵ですね。
*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。
2014年3月23日 佐久間庸和拝