慈礼というコンセプト


今日の「毎日新聞」朝刊に第17回目の「北九州発 ハートフル通信」が掲載されました。
今回のタイトルは「慈礼というコンセプト」です。



毎日新聞」1月24日朝刊



昨年末、『慈を求めて』(三五館)という本を上梓しました。
そこで、わたしは「慈礼」というコンセプトを打ち出しました。
わが社の本業である「冠婚葬祭」の根本をなすのは「礼」の精神にほかなりません。
では、「礼」とは何でしょうか。それは、2500年前に中国で孔子が説いた大いなる教えです。平たくいえば、「人間尊重」ということです。
そして、それを実現するには礼儀作法が必要となります。



いま、わたしたちが「礼儀作法」と呼んでいるものの多くは、武家礼法であった小笠原流礼法がルーツとなっています。北九州は小倉の地と縁の深い小笠原流こそ、日本の礼法の基本なのです。特に、冠婚葬祭に関わる礼法のほとんどすべては小笠原流に基づいているとされます。しかしながら、小笠原流礼法などというと、堅苦しいイメージがあるのも事実でしょう。



慇懃無礼」という言葉があるくらい、「礼」というものはどうしても形式主義に流れがちです。その結果、心のこもっていない挨拶、お辞儀、笑顔、そして冠婚葬祭が生れてしまうことにもなりかねません。 ならば、どうすればよいのでしょうか。
わたしは、「慈」という言葉を「礼」と組み合わせてはみてはどうかと思います。



「慈」とは何か。それは、他の生命に対して自他怨親のない平等な気持ちを持つこと。わが社は、門司区にある日本で唯一のビルマミャンマー)式寺院「世界平和パゴダ」の支援をさせていただいています。このパゴダを支援する活動の中で、わたしは上座部仏教の根本経典である「慈経」の存在を知り、そこに説かれている「慈」について考え続けてきました。



ブッダの慈しみは、愛も超える」と言った人がいました。
仏教における「慈」の心は人間のみならず、あらゆる生きとし生けるものへと注がれます。
また、「慈」という言葉は、他の言葉と結びつきます。
たとえば、「悲」と結びついて「慈悲」となり、「愛」と結びついて「慈愛」となります。



わたしは「慈」と「礼」を結びつけ、「慈礼」という新しいコンセプトを提唱したいと思います。「慈礼」つまり「慈しみに基づく人間尊重の心」があれば、心のこもった挨拶、お辞儀、笑顔、そして冠婚葬祭が可能となります。



ブッダ孔子のコラボともいえる「慈礼」は、キリスト教の「ホスピタリティ」と同義語です。また、神道的世界から生まれたとされる「おもてなし」という言葉にも通じます。 
それらは「こころ」を「かたち」にすることであり、宗教や民族や国家を超えた普遍性を持っているのです。今後も、わたしは「慈礼」を求め続けていきたいと思っています。


慈を求めて

慈を求めて

*よろしければ、「一条真也の新ハートフル・ブログ」もどうぞ。



2014年1月24日 佐久間庸和