3周年の黙祷

ブログ「東日本大震災3周年」に書いたように、あの3・11から今日で3周年です。
震災の発生時刻である14時46分、サンレー本社では社員全員で犠牲者への黙祷を捧げました。わたしは現在ベトナム出張中なので、総務課の國行昭年課長にお願いしました。



14時46分に黙祷しました



2014年3月10日の時点で、死者が15,884人、行方不明者が2,633人(警察庁まとめ)、また、2014年2月13日の時点で、避難・転居者は26万7,419人(復興庁まとめ)とされています。2011年3月11日は、日本人にとって決して忘れることのできない日になりました。三陸沖の海底で起こった巨大な地震は、信じられないほどの高さの大津波を引き起こし、東北から関東にかけての太平洋岸の海沿いの街や村々に壊滅的な被害をもたらしました。その被害は、福島の第1原子力発電所の事故を引き起こしました。
そして、いまだに現在進行形の大災害は続いています。



発生からしばらくの間は、毎日増え続ける死者の数に呆然とするばかりでした。
わが社の本社や各施設に義援金の募金箱を設置しました。また当時、全互協の広報・渉外委員長だったわたしは、さまざまな復興支援の指示を出しました。あれから3年の月日が流れてはいるものの、まだ多くの方が癒されていないことを考えれば、胸が痛みます。
葬儀ができない、遺体がない、墓がない、遺品がない、そして、気持のやり場がない・・・まさに「ない、ない」尽くしの状況は、今回の災害のダメージがいかに甚大であり、辛うじて助かった被災者の方々の心にも大きなダメージが残されたことを示していました。


社員全員で黙祷しました



津波の発生後、しばらくは大量の遺体は発見されず、多くの行方不明者がいました。
火葬場も壊れて通常の葬儀をあげることができず、現地では土葬が行われました。海の近くにあった墓も津波の濁流に流されました。現地では毎日、「人間の尊厳」が問われました。亡くなられた犠牲者の尊厳と、生き残った被災者の尊厳がともに問われ続けたのです。
「葬式は、要らない」などという妄言は、大津波とともに流れ去ってしまいました。


心をこめて黙祷しました



この東日本大震災に限らず、わが社も所属している一般社団法人・全日本冠婚葬祭互助協会(全互協)では、平成7年(1995年)1月17日に起きた阪神淡路大震災以来、自治体に協力できる体制を整備する必要性が協議されました。
現在では全互協は、地震、風水害、その他の大規模な災害により多数の被災者が発生した場合に、自治体が設置する災害対策本部等の要請があれば、遺体の収容、搬送、安置などについて、加盟する全国各地の互助会が連携をとりながら、迅速に必要な人員、安置場所、資材等の支援活動を行える体制を整え、自治体との協定締結を推進しています。
わが社は、「天下布礼」を掲げる会社として、これからも災害によって犠牲となられた皆様のご冥福を祈り続けていきたいと思います。合掌。



*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2014年3月11日 佐久間庸和